東海道五十七次は既に伏見の町に入っている。
京町通りで国道を横断し、最初の交差点を右折、突き当たりを左折し、
近鉄京都線の高架を潜り、両替町通りを進む。
一般的に宿場の入口には木戸や高札場が置かれていたが、伏見では場
所の比定が出来ていないのか、これまで説明板もなかったようで宿場町
がどの辺りから始まるのかは解らない。
その先、銀座町の交差点を右折、300m程歩き御駕籠郵便局のある角
を左折する。この辺りの字は「板橋」と言うらしいから、嘗ては境川が
流れ、そこには板製の橋が掛けられていたのか。
橋を渡れば伏見宿・・等と想像をしてしまうが、勝手な憶測でしかない。
伏見区区役所を左に見ながら700m程行った中油掛町で右折、200m
程で広い通りに出て左折中書島に向かう。
銀座町の通りの由来は、徳川家康が銀座を置き銀貨をつくらせた所か
らきている。日本で最初の銀座が置かれたといわれていて、東京の銀座
は伏見の後に置かれたものだ。
伏見宿は人と物資が集う水陸交通の要といわれ、東海道54番目の宿
場町で有る。本陣が4軒、脇本陣2軒、旅籠は39軒を数え人足100人、
馬100疋を擁していたという。
当時の戸数は6千軒を超えていたといい、人口も2.4万人程いて可成り
の規模の町であった。
鉄道駅で言うなら、丹波橋から南、伏見桃山を経て中書島に到る西側
の区域辺りが伏見宿の中心的な場所のようだ。
今でも細い通りが碁盤目状に整備され、賑やかな町並を形成している。
町屋の中に寺院があり、昔ながらの商店街や、明らかに観光客目当ての
通り、アーケードの有る商店街などが混在し、老舗の商店が今風の小洒
落た店と軒を並べている。(続)
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