簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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楠公の地(四国遍路の旅・高野山編)

2015-11-18 | Weblog
 四条畷歴史民俗資料館を後に、少し歩くとその先で国道170号線に行き
当たる。
このあたりが、南北朝時代の四条畷の戦いの旧跡らしく、和田賢秀公の墓
所との説明が有るが、時代背景や賢秀公のことは良く知らない。



この時代の歴史に疎いとは言え、この地に来て楠と言えば、やはり四条畷
の楠正成や楠正行のことぐらいは思い出す。



 正成は建武の新政の立役者として知られる武将で、鎌倉時代には悪党と
か非御家人と呼ばれるが、江戸時代には忠臣、明治になると「大楠公」と呼
ばれた人物である。
その嫡男の正行は「小楠公」とも呼ばれていて、それの所縁の地でもある四
条畷には、そのものズバリの「楠公(なんこう)」と言う地名が残されている。



丁度この辺りの新道(国道170号線)は、もともとの「東高野街道」の古道と
重なる道で、車の往来の多い賑やかな通りである。
そんな通りを少し歩くと四条畷神社がある。



 南北朝時代、南朝の将として四条畷の戦いで敗死した楠正行を主祭神と
し、その楠一族も配祀する神社である。
その街道沿いに面して、参道へと通じる一の鳥居が建っている。
飯盛山の西麓に建つ神社の拝殿までは600メートル程、真っ直ぐに広い参
道が延びている。



 北条交番前を過ぎ、真新しい山門の前に「小楠公並一族菩提寺」と書か
れた石碑の建つ十念寺の前をやりすごし、ここで国道170号線を離れ、左
の旧道へと向かうと、道は四条畷市から大東市に入っていく。(続)






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