簾 満月「バスの助手席」

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御城下 (岡山市内路面電車・番町線)

2021-07-16 | Weblog
 路面電車・東山線は、岡山駅前から5分ほどで「城下」に到着する。
この辺りは石山と呼ばれた小高い丘の裾にあたる場所で、嘗てはそのも
のズバリ、「御城下」と呼ばれた電停で、一時「表町入口」と呼ばれた
時期もあった。岡山城や岡山後楽園には一番近い最寄り駅で、何れも歩
いて10分ほどの距離である。



 旭川の河口部に開けた岡山平野には、岡山・石山・天神山という三つ
の丘が聳えていた。
16世紀頃には、この石山には国人の金光氏が城を築き本拠としていた。
しかし当時この辺りは、まだ貧しい農家が散在するだけの辺鄙で寂しい
地であったらしい。



 後に、備中国への勢力の拡大を目指す宇喜多直家は、本拠を沼城から
石山に移すこととなる。ところがこの時代は、家臣達の領地への執着が
強く、城下への集住は進まなかったと言う。
城下町の本格的な建設は、直家の子の秀家の時代を待つことになる。



 秀家は、本丸を石山から岡山に移すと同時に、石山の南側に本格的な
岡山城下の建設を始めた。
手始めに、旭川の流路を、岡山を囲う形に整備し、丸の内を広げると同
時に、それを取り巻く三重の内堀を整備した。



 丁度この城下の辺りが三重に掘られた内堀の一つがあった場所だ。
交差点の北側辺りが南に延びる内堀の北端で、その跡地の上に建つのが、
目の前の一際目を引く、円筒形の建物である。



 これは、2,001席を有するコンサートホール「岡山シンフォニービル」
で、丁度内堀の西岸にあたる場所らしい。
(「絵図で歩く岡山城下」2009年8月 岡山大学付属図書館編)
平成元(1989)年の発掘調査では、石垣の遺構が見付かっている。(続)



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