家並みの長さが凡1㎞にも及ぶ藤川宿の通りは、国道1号線とは切り
離され、間に割り込むように名鉄の名古屋本線が走っている。
従ってこの広い旧道に入り込む車は少なく、散策にはもってこいである。
通りには、往時を偲ばす連子格子を嵌めた町屋造りの民家が何軒か残
されている。
殆どは、間口の広い平入りの二階建ての堂々とした家屋だ。
屋根は低く抑えられ、通りに向けて庇を揃えて並び立っている。
そんな中で代表的な建物が、旧野村家住宅(米屋)である。
幾度か改修の手は加えられているらしいが、構造自体は古く、天保年間
の建築らしい。
岡崎市の「景観重要建造物」の指定を受けている。
また通りで一際目立つのが、古いものではなさそうだが、三階建ての
白亜の建物だ。
城の櫓を思わす白壁で「粟生人形店」の店舗は通りで異彩を放っている。
およそ800年も続いているという元々は武士の家系らしく、人形作りを始
めたのは昭和に入ってかららしい。
宿場の中程にあるのが嘗ての脇本陣、橘屋大西喜太夫家である。
明治天皇が休息をされ、昭和に入ると町役場として使われたそうだ。
享保年間に建てたという現存する門を潜って入ると、今は藤川宿資料館
になっている。
管理人は不在で、町民が交代で施錠・解錠の管理を行っていると言い、
内部は自由に見学をすることが出来る。
人形店の向かい側に有るのが高札場跡で、更に問屋場跡もあるが何れ
も案内板のみの遺構である。
この宿場には史跡らしいものは少ないが、それでもこの通りは、江戸の
時代の宿場町を思わせる風情を良く伝えている。(続)
にほんブログ村
離され、間に割り込むように名鉄の名古屋本線が走っている。
従ってこの広い旧道に入り込む車は少なく、散策にはもってこいである。
通りには、往時を偲ばす連子格子を嵌めた町屋造りの民家が何軒か残
されている。
殆どは、間口の広い平入りの二階建ての堂々とした家屋だ。
屋根は低く抑えられ、通りに向けて庇を揃えて並び立っている。
そんな中で代表的な建物が、旧野村家住宅(米屋)である。
幾度か改修の手は加えられているらしいが、構造自体は古く、天保年間
の建築らしい。
岡崎市の「景観重要建造物」の指定を受けている。
また通りで一際目立つのが、古いものではなさそうだが、三階建ての
白亜の建物だ。
城の櫓を思わす白壁で「粟生人形店」の店舗は通りで異彩を放っている。
およそ800年も続いているという元々は武士の家系らしく、人形作りを始
めたのは昭和に入ってかららしい。
宿場の中程にあるのが嘗ての脇本陣、橘屋大西喜太夫家である。
明治天皇が休息をされ、昭和に入ると町役場として使われたそうだ。
享保年間に建てたという現存する門を潜って入ると、今は藤川宿資料館
になっている。
管理人は不在で、町民が交代で施錠・解錠の管理を行っていると言い、
内部は自由に見学をすることが出来る。
人形店の向かい側に有るのが高札場跡で、更に問屋場跡もあるが何れ
も案内板のみの遺構である。
この宿場には史跡らしいものは少ないが、それでもこの通りは、江戸の
時代の宿場町を思わせる風情を良く伝えている。(続)
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます