図書館へ行ったら、オノマトペ辞典なるものを発見し、しばらく釘付けになった。「千以上の言葉を並べても言い尽くせないこともある」のを、オノマトペの表現力で伝えることができる。理論的に述べるよりも気持ちが伝わる言葉には、尽きぬ魅力がある。その辞典をパラパラめくるだけで楽しい。でた!パラパラということば。そして、わくわく。
オノマトペは、擬音語と、擬態語を総称していうのだが、残念ながら語源はフランス語だ。英語では「オノマトピアー」と、なるらしい。日本語で擬音語・擬態語をまとめた言い方がなかったというのは残念だ。この本の編者が、小野正弘さんなので、その人がまとめたものだから「オノマトメ」にすればどうかと。
さて、語源はともかく、殿が最も敬愛する長嶋茂雄さんは、オノマトペだけで会話することがあった。それは、ファンにとってはぞくぞくする感覚だろうが、仕事でそれをされたら困るだろう。「ガッーときたら、バンとやって、タッーと行け。」と、いう感じ。長嶋さんが上司なら「ダッーとコピーして、スカッと終わらせて、サッサと帰ろう。」と、なるだろうか。
わたしの常套句「うかうか」。「うかうかと仕事を引き受けてしまう。」とか。しかし、この場合、だまされる方に90%くらいの責任があるようなニュアンスだ。しっかりしている人はうかうかと乗らないのである。辞典にはうかうかとは、「注意が不足しているさま。」と、ある。「つい、うかうかと引きずり込まれる。」と、なる。では、決断せずに、「うじうじ」していたらどうなるだろう。言い換えると「ほいほい引き受ける。」とも言う。おかげで、友達との予定が「ぎっしり」となってきた。こういう時は「きっぱり」断るべきだ。こんな風に並べてみると、文章にはオノマトペが、不可欠であることが分かる。
病院で痛みを尋ねられたら「ズキズキします。」「キーンとします。」「キリキリ痛みます。」が、言えないとすると「頭が、重くて締められるような痛さ。」「痺れるような、金属をたたいた時の音のような気持ちの。」「繰り返し、かき混ぜられるような。」どれにしても、もどかしい表現となって、益々病状は悪化しそうだ。
さて、焼き芋は「ぽりぽり」「ほくほく」「かりかり」「ぬるぬる」のどれが美味しそうかと言えば、当然温かさと、口の中でくずれそうな感じの言葉となる。食べ物の中で、オノマトペが名詞になったものがある。「しゃぶしゃぶ」である。こういうふうに、言葉での表現を考えると楽しい。「しゃぶしゃぶ」が、「じゃぶじゃぶ」だったり、「じゃぶんじゃぶん」だったら、下品な食卓となりそうだ。では、「ちゃぷちゃぷ」ならどうか。きっと小さな子供がいる感じがして楽しい。
さて、だらだら書いていても仕方がない、そろそろ終わりにしないと、明日の朝なかなか起きられないと思う。
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