まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

介護認定は「自立」という

2024-06-07 | 暮らし
コロナですっかり95歳らしくなり、毎朝の食事を部屋に持っていくのが癖になった。
昼と夜はダイニングで一緒に食べるが、朝は食事を運ぶと、たいがいテレビの前のテーブルで座椅子に寄りかかって寝ていることが多い。
弱ってきた感じがするし、実家の母はそれほどでもなかったが、数年前ひとり暮らしなので心配で、介護申請したら「要支援」だったので、いよいよ95歳の義母も耳は殆ど聞こええないので、認定をしてもらおうと連絡した。
さて、コロナも回復し、畑は辞めたが草が生えるのが嫌ということで、耕運機を動かしたようだ。
そのせいで、痛い腰がさらに痛くなって、食後はテーブルに手をついて立ち上がらなくてはならない。

しかし、認定の方が見えて「耳は聞えんけど、メールできるし大丈夫」という。
「へぇ~、すごいですね~」と、言われる。
こういう時は、相手の顔で驚かれて褒められているのは分かるようだ。
しかし、病院へ連れて行くと、わたしが通訳しなくては、先生や看護師と意思疎通できないのである。
全く違うことを勝手に話し出したり、聞こえたふりをしたりする。
立ってみてくださいと言われたら、手をつかずすくっと椅子から立ち上がる。
チェック項目に〇をつけるのも、
「買い物は運転できんし連れて行ってもらうけど、ひとりでできる」と、アピールする。確かにいつものところで、ちゃんとかごに入れてレジへ持っていくし、WAONカードでの支払いもできるし大丈夫ではあるが。
毎食、食事を作るのはわたしだが、これは要支援にあたらない。
世の食事を作らない夫たちは、要支援かというとそうではなく、単に役割分担であるだけだから、嫁の役割であるので上げ禅据え膳は、支援ではない。
結果は「自立」とのこと。と、いうことは別居してもいいってこと?

介護保険を払ってばかりだから、使う年頃になったし使いたいと言った義母であるが、いざとなると元気で若い、「え~95歳に見えない!!」と、言われたい様子だ。
自立の女性ふたりなら、扶養家族にしてあるが、同居でも別世帯にした方が良かったかもしれない。補助金とかそれぞれに貰えるのだ。しかし、今更。
家の経費の支払い、様々な付き合い慶弔、税金の支払い。当たり前にしている。分けるべきだったか。
知り合いの女性で、ご主人が亡くなった時、相手方の親戚にもうお付き合いはしません宣言をしたというのを聞いた。
しかし、田舎の町ではそれは出来ないね。あ、その人も田舎の町だが。

そのような話ではない。今年に入って、やはり心配な面は多いのである。
しっかりしていた義母ではあるが、物忘れもちょくちょく。

今日も義歯が痛くて歯医者へ連れて行った。
傷の薬として、うがい薬を薬局からもらって帰った。もちろん、電話が出来ないし予約手続きから、呼ばれたときに部屋へ誘導し、付き添って診察を受けなくては、先生との会話が出来ない。
支払いをすませ、待合室で待たせて薬局へ行く。
さて、昼ご飯の後、うがい薬が使えないという。
傾けて頭を押しても液が出てこない。
おかしいね。プッシュ式ではないので横にしたら出ると説明書に書いてある。
傾けても、逆さにしても出てこない。困って薬局に電話したら、
「物理的に傾けたら出るようになっています」とのこと。
でも、出ない。
仕方がないので、また車で薬局まで行く羽目に。
さて、窓口で容器を傾けると、出ませんね。
「空っぽですよ。」えっ!そういう落ちか!と、いう感じ。
お恥ずかしい限りだ。すみません・・お騒がせをしました。
家へ帰ると、さっきもらった袋は封切せずに義母の卓の上にあって、ずっと前のうがい薬をどこから出したのか居間にいる私に持って来たのであった。
それも、説明書と共に。
てっきり今の物と思う。中身が見えない白い容器で、口の所に青い液は若干残っていて、たれてこなかったのである。
まさか空の物を持ってきているとは思うはずもなく。

畑の草も草刈り機で刈ってというので、汗だくになって刈る。
そのように、午前中は棒に振ったのである。

安心して家を空けることは出来ず、長期の時は娘に安否確認をしてもらう。
食事の用意は、不在の時の分は作り置きし、冷凍やフリーズドライのものを用意する。
まあ元気な方ではある。自分のことは出来るし、大量の薬を間違わずにちゃんと飲むし。高齢の人は、それを「自立」というのかもしれない。

最近は介護認定は、なかなかしてもらえないのだと後で友達から聞いた。





正座ができないところから、チョンボまで

2024-06-05 | 弓道
さあ!今年は新入部員が8人も入ったし「がんばりましょうね」
新しい弽を買って、坐してはめることを教えたが、着け終わらないうちに
「あ~、もうだめや~」と、足を崩す、その声をきっかけに、ふたり、3人。
足を崩す。正座が出来ないのだ。そうなると跪座も出来ないわけだ。
素直で可愛らしい子供たちで、楽しそうにやってくる。
チームも組めないほど少ない部員数だが、教えるにはちょうどいいかもと思う。
初心者には手取足取りが必要で、2年生は二人だけだし。

さて、的前に立って足踏みをすると、初めに教えたようにしないのである。
射位に進んでの足踏みは、左足を真横に向け、右足が真っすぐで、先に出した左足に右足を揃えて・・というところで、右足が左足を出した瞬間に、足を寄せずに足踏みの位置にくるりと開いしまう生徒が何人かいて、つい
「チョンボしないで。、習った通りの足踏みをしましょう」と、言うと、みんなが目を丸くして、一瞬静まった。
「チョンボって何ですか?」と、言うので
「えっ!知らん?間違いってこと。ルール違反という感じかな。」
もしかして、昭和の言葉で死語なんかい?と、不安になった。
そして、彼らは「チョンボ、チョンボ」と、口々に言いながら楽しそうに足踏みをしていた。
余計なことを教えてしまったのかなあ。
不適切な言葉だったのだろうか?
麻雀用語であると言っても余計ややこしいだろうな。
 

BBQ

2024-06-05 | 弓道
草刈に没頭していて気づいたら13時過ぎて、14時から弓道協会のBBQだったのだ。
Mさんに遅れる旨を電話で伝え、大急ぎで帰宅しシャワーを浴びてから、土山ブドウ園へでかけた。
すでに、いい感じで肉が焼けていて、申し訳ないことだった。
各自飲み物は持ち寄りで、場所代一人800円で、持ち込み無料ということだ。


煙が向かってくるが何のその。
フリーのビールなのに酔った気分で話が弾む。
このウインナーが旨いのなんの。塩味が効いていてビールがすすむのである。
熱々、プチッ、うまっ!!



ここは、ブドウ園だが、BBQ小屋があって、桜の季節は桜のトンネル、菜の花満開、夏はヒマワリの迷路ができ、季節ごとに楽しめるのだ。



今度は、夏に有志でヒマワリBBQをしよう!と、なんとも楽しい計画だが、たぶん夏は北信越大会のお手伝いで忙しいらしいぞとのこと。
何はともあれ、老若男女ともに食するのは楽しいものだ。
帰りはアッシーとしてお仕事を致しました。


趣味は草刈?

2024-06-03 | 暮らし
薄曇りの日は草を刈るにはもってこいだ。
コロナ前は晴れたら山に登っていたのに、すっかり山を忘れ、それより家の事をしなくてはという気持ちだけで、草刈をするようになったら、これがおもしろい。
家の庭の草むしりより、草刈り機の威力で達成感が違う。
例の空き地にピンクのイモカタバミが少しずつ増えてきたが、ドクダミに占領されそうで、丁寧に抜き取った。これは機械ではできない。

それぞれが主張して大変な状況になっている。
また背の高いタンポポが広がっている。(ブタナでした)


ヒオウギが伸びてきている。


この青いのは何だろう。(ワスレナグサかキュウリグサとのこと)
雑草でも花が咲くと刈り取るのが可哀そうになる。



誰か買ってくれないかなあ。家を建てたい人いないかなあと思いつつも、少しずつ花が咲くと嬉しい。


特に嬉しいのは、3年前に家のアジサイを挿し木して、鉢で育てて地植えしたのが、初めて花をつけたことだ。
地植えしても、小さな芽が出ただけで土が悪いので育たず、その周りに、油粕や腐葉土を少し入れた。
昨年は、15㎝ほどになって、何とか伸びてくれそうな感じがした。
それでも花をつける気配はなかった。
なんと、今年は枯れ葉を周りに撒いたりして世話をしたせいかついに花が!!
小さいけれど楽しみ。


バッテリーが切れるまで楽しんでいたら、13時7分になっていた。
ひえ~~この後、14時から約束が~~汗だくだ・・



ついにオーガスタが

2024-06-02 | 暮らし
家を建ててから20年余り。新築祝いに頂いたオーガスタが、わたしの身長より大きくなり、何回か植木鉢を大きくして、大事に育ててきたのに枯れた。
大きくて3本~4本の茎で、入れ替わっては伸びていた。
異変が起きたのは、わたしがコロナにかかった頃だ。
いつもなら、次々と新芽が出てくるのに、大きな葉がぐなっと折れ曲がったのだ。枯れていて2枚の葉は処分した。

わたしのコロナが義母に移り、毎朝食事を運び、汚れ物を洗い、世話を焼いているうちに気づいたら、残った元気な葉が丸まったまま開かず、中を見ると縁が枯れていたのだ。


仕方なく処分することにした。
すごく気に入っていた。大きいので守られている気分だったからだ。
今まで何回か根を切って植え替えたが、しばらくほったらかしていたかも。
鉢をひっくりかえすと、根が伸び切って底の網を抜けていて腐っていた。
日頃の忙しさにかまけて気づかずにいた。
その異変がちょうどコロナの頃に家にいてしげしげ眺めて気づいたことで、コロナが移ったわけではないが、そんな気がした。
外は晴れているが、葬送曲を流したい気分だ。
そこに有るものが無くなるというのは寂しい。



市民スポーツ大会

2024-06-01 | 弓道
朝から庭いじりをして、ついでにnanaの朝顔の種を今年も植えた。
小学1年の時の朝顔の種を数粒もらって増やした。
とはいえ、前庭には植えられないので、狭い日当たりの悪い場所に隣の家に向かって懸命に咲く。ついでに、オーガスタも処分した。
夕ご飯を終えて、休む間もなく道着と袴に着替えてすぐ山中に向かう。
20時開始。
市民スポーツ大会は、市民体育大会として日曜に行われていたが、6月初めは河川愛護や町内の草刈とかに重なって土曜の夜にすることになって久しい。
ついでに言うなら、日本体育協会が、日本スポーツ協会と名を変えてから、すべて替えられた。県民体育大会は県民スポーツ大会、県体協は県スポ協という。市の体育課も、スポーツ課となったし、日本体育大学は関係ないと思うが、もし変わって略したら、日スポ大かい?体育という呼び名が昭和だからか?

ここのところ稽古での中りは悪い。
角見だ、肘だ、弽溝にはまっていないのか大三でカチッと音がする。などと、悪い時はあれこれ考える。しかし、その時こそ辛抱!!
とはいえ、良い方向へもっていこうとあがきながら深みにはまるのである。
最後には、稽古で使っている矢の重心が合わないのかな。
下ばかり行くし、いや頬付けがあまいのか。と、身体のせいか、弓具のせいかと考える。どちらも大事なのではあるが、たいてい身体の方が悪いことが多い。しかし、その微妙な違いが自分では深みにはまると分からなくなる。

とにかく、のびのびと引くに限る。胸弦をつけて大きく引くことに心がけるが、中らない。暗いので矢がどこへ行っているのか分からない。
山中での夜の月例会の時も的に中ればどこにあるかがぼんやり分かるのだが、 黒っぽい安土に外れると、上なのか下なのか。
この頃、下に外れていたので下なのだろうと思って引いていて皆それした。
矢をあげにいくと、何と的の上のふちに綺麗に4本、それも的に沿って弧を描いて遠慮がちに刺さっている。
感触は悪くないとでた。これが全部下だと気落ちする。
2回目、気を取り直して引く。
何の作為もなく、策を弄したところで良くならないことは筆致だ
1本目、ガチッとたたいた音。どちらにしても、大きく外れていない。
2本目、やっと中る。若い時と変わらない中て気の射になる。
3本目は早くてやばいが中る。4本目は迷いなく離した。
しかし、皆中の拍手はない。1本目がたたきっぽいからだ。
矢をあげにいくと、皆中だった。
皆中の後の皆それは嫌だけど、皆それの後の皆中はほっとする。
でも、1回戦の皆それは痛い。結果、12射6中で半矢がやっと。
射は会心の出来には程遠い。
会心という言葉の意味が、まさしく弓道の会と通じる気がした。

1位は高校生だった。
納射をしたことがないというので、廊下で教えると姿勢も良いし、飲み込みも良いし、最後に綺麗な大きな離れの中りで締めた。
緊張が伝わり会心の出来だ。




草むしり

2024-06-01 | 暮らし
初夏にはたくさんの花が咲く。
花が咲くということは、草も伸びるということで、休みの日は草むしりに追われる。


苔に生えた草は、1本ずつ丁寧に抜かなくてはいけない。
腰に定点カメラでもつけたいくらいだ。
抜いている先から、また生えているのではないかと疑いたくなるくらい、振り返るとまた見つけては抜く状態。
咲き終わった花の始末をしていたら、袋に一杯になった。


サボテンの花が咲いていた。
黙々と庭いじりしていると、美しいものに出会うが、時間は矢のように過ぎてしまう。
普段から、矢を飛ばして遊んでいるので、全くもったいない時間を使って生きていると思える。
しかし、その事が生きる支えにもなっている気もする。
草がせっせと生えるのも、仕事を天が与えてくれているのかもしれない。






羊毛フェルト

2024-05-31 | 小さきもの
京都で大会の合間に蔦屋の店で思わず買ってしまったポストカード。
前に、小学4年のnanaがわたしに作ってくれたフェルトの犬に、そっくりで驚いた。
以前に貰ったものに弓道着を着せた。
もしまた出来たらお願い、などと言ったら、茶色と白で二つも作ってくれたのだ。
そのワンちゃんとそっくりなポストカードに出会って即買い。

孫娘のmomoとnanaに2種類買った。
お土産に持っていくと、「わぁ~」と製作者のnanaもたいそう驚き喜んでくれて良かった。
子供や孫の作ってくれたものは宝物になる。


県庁へ行きました

2024-05-29 | 弓道
生涯スポーツ功労賞をいただきに県庁へ行った。
玄関ロビーには大野の里のお祝いののぼりがあって、改めて嬉しい気持ちになる。
知事も津幡町役場でパブリックビューイングで優勝の瞬間を迎えたと、後のご挨拶の中でおっしゃっていた。


19階の展望階から、山を眺めた。
医王山が手前に大きく聳え、遠くに立山連峰。
金沢港も見える。高いところから眺めるのはいいものだ。



13人の受賞者のうち、弓道から3人受賞、集合写真の後で3人で記念写真を撮った。

申請から、この表彰式までに1年近くかかった。
まず、市のスポーツ課が申請の書類をそのままにしてあって、期日が過ぎた7月28日にそれを受けてスポーツ協会から、取り急ぎ受けてもらえないかと問い合わせの電話があった。
本来は、市のスポーツ課からスポーツ協会へ話が来て、そこから各協会へ下ろして、協会から推薦者を出すというのが筋である。
年齢の条件もあって異を唱える人はいないだろうが、他協会へ問い合わせる時間がないので、常任理事であるわたしに言えば話が早いので、そういう成り行きの受賞となった。
しかし、受賞確定が知らされたのは、12月7日だった。
夏から冬まで何の音沙汰もなく、いきなり12月22日の表彰式に出られますか?とのこと。申請が通ったとかの連絡がもっと早く知らされるのかと思っていた。そして、12月22日の前日、電話で「大雪のため明日の表彰式は延期です」となった。
その後、改めて2月19日と決まった。
しかし、年が明けて地震が起きたので「限りなく中止に近い延期」と、知らされた。
その後、何の連絡もなく、県弓道連盟で、Mちゃんと花束を頂いたのが先になった。表彰されていないので、正式発表はまだない。
令和5年度のことなので、郵便で表彰状を送ってもらってもいいよねと思っていた。知事も災害のことで忙しいのはよくわかるので。
年度も変わったので、「もうないのなら中止の連絡があってもいいと思うけど」と、スポ協の方に聞いたら、問い合わせてくれて、「5月の末になるようだって言っていた」とのこと。
改めてお知らせが来ると思うのでお待ちくださいって。
5月になっても音沙汰がない。
何回も聞けないし、天皇陛下がまたお見えになれば、それどころではないだろう。下々の私たちでさえ予定は色々あるのだ。
知事となれば、年度も変わったことだし、もう中止としても仕方ないだろう。
ところが、5月20日になって、仕事中電話があった。
「5月29日に表彰式が決まりました。出欠の返事をください」とのこと。
わたしはシフトを組んでいて、その日は出勤だ。
「急ですね」と、言うと、「やっと知事の時間が取れたので」と言いうのかと思ったら、「メールが来ていたのに気づかず、すみません・・」
急いで、休みを交代してもらうお願いをして替わってもらった。
交替してもらう人には、急で申し訳なかった。
しかし、どんなに忙しい課なのだ。申請忘れ、伝え忘れ。
詳細の書類をメールしますというので、家へ帰ってから見ると
「5月17日までに、出欠の返事を下さい」とのこと。
知らされた日は20日だから、県からの問い合わせで知ったのだろう。
メールがあるからいいものの、功労賞を頂く方は年配の方もいる。
郵便でお知らせしたら、戻るのに時間がかかるので、お知らせは2週間以上はいるだろう。
これって、民間の会社だったら、もう取引しないわ。

反対に、県の方は大変だったと思う。
少なくとも、表彰状は2回は書き換えたと思う。
本日の日付が賞状に入っていた。
何はともあれ、皆々様のお陰で、無事頂きました。





いないいない

2024-05-26 | 弓道
木曜は大会のため金沢へ。
土曜は仕事。日曜は会議のため8時40分出発し金沢へ。
しあさっては、授賞式のため県庁へ。
今日の帰りは4時過ぎていて、車で大の里の取り組みを聞きながら、優勝の瞬間じわっと泣けた。
こりゃ、御父上も泣けて当然だわ。石川の星だわ。
そんなことを思い、いつも相撲を観ていた殿がいたらこの優勝を喜んでいただろうと思った。
そして、殿がいたら、相変わらず家内はいないと言うだろうな。

この前、昔のブログをたまたま見たら、娘がコメントしていた。
「いないいないばあ(婆)」って。
もう、家内と呼んでくれる人がいなくなったので、呼ぶときはこっちかい。

庭のバラが咲き乱れたので、花を摘んで風呂に入れた。
王女の気分だ。名前を変えよう。バーバラ。
婆バラ!