捨てる前に写真でも撮っておけばという、娘達の優しいお言葉?!しかし、その写真すらいらなくなる。
そんな未練がましいことを考えているとき、○橋先生から電話があった。次回の弓道誌に原稿を書いて欲しいとのこと。
ねんりんピックとY先生のことをからめて書いて欲しいと言われ、躊躇せずに引き受けてしまった。「長くなるなりますよ。できたら添削してくださいね」というと、「どんなに長くなってもいいから、〇さんからみたY先生を書いてください」とのこと。
こんなものを並べている場合ではない。締め切りまでの一週間丹精こめなくてはと、過去の思い出探しを始めた。
過去の栄光や、過去の思い出は探っていると虚しいものだ。けれど、書いているとどんどん浮かんでくる。楽しかった思い出が行き場を失ったような気がする。
出来上がると、膨大な長さになったので、ばさばさと削っていった。こんな作業をしている自分が悲しい。けれど、残しておかなくてはならない。少なくともわたし達が生きている間は。
トロフィも盾も同様、自分達が生きている間は置いておこうか、という夫婦の意見が一致した。夫の学生時代の栄光は、かえ難いものだ。過去の栄光にすがるのではなく、軌跡だと思う。
注*すがるような栄光もないが。
結局、古い家にほったらかしていた飾り棚をもう一度生かすことにした。大会のたびに欲しがる栄光も、次の大会ではもう過去のもので、そのメダルや盾は邪魔になるものだ。
メダルはすべて捨てることにした。しかし、最近の盾やトロフィというものがないのは情けない。