簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

もう一つの伝説 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-09-07 | Weblog
「小夜の中山」の旧東海道筋に、馬頭観音の石碑が建っている。
この地には古くから「蛇身鳥退治」の伝説が残されていて、この地は
蛇身鳥退治に来た京の公家・三位の良政卿が乗ってきた愛馬が死に、
葬った場所らしい。



 その昔菊川の里に、狩り好きな男が妻と二人の子供の四人で暮らし
ていた。有る雪の降る日に大きな熊を仕留め、近寄って見ると、何と
そこには血を流す息子の姿が。息子は父の狩りを止めさせようと、熊
の毛皮を被り山に入っていたのだ。



 息子の変わり果てた姿を目の当たりにした妻は、狂ったように泣き
叫び、家を飛び出しそのまま菊川の淵に身を投げてしまった。
それからというもの、この付近では夜な夜な奇妙な声を出して鳴く、
頭は鳥、身体は蛇、羽根は刃物を持つという怪鳥が現れた。



 この怪鳥を退治したのが京からやってきた公家の良政であった。
その後良政はこの地の「月小夜姫」と結婚し、都に連れ帰るものの、
都になじめない姫を故郷に帰すと姫はその地で「小石姫」を産んだ。



 やがて成人した姫の元に良政が決めた許嫁が来ると、身の不幸を嘆
いた姫は松の木の下で自害をしてしまう。その松は「夜泣き松」と呼
ばれ、その木の皮が子供の夜泣きに効果があると持て囃され、多くの
人に皮を剥がれ何時しか枯れてしまった。



 その代わりに用意されたのが、あの「夜泣石」と言われる丸石で、
残された姫の子は、この地の伝わる飴で育てられたと言う。
国道1号線の中山トンネルの上の公園には、もう一つの「夜泣石」が
あるそうだ。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歌枕と歌碑 (東海道歩き旅... | トップ | 茶畑 (東海道歩き旅・遠江... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事