簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

四国遍路 民宿・大盛屋

2011-11-07 | Weblog
 旧一本松町の中心部を通る旧国道に面した、女将さんが一人で切り盛りする
民宿・大盛屋に宿を取った。この日の泊客は、我々二人だけらしい。

 隣で自動車屋を営むご主人の母親が、昭和26年から初めた民宿を、役場勤めを
辞めて引き継いだと言う女将、主人とは「全く別々、民宿には全く関与しな」と笑う。



 「絶対歩きなど出来ん」
「だって、何時も一緒にいたら、喧嘩ばかりするだろう」と夕食時、ご主人の事を
屈託も無く話してくれた。
 外人の遍路が泊まった時の話を面白おかしく聞かせてくれた女将さんは、ご主人
より二つ年下だと言う。そのご主人は我々と同年代、道理で話が合うはずだ。



 知り合いの豆腐屋が毎朝届けてくれると言うやや硬めの豆腐や、「お遍路さんへ
の気付けには良い、主人も大好物やから」と言う、目の覚めるような辛味大根等の
朝食を頂いた雨模様の朝、関与しないご主人と女将さんに見送られ、8時過ぎに宿
を発つ。



 旧一本松町の宿から、第40番に向かうルートは、二通りある。
一つは、札掛・豊田を抜ける県道299号を行くルート。
もう一つは、国道56号を行くルートで、距離的にはこちらの方が2キロほど短く成る。



 出発時、女将さんに「どっちがお勧め?」と聞いたら、「うん~」と首をひねりながら、
「どっちも・・・」と言うので、特段の理由も無く県道を行くルートを選択する。
「喧嘩ばかりする」ご主人が、泊客の出立をわざわざ見送ってくれるのだから、なか
なかどうして、仲の良いご夫婦ではないか。(続)


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四国遍路 旧一本松町へ

2011-11-04 | Weblog
 「従是東土佐國」
「従是西伊豫國宇和島藩支配地」
松尾峠には、貞享年間に建てられたと言う、二本の国境の碑が少し離れて建っている。
 山頂には、藤原純友ゆかりの純友城の跡もある。





 昭和四年に宿毛と一本松を結ぶ道路が開通すると、この街道の往来は廃れ、厳しい
山道は歩き遍路を悩ます遍路道としてその名を今に伝えるのみとなった。



 峠を越えると伊予路に入る。
平成の大合併で近隣の4町1村が合併して誕生した愛南町で、その地名は愛媛県の
最南端に位置することから名付けられたそうだ。

 峠を下る愛媛県側の道路は、良く整備されている。
高知側の厳しい登り道が何だったのか、嘘のように広々とした道幅で、勾配も緩く、
崖側には手摺も整備され、ハイキングコースの遊歩道のような道が、延々と下っている。
 地区の皆さんが年間を通して、手入れ整備をしているとか。



 30分ほどで山を下り小山農道に合流する。
ここからは、旧一本松町の中心部に有る今晩の宿「大盛屋」を目指すことに成るが、
まだ1.5キロほど残している。
秋の、特に山道の日暮れは早く、山登りでかいた汗が急激に冷えて行くので、少し
いそがねば・・・。



 途中で教えられた、宿への目印の信号が目の前に見えて来た。
土佐くろしお鉄道の平田駅を出発した時、近くの工場のサイレンが、丁度12時を告げていた。 
そして今、一本松小学校のメロディーチャイムが夕方5時を告げている。
 歩き始めて5時間、松尾峠の難所を越え、どうやら予定の時間には宿に入れそうだ。(続)




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四国遍路 松尾峠越え

2011-11-02 | Weblog
 宿毛の手前で進路を山側に取ると、松尾峠越えの道に進む事に成る。
町を抜ける56号線から外れ、住宅地に続く道に入り込むと、左手に「宿毛貝塚」がある。
 縄文後期の遺跡で、四国では最大規模の貝塚らしい。



 みかん畑を見ながら進む道は、舗装されているが急勾配は意外にきつい。
時折見える宿毛の海が疲れを紛らわせてくれるのが有りがたい。
舗装道が尽きると地道に成り、今度は緩やかな下り道に転じ、その先はこんなに登っ
て来たのかと訝る程の下り道が続く。



 30分ほどで、錦の集落に到着。
「3000m 松尾峠 へんろ道」と書かれた看板が、民家の庭先を指している。
ここから先は峠まで3キロ、高低差290mの厳しい上り坂が待っている。
 途中「土佐の褐牛」の牧場が、伊予路の国境の近いことを知らせてくれる。



 松尾坂は伊予と土佐を結ぶ重要な街道で、麓には番所が設けられ、日に200~300人
も通る旅人を取り締まっていたらしい。
 当時の関守の子孫は、現在も当地に住みついていると言う。
その番所跡を過ぎた辺りからは残りが2キロ程、いよいよ更に厳しい登り道に成る。



 鬱蒼と茂る木立の中に切り開かれた旧道は、枯れ落ち葉、岩肌の凹凸、露出した木
の根、大きく掘れた道の繰り返しで、歩き難いことこの上ない。
 往時の石畳の遺構や、戦時中に切り倒し、根までも掘り起こした松並木の掘り跡等
が街道の古さを物語っている。



 宿毛の町を出て、5キロ余りの道程を2時間掛けてようやく辿り着いた。
松尾の大師堂の残る標高300mの峠には、うす暗いじめじめとした僅かばかりの平坦地
に、往時は2軒の茶店が有ったと言う。(続)


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