まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

3月11日のマーラー

2025-03-11 | 暮らし
NHKでやっていた「感想戦 3月11日のマーラー」
東京すみだトリフォニーホールで行われた東京フィルハーモニーの定期演奏会。1800人の観客予定でチケットは完売したが。
将棋や囲碁の対局後に行われる「感想戦」のスタイルで、当日会場にいた指揮者・演奏者・観客の証言をつむぎ、奇跡の夜の出来事を振り返る。
東京では震度5を観測。94人のオーケストラと、観客105人。
当時の演奏者と観客が語る。いわゆる感想戦である。
この感想戦を観る視聴者の多くは自分のあの日を思い出して、感想戦に加わっている気がする。わたしのあの日もそこにある。

NHKプラスでの言葉
「将棋や囲碁の対局後、勝者と敗者が棋譜を並べ直し勝負について語り尽くす感想戦。それは時に実際の対局よりもエキサイティング、終わったからこそ語られるストーリーがある。2011年3月11日、決行された新日本フィルのマーラー交響曲第5番。悲しみと祈り、深い感情が込められた歴史に残る名演奏となった。たった105人の観客の前で演奏された伝説的な夜を、残された映像と当事者の証言によって感想戦という形で再現する。」
しみじみと沁みる感想戦だった。

その日、日本中の人々は、震災をどこで知ったかを思い出すと思う。
神戸の時もそうだが、揺れた記憶がありその体験は個々に身体に留まっている。
被災していない者でもその時のショックを、鮮明に思い出す。
被災者にとっては想像を超える辛さだったに違いないことに気持ちを寄せる。

14年前の3月11日、入院していた娘と生れたばかりのmomoを迎えに病院へ向かっていた時だった。
2月20日に孫のmomoが産まれた。一旦退院したが、娘の体調が悪く母娘ともども再入院した。産婦人科では生まれたばかりの赤ちゃんをおいて母親だけの入院は困難だろうとの計らいだった。お陰で退院を迎えた。
その日は、娘婿が仕事で迎えに行けないということで、会社勤務していたわたしは、半日有休を取って残務を終えて、約束していた3時に間に合うように小松の産婦人科医院に向かった。
その時、車のラジオで地震の放送がけたたましく流れた。
尋常ではない感じだ。仙台の被害状況・・と流れて来たので、夫の叔父が仙台にいるので心配だった。
病院に着くと、すでに帰る用意を終えている娘とわたしは、病室のベッドに腰かけてTVに映っている津波の様子を観た。
信じられない光景が映っていた。
生まれたての孫と、病み上がりの娘を載せて走ることに緊張した。
翌日、夫がやっとつながった電話で叔父が無事だったことを知りほっとした。
叔父は避難所で、避難してきた人のお世話をしていたそうだ。

わたしの職場では、N氏が大船渡のセメント工場へコンベヤの点検に行っていて、何日も戻らず心配していた。
ようやく帰ることが出来て、職場の朝礼で大船渡の事を語ってくれた。
N氏達は工場の担当の方に、午前中に点検を終わらせてほしいと急かされた。大急ぎで点検を終え、遅めの昼食を摂り午後2時には仙台のホテルに戻ったそうだ。
ホテルの部屋でくつろごうとした時、ドンと揺れて、部屋の中にあった椅子が廊下に飛び出た。
工場は津波に遭い担当者の安否が知れず、そのことを話しているN氏は涙ぐんでいた。担当の〇〇さんが午前中に終わらせてと言ったことで、自分たちは助かったのだと。
避難所で悲惨な状況の人々をみるにつけ、自分たちは帰るところがあるということが申し訳ない気がしたとのこと。

3月11日が来ると思い出す。
そして、わたしたちは昨年の1月1日に、震度5の地震を体験した。
能登は震度7であった。
その日の事は、何度でも思い出し災害に備えなくてはならない。
とはいえ、来てほしくないと思う。
日常のありがたさを思う。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿