狩をする場合に、鹿は初めに射止めた者の勝利。猪は最後に射止めた者の勝利となる。
鹿は、弱いので最初の矢で相当のダメージを受けるし、猪は初めの矢で猛り狂い獰猛になるらしい。猪にまたがって、果敢に抵抗する場面は、浪花節かなにかにありそうなかんじ。
現在の競技規則で、いちばんしんどいのは、的前審判。集中力のとぼしいわたしにとって、同じものを見続けるというのは、苦手である。過日、山中の大会で的前審判をしていて、掃き矢を見逃してしまった。競技進行より「確認」の指示があったが、バウンドしてから中たっているので、瞬間を見逃したら、的には矢がささっているので、どうしようもない。
金沢大学の医学部のイケメンのお兄さんと審判席に座っていたので、そっちの方に気をとられていたという訳ではないが、射手の離れの手の内をぼんやり眺めていては遅いのである。おまけに、矢はまっすぐに刺さっているので、的の表面主義というのなら、最終的に的に食いついていればよいことにして欲しいものだ。しかし、掃き矢(地面を掃いて中たる)のように、バウンドしてから中たるのでは、か弱い鹿でさえも、痛くもかゆくもないのだろう。これを中たりとしないのは、やはり頼朝の頃からの競技規則なのだ。
この日、わたしが担当していた射場には、掃き矢が3本あった。的前審判泣かせだ。これが、ローカルな大会でなく、国体や全日本クラスの大会だったら、問題だ。とはいえ、そういう大会には、審判として採用されることはないので、よいとして。わたしのような審判は、猛り狂う猪が猛進してきても逃げ遅れてしまうだろう。まあ、深窓の麗人は狩の審判などしないものだ。
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