「終着駅」という言葉に、何とはない得体の知れない懐かしさを感じ
るのは、何も鉄道ファンに限ってのことではないようだ。
それが証拠に、これを題名にした歌謡曲や映画・テレビ番組なども作ら
れているし、ここを舞台にした物語も多く語られている。
しかし例えば東京駅は新幹線の「終着駅」では有るが、この駅では心
理的に特別な背景が無い限り、情緒的になることはまずあるまい。
それはここが単なる下車駅、或は乗換駅で、物理的に言えば、この先ま
だ線路が繋がり延びていて、ここでは「終わり」という実感が湧いてこ
ないからである。
ある列車の終着駅と言うだけでは無く、他の鉄道や路線への乗り換え
が出来ない、文字通りその先はもう何も無いと言う駅。
いわゆる「行き止まり路線」の「終着駅」にはるばる辿り着いた時、取
分けそこが寂寥感の漂うもので有れば、尚更人は特別な感慨を抱き、哀
愁を感じるのではなかろうか。
つまりそこは「行き止まり」で、「ここまでやってきた」「先はもう
無い」「これで終わり」等と、そこで一抹の寂しさを感じる心が働くか
らだと思う。しかし時に人々は、そんな行き止まりの路線を「盲腸線」
などと呼ぶことがある。多くは営業キロの短い路線が、盲腸のように役
に立たない存在だと、揶揄して呼んでいる。
しかしどんな短い路線でも、その歴史を見つめれば、地域にとっての
鉄道はどれ一つとて不要の長物ではない筈だが、残念ながらかなりの路
線が廃線の憂き目を見て、終着駅は確実にその数を減らしている。
そんな時代だからこそ、砦を末永く守り続ける為にも・・・、車では
なく、敢えて列車に乗ってその地をはるばる訪ねてみる。
こんな鉄道の楽しみ方が有っても良いのではなかろうか。(完)
(写真:津軽線・三厩駅)
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