簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

池鯉鮒宿(東海道歩き旅・三河の国)

2022-03-07 | Weblog
「町の右の方に長き池有り 神の池なり、鯉、鮒多し 依って名とす」



 松並木を抜け、途中右にカーブする国道1号線と分かれ、左の旧道に
入りその先で名鉄三河線を越える。
西三河では比較的大きく賑やかな知立の町の中心部に入ってきた。



 当地は古来から「知立」或は「智立」と書き、江戸時代には「池鯉鮒」
と書かれている。
池鯉鮒と言う地名の謂れとなった池の所在は、三河の国の二の宮、池鯉
鮒大明神(知立神社)で、宿場の西外れにあると言う。



 「知立」は、39番目の宿場町で、三河の国ではここが最後の宿で有る。
宿内には、本陣と脇本陣が各1軒、旅籠は35軒で、戸数は292軒、人口が
1,600人余りだ。
 馬市が開かれると、大いに賑わったと言うが、宿場の規模としては左程
大きくはなく、旅籠の数も決して多い方でもない。



 馬市で幾ら多くの人が集まるとは言え、年一回、一ヶ月間ほど開催さ
れるだけでは間借に合わないのか旅籠の数が意外と少ない。
一年分を稼ぎ出すまでは行かなかったようだ。

 馬市の開かれる松並木道の両側には、馬を繋ぎ止めておく為の側道が
あったと言う。
馬喰だけが旅籠に泊るわけにもいかず、手塩にかけた馬と共に、別れの
日までそこで野宿でもしていたのであろうか。



 宿入口近くに秋葉灯籠が残されているとは言え、この地もご多分に漏
れず、近代的な町並で、旧街道らしい風情を見出すことはない。
街道筋に、知立城跡、本陣跡、問屋場跡等を示す石碑が立つのみだ。(続)





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首夏・馬市(東海道歩き旅・三河の国)

2022-03-04 | Weblog


 衣浦豊田道路を横断歩道橋で越えると、そこは「並木八丁」と呼ばれ
る池鯉鮒宿の東の外れで、見事な松並木が残されていた。
公園風に整備された松並木の緑地には遊歩道が延び、至る所にモニュメ
ントや案内板が飾られている。
この道は「新日本歩く道百選」に選ばれ「宿場散歩道」を構成する一部
となっている。



 つい近年までこの付近には1㎞に及ぶ松並が残されていたらしいが、
住宅の建設などで今では450m程に半減してしまった。
追い打ちをかけたのが伊勢湾台風で、多くの大木が根こそぎなぎ倒され
てしまったそうだ。
その後若木などを補植し、ようやく今日の姿に甦ったと言う。



 「かきつばた 名に八ツ橋のなつかしく 
         蝶つばめ 馬市たてしあととめて」(麦人)

 丁度この辺りが引馬野と呼ばれる地らしい。
広重の「池鯉鮒 首夏馬市」で描かれた、馬市の場所に当り「馬市の碑」
と「馬市の句碑」も立っている。



 首夏というのは、初夏のことだ。
丁度その頃に当る毎年4月の末から5月初めにかけ、ここでは馬市が開か
れていて、遠くは甲斐の国や信濃の国などから、数百頭の馬が集められ、
取引されていたという。
この側道を持つ松並木は、馬を繋ぎ、留め置く為でもあったようだ。



 馬市が開かれると、「駅中大いに賑わい、諸品の市店をかざりて、近
国より馬方馬長集まること多し」「四方より馬を出し うり買いする也」
と言われるほどの賑わいを見せたようだ。
それを目当てに、「処方より傾城多く集まり、市立ての人契る」有様で、
中にはすっかり遊女に入れ込んで、折角手にした売買の代金をなくす者
もいたそうだ。(続)





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カキツバタ(東海道歩き旅・三河の国)

2022-03-02 | Weblog


 池鯉鮒に向かう旧街道には、まだ所々に松並木が残されている。
そんな並木に導かれ、猿渡川に架かる猿渡川橋を渡る。
その先の来迎寺町の交差点の角に、元禄時代に建てられたという、古い
道標が立っている。



 「従是四丁半北 八橋 業平作観音有り」
在原業平所縁の無量寿寺へ導く、追分けに立てられたものだ。
この無量寿寺は、奈良時代に創建された臨済宗のお寺だ。



 寺の境内には、杜若池を巡る回遊式の庭園が有り、本堂の裏手には、
八橋カキツバタ園が広がっているそうだ。
カキツバタは知立市の花として親しまれていて、見頃を迎える4月末か
ら5月下旬頃には、毎年「かきつばた祭」が行われるらしい。
街道筋にもそののぼり旗が幾本も立っていた。



 ここ八橋村一帯は、昔からカキツバタの群生地として有名であった。
この地を訪れ木陰で食事をした在原業平が、「伊勢物語」の中で、カキ
ツバタの五文字を読み込んだ詩を創り、それが知れ渡り以来カキツバタ
の名所となった。

 その道路を隔てた反対側に来迎寺公園が有る。
ここには嘗ては松が植えられていたと言う来迎寺一里塚跡もある。



 その先の衣浦豊田道路を越える横断歩道橋の手前に、「明治用水西井
筋緑道」と書かれた看板が立っている。
丁度この辺りの道路下が、管路化された明治用水が埋められていて、
その上部の筋が緑道遊歩道化されたものだという。
豊田・安城・知立・刈谷に跨がる全長14.3㎞の路らしい。



 それを過ぎると松並木道となり、公園風に遊歩道等が整備されていて、
池鯉鮒宿に向かう街道となっている。
そこの池では、カキツバタが咲き始めていた。(続)




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