NHKの番組で、没イチという言葉が出てきた。没イチとは、配偶者を亡くした人のことを言うらしい。
番組では一人になって喪失感から立ち直れない人たちが、互いに励まし合う場を作っている60代の人が取り上げられていた。
「没イチ」という言い方が軽い。夫ロスっていうのもあったっけ。どうして略して言わなくてはならないのだろう。世の中はスピードが重視されていて、早く言わなければ伝わらないのだろうか。芸能人の名前を略すのとはわけが違う。それとも、自虐的に「わたしバツイチ、再婚して今度は没イチ。」なんていう?
女がひとりで生きていくのは大変だし、妻を亡くした夫も喪失感は大きいと思う。小さな子供を抱えて頑張っている人。老夫婦が支え合って生きてきて一人になってしまう不安。その人たちを、ひとくくりに「没イチ」という無神経な言葉。
バツイチもいい言葉ではない。結婚に失敗したことを✖とするのもどうかと思う。それぞれの理由で、辛い選択をしての別れがあったのだと思う。頑張ったけどダメだった人もいる。
何だかそういうくくりにされてしまうと、残された者が幸せになっちゃいかんのかと言いたくなる。みんな嘆き悲しんでいるのを、必死で良い方向へ行くように頑張っているのに。へらへらしていると非難されそうだ。もっと日夜落ち込んで悲しんでいなくてはならないのかと。
やっと、布団をかぶって泣かなくてもよくなってくると、今度は世間が「女は強い。旦那がいなくなると羽根を伸ばして元気だ。」と、言う。いつもは、頭のどこかに閉じ込めて蓋をしているように考えずにいるが、時折、ふっと何かの拍子にその蓋が開いて泣けてくる。それでも、元気で生きていかなくてはならない。残された親もあっちとこっちと気にかけて。
とはいえ、人は楽観的なところがあるから生きていける。そんなに、その言葉に目くじらを立てなくてもと思ったりもした。しかし、目くじらって、目がクジラみたいになるわけね。笑っているみたいだけど。 怒っているんだろうか。
「やもめ」は屋守女の意で、「寡」「寡婦」などと書き、亭主に死なれて一人家を守る女。 これに対して、男やもめは屋守男、つまり「やまお」という。・・・とのこと。
変なことを言ってくる人は「多少は」心配しているのだが、心配するのがしんどいので変なことを言ってくるのかも。いずれにしても余計なお世話ですね。
余談ながら・・・主人というのは本当に大嫌い。亭主ならまあまあ。ダンナが広く使われるがちと下品な感がある。宿六という言葉はもっとも好きですが死語ですね。
細君も死語だが美しい雰囲気。同じく死語の愚妻は廃れて良かった。
家人を使う人をたまに見るがこれも有る程度死語?
改めて、日本語は豊かですね。
呼び名がたくさんあります。
そして、その呼び方で雰囲気が違います。
呼び名は慣れると平気ですが、違う言葉を使おうとすると躊躇するときがありますね。