江戸時代の貨幣価値は時代により変るが、一般的には一両は10万円程
と言われている。
(判断基準が複雑で、20万円等色々な説があり断定は出来ないようだ)
従って銭一文は25円位となり、旅を続ける庶民に取って、藤川宿での飯
盛り女の相場500文は決して安い金額では無かったようだ。
この宿場も人口の内訳を見ると、女の方が100人程男を上回っている。
当時の男女人口比を宿場内に限ってみれば、女が多い宿場はかなり有る。
これは本陣や旅籠の女中、飯盛り女や遊女等、女の働き口が宿内には多く
あったからであろう。
遊女が多い吉田宿では、47:53と人口の半分以上を女が占めていた。
全国の男女比がほぼ同数になるのは、幕末以降らしく、八代将軍の吉
宗の時代辺りまでは、3:1位で圧倒的に男が多かったようだ。
この事からも、宿内に集まった女の多さが際立っている様子が知れる。
その反面、これだと在郷に女は殆どいないことに成り、村に残る若い男
たちの女不足・嫁不足は深刻な問題であったようだ。
宿場の遊女宿や、城下町の遊郭が繁盛した背景には、こうした女の少
なさが有ったとも言われている。したがって、当時は在郷の男が、宿場
等へ女郎買いに出掛けることは、黙認されていたようだ。
しかし身近に女がいないと悩む男にとって、それらの場所は、決して安
くはなく、銭が無ければ訪れることも出来なかった。
この悩みを解消し、欲求を満たしたのが「浮世絵(江戸絵)」らしい。
これまでの絵画の世界は京都が中心で有ったが、何時の頃からか、江戸の
版元が遊郭の様子や芝居の舞台など、浮世の好色の世界を描いて競って出
版するようになった。
これにより女日照りが潤されたのかは知らないが、江戸土産としても評
判を呼び、瞬く間に全国に流行っていったという。(続)
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