簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

野崎観音(四国遍路の旅・高野山編)

2015-11-20 | Weblog


 「野崎参り~は、屋形船で~参ろ~♪♪」
幼いころ親父が口ずさんでいたこの歌の、このフレーズだけが妙に記憶とし
て残っている。
この先で、確か「お染・久松がどうしたこうした・・・」と出て来る筈であるが、
詳しく覚えてはいず、思い出すことも出来ないが、この冒頭の一説だけは
今でも時々鼻歌のように口から飛び出してくる。



 四条畷から大東の町に入って来た。
狭い道幅の両側には、住宅が庇を触れ合うように建っている。
ここからは車の喧騒からも離れ、何と無く旧街道の雰囲気が感じられる道
を行くことになる。



 分岐から、500メートル程入り込んだところに「野崎まいり公園」が有った。
野崎参りで知られた「野崎観音」への入り口近くに建つ公園は、和風建築
公園と書かれていてこの日は休園日とかで木製の扉が固く閉ざされていた。



 その先に野崎観音・慈眼禅寺に向かう参道の石段が、山の木々の中に
延びている。
行ってみたい気持ちはあるが、生駒山地の中腹にある寺まで歩き疲れた身
体を運び上げる気力も無く、石柱に軽く頭を垂れ、先を急ぐのである。



 かつてこの生駒山地の西麓一帯は、寝屋川やその支流の谷田川に繋が
る大きな沼池(深野池など)の多い湿潤な地で有ったので、高野街道はそ
んな緩い地を避け、山裾近くを南北に貫いていたと言う。
「野崎観音」は、その東高野街道の道筋にある。



 その昔、五月初頭の「野崎参り」の頃になると、大阪・天満橋から川を伝
い深野池まで、参拝客向けに屋形船が運行されていたらしい。
冒頭のフレーズはそんな情景を唄った「野崎小唄」の一節だ。(続)




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