中国勝山駅の標高は170mほどであったが、月田駅では200mを越え、
富原駅で287m、その先で更に高度上げ、傍示トンネルを抜けた刑部駅
辺りでは300mをはるかに超えている。
やがて丹治部駅を過ぎ380mのサミットを迎えると、岩山駅を経て
後は一気に新見に向けて下っていく。
ここら辺りは、25‰の急坂を上り下りするハイライト区間でもある。
岩山駅もかつては行き違いの出来る駅であったが、今ではお決ま
りのように1面のレールは外され単式1面1線の駅になっていて、列車
が到着した反対側には、かつて人々の営みを支えたホームが草生して
哀れな姿を曝していた。
ここには雰囲気の良い木造の駅舎が残されている。昭和4年に開業
した当時のものらしい。
車窓から眺めるだけで、確かではないが、切妻屋根を持つ瓦葺、木造
の平屋建て、下見板張りで、改札からホームに出る引き違い戸や、窓
枠は昔ながらの木枠のガラス張りに見える。
古い駅舎でも戸や窓枠はサッシに変えられているところが少なく
ないだけに貴重な存在だ。ホームを照らす明かりも、陣笠状の傘に
裸電球が差し込まれていて、夜になればオレンジ色のあたたかな明
かりを灯すのであろう。
昭和初期の頃、頻りに造られた駅舎の典型的な姿のようで、途中
下車してじっくりと見てみたい、そんな衝動に駆られる駅である。
しかし一旦降りてしまえば次の列車が来るまで2~3時間も待たな
ければならない程本数が少ないから安易に降りるわけにはいかない。
何せ典型的の過疎のローカル駅で、一日の乗客数は10人に満たない
と言うのだから本数が少ないのも当然である。(続)
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富原駅で287m、その先で更に高度上げ、傍示トンネルを抜けた刑部駅
辺りでは300mをはるかに超えている。
やがて丹治部駅を過ぎ380mのサミットを迎えると、岩山駅を経て
後は一気に新見に向けて下っていく。
ここら辺りは、25‰の急坂を上り下りするハイライト区間でもある。
岩山駅もかつては行き違いの出来る駅であったが、今ではお決ま
りのように1面のレールは外され単式1面1線の駅になっていて、列車
が到着した反対側には、かつて人々の営みを支えたホームが草生して
哀れな姿を曝していた。
ここには雰囲気の良い木造の駅舎が残されている。昭和4年に開業
した当時のものらしい。
車窓から眺めるだけで、確かではないが、切妻屋根を持つ瓦葺、木造
の平屋建て、下見板張りで、改札からホームに出る引き違い戸や、窓
枠は昔ながらの木枠のガラス張りに見える。
古い駅舎でも戸や窓枠はサッシに変えられているところが少なく
ないだけに貴重な存在だ。ホームを照らす明かりも、陣笠状の傘に
裸電球が差し込まれていて、夜になればオレンジ色のあたたかな明
かりを灯すのであろう。
昭和初期の頃、頻りに造られた駅舎の典型的な姿のようで、途中
下車してじっくりと見てみたい、そんな衝動に駆られる駅である。
しかし一旦降りてしまえば次の列車が来るまで2~3時間も待たな
ければならない程本数が少ないから安易に降りるわけにはいかない。
何せ典型的の過疎のローカル駅で、一日の乗客数は10人に満たない
と言うのだから本数が少ないのも当然である。(続)
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