知立宿を目指す街道で、知立が近づくにつれ、街道筋の「大あんまき」
を売る店を気にかけてここまでやって来たが、残念ながら見付けることは
出来なかった。
国道1号線まで足を延ばせば「大あんまきの藤田屋」の本店が有る。
名鉄知立駅の近くに売店もあるらしいが、流石にそこまで足を延ばす元気
は残っていない。
知立神社の参道にも、「小松屋本家」の店がある事を後から知ったが、
神社には立ち寄らなかったので見逃してしまった。
ここは明治22(1889)年頃から販売を初め、元祖を名乗っている。
懐かしい味を食べ損ね、後ろ髪引かれながら、町並を抜ける。
国道を越え逢妻川に行き当たり、「出口池鯉鮒大橋、土橋七間斗」と言
われた逢妻橋を渡る。
ここら辺りが知立宿の西出口に当たる場所であろう。
その先が一里山で、嘗て一里塚があったが今では開発も進み、場所の
特定が出来ていないという。
所々で国道1号線を歩き、今川町の交差点を過ぎ右の旧道に入り込み、
敷島製パンの刈谷工場の前を通り過ぎる。
その先で、少し坂を上り境川に架かる「境橋」を渡る。
当時は川に中州が有り、それを挟んで東側には土橋が、西側には板橋が
かけられていたが、洪水の度に流され、やがてこの継ぎ橋は一続きの土
橋に修復されたと言う。
「うち渡す尾張の国の境橋 これやにわかの 継ぎ目なるらん」
(藤原朝臣光廣)
川は今でも刈谷市と豊明市の境で、三河の国はこれで終わり、橋を渡れ
ば尾張の国へと入っていく。
最初の宿場・鳴海へは、二里半十二町(凡そ11.1㎞)の長丁場だ。
(東海道歩き旅・三河の国 完)
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