簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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原尾島競馬場  (西大寺鉄道廃線跡を歩く)

2021-09-17 | Weblog

 
 県道402号を越えると、線路跡は、現在市道に転用されているらしく、
痕跡をどこにも見いだすことは出来ない。
緩く曲がる道筋が、僅かに線路のカーブを思わす程度だ。

 付近には原尾島駅が有ったらしいが、その跡地は住宅地になっている。
そこには当時の駅の遺構らしい石積みが、民家塀の基礎に転用されて少
しだけ残されている。



 かつてこの右手付近には、原尾島競馬場が有った。
岡山県下では、最初の競馬場が西大寺の吉井川右岸、現在向州公園の有
る辺りにつくられた。

 元々県畜産共進会の余興として競馬が不定期で開催されていたもので、
コースも短かったために廃止され、移転が決まった。
その移転先がここで、昭和8(1933)年原尾島競馬場として開場した。



 『原尾島駅ではあるが、地元の人はこの駅を競馬場前と言っていた。
だが駅舎は無かった。
当時競馬開催日には、大変賑わったものの、普段は乗降客も無く寂しい
駅であったそうな』(歴史 幡多学区電子町内会より)



 ところがこの辺りは、元々直ぐ横を流れる百間川放水路の低湿地で、
脆弱な堤防しか無かった。
両岸の堤防が強固な物に修築されるのはもう少し後のことだ。

 その為昭和9(1934)年と20(1945)年には、二回に渡る水害で大
きな被害を蒙ることに成る。加えてスタンドの一部が崩落するなど施設
の老朽化が進み、昭和27(1952)年には廃止された。



 翌年には三播(岡山市中区)に新たな競馬場がつくられた。
しかし岡山県内では期待した以上に競馬熱は高まらず、僅か6年で閉鎖
と成り、以後今日まで、県内に競馬場はつくられてはいない。(続)





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