東海道は黄瀬川を渡り、沼津の町に入ってきた。
下石田の辺りで、左に狩野川が近づいてくるが、川は高い堤防に囲まれ
ているので街道からは川面を見ることは出来ない。
江戸から30里の一里塚が、清水町伏見の地にあった。
この塚はこの前の玉井・宝池両寺の塚からは一里に満たない場所にある
と言う。実際地図ソフトで測ってみると3キロ程しかない。
この先が宿内となる為、それを避け便宜上手前に設けられものらしい。
その近くには玉砥石と言うものが有った。
今から千年以上も前、玉類を磨くために用いたと考えられる砥石らしい。
周辺は大昔の集落跡や古墳も多く、各種の玉類も出土しているが、この
地域が玉造郷で有ったと言う根拠が乏しく、謎を秘めた石で、県下では
例のない貴重なものだそうだ。
その先の地名を三枚橋と言う。
箱根東坂の入口にも三枚橋というのがあったが、その名は架けられてい
た地獄橋、極楽橋、三昧橋と言う三本の橋に由来するが、当地の橋は、
三枚の石の板で出来た橋というのがその名の謂われだと言う。
橋は東海道が沼津を通るようになった鎌倉時代から有ったことが知られ
ていて、沼津宿の入口に当たる。
広重の描く「東海道五十三次之内 沼津 黄昏図」に描かれているのがこ
の橋だと言われている。しかしこの図は一見すると木橋のようにも見える。
元々有った小さな石橋が掛け替えられたものかと思ってみたりもする。
市内を流れる狢川に架かっていたらしいが、今ではその所在はほんの一部に
知られるだけのようだ。(続)
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