簾 満月「バスの助手席」

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番町線の終点 (岡山市内路面電車・番町線)

2021-08-13 | Weblog


 番町線の線路は「後楽園口」を出ると城下筋に突き当り、それを左に
折れ西進する。この角の最初の電停が「憲兵隊前」だ。
大日本帝国陸軍憲兵分隊が各県に配置されたのは、明治20年代のことだ。
古い地図を見ると、今日就実学園高等学校の第一体育館が建つ辺りに、
「憲兵隊岡山分隊」の建物が記されている。



 就実高校の前身、「私立岡山実科女学校」は、明治37(1904)年
にこの地で設立された。その7年後には「就実高等女学校」と、校名
の変更を行い、戦後になると中学校も開設される。
憲兵分隊は第二次大戦後には解体され、それに伴いこの電停は「就実
学園前」となった。



 次が終点の「七番町口」、後の「番町」である。
前の電停からは200m程離れた、今日の岡山中央小学校の西端前辺りと
思われるところだ。
開業当時、ここには弘西小学校が有った。



 妙応寺境内に前身の「第二学問所」が創立されたのは明治5(1872)
年のことで、5年後に現在地に移転して弘西小学校と名前を変えた。
戦後には岡山市立の小学校となったが、平成に入り統合され130年近い
歴史の幕を閉じている。
現在道路に面した校門の両側にある古めかしい石造の台座は、昭和初期
に建てられた当時の遺構らしい。



 城下から分岐した、僅か900mの路線の終点がこの番町である。
真っ直ぐに西進すれば環状化の経由地の万町(現万町跨線橋)の辺りだ。
電停は将来の延伸・環状線化を考慮して、終点構造に見る、あの車止め
も何もないものであった。
当時の写真を見ると、道路中央に軌道敷が敷かれているが、刃物で切った
ように軌道敷も線路も突然に途絶えている。(続)





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