簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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佐夜の中山・久延寺 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-08-28 | Weblog


 「小夜の中山」最後の急坂、青木坂を上り詰めると、右に古刹が見え
てくる。「高野山真言宗・佐夜中山・久延(きゅうえん)寺」である。
山門で猫が、人が近づくのも厭わずのんびりと睡眠をむさぼっていた。



 創建は古く、奈良時代に行基が開基したと伝わる名刹だが、一時は
無住で荒れるに任せた時期もあったらしいがその後再興されている。
御本尊は聖観世音菩薩で、地元では「子育ての観音さま」と称され親
しまれている。



 掛川城の城主となった山内一豊が、関ヶ原から会津攻めに向かう徳
川家康を接待するために、境内に茶室や観音堂を建立したと言う故事
が伝わる寺である。境内のお茶屋亭跡がその名残で、ここで煎茶を供
したらしく、その礼に家康が植えたとされる五葉の松も境内には残さ
れている。



 広重が描く東海道五十三次の「日坂 左夜ノ中山」では、ことさら
誇張された小夜の中山の急坂が描かれている。
そんな急坂の続く街道の真ん中には、その脇で赤ん坊が泣いていたと
いう大きな丸石も描かれ、それを旅人達が囲み見入る姿があり、どん
と据えられた石には何やら微かな文字も見られる。



 その文字は、供養のお題目「南無阿弥陀仏」で、後にこの地を通り
かかった弘法大師が、寺に伝わる伝説に同情して刻み、立ち去ったと
伝えられている。この寺には、そんな遠州七不思議の一つとして知ら
れる「夜泣石伝説」が残されている。この赤ん坊と大きな丸石に纏わ
る悲しい伝説で、本堂の右手にはその丸石も残されている。(続)



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 「銅と弁柄の赤い村」 



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