「ふれあいステーションおかん」で頂いたマップを手に町歩きに出る。
ここ木之本はかつて北国街道の宿場町として、また木之本地蔵院の門前町として
賑わった町で、周辺の通りには懐かしい佇まいが残されている。
駅前のバス停を後に、5分ほど歩くと、北国街道に出る。
当時街道の中央には小川が流れ、岸辺に柳の木が植えられていたらしいが、今で
は川は埋め立てられ、木も切られ無粋なアスファルト道になっている。
丁度このあたりが「木之本牛馬市」の跡と言われる地区で、室町時代から昭和の
初めころまで年2回牛馬の競り市が開かれていたと言う。
角に建つ「馬宿 平四郎」は、山内一豊が妻・千代の用意した黄金10両で名馬を
購入した所縁の家である。
ここから北に向かうと金沢に至り、その通りの外れに、一里塚の跡と目印に植えら
れていた松の枯れた切り株が残されている。
宿場町の中央に建つのが、木之本地蔵院(淨信寺)だ。
昔から目の仏様として信仰を集め、境内に建つ6mもの地蔵像が全国から訪れる
参拝客を迎えてきた。
これにより木之本宿は門前町としても発展を遂げてきたのである。
宿場の南側には、「右 京・いせ道 左 江戸・なごや道」の道標が建っている。
関ヶ原から名古屋に向かう街道の起点とされる場所で、その昔賤ヶ岳の合戦の折り、
大垣に帰陣していた秀吉が、13里の道程を僅か5時間で駆け付けたと言われる道だ。(続)
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初めころまで年2回牛馬の競り市が開かれていたと言う。
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購入した所縁の家である。
ここから北に向かうと金沢に至り、その通りの外れに、一里塚の跡と目印に植えら
れていた松の枯れた切り株が残されている。
宿場町の中央に建つのが、木之本地蔵院(淨信寺)だ。
昔から目の仏様として信仰を集め、境内に建つ6mもの地蔵像が全国から訪れる
参拝客を迎えてきた。
これにより木之本宿は門前町としても発展を遂げてきたのである。
宿場の南側には、「右 京・いせ道 左 江戸・なごや道」の道標が建っている。
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