■ ミッション ■
4日目の夜、スミットの両親がホテルまで車(スズキマルチ)で迎えに来てくれた。
いつもは専属のドライバーがいるのだが、父親が運転してきたと言う。
家はデリーの北の郊外にあり、車で1時間ほどかかる。
見ず知らずの日本人のために、わざわざ来てくれただけでもありがたいのに、
ホテルを引き払って、自宅に来いと言ってくれた。
次の日の朝6時のシャダブディ・エクスプレス(インドの新幹線:写真)で
アグラーに行くからと、(かなり片言の)英語で言ったが、
駅まで送るから大丈夫、泊まれと言う。
それ以上、英語で言えなかったので、お言葉に甘えさせてもらった。
途中のレストランで食事をした。ターリーだった。
3種類のカレーの中に、私の嫌いなオクラが入っていた。
食わず嫌いかもしれないが、ねばねばヌルヌル系の食材が苦手だ。
・・・・納豆、オクラ、ジュンサイ・・・。
しかし、せっかくご馳走してくれているのに手をつけないのは失礼だと思い、
我慢してチャパティですくって口に入れた。
ところが、コレが期待を裏切って、思いのほか美味しかった♪
それからオクラのカレー(ビンディマサラ)は、私の大好物になった。
(でも、カレー以外のオクラは食べないんだけど・・・。)
もしかしたら、納豆のカレーも食べられるのかもしれない。
インド北東部のシッキム州には、納豆のカレーがあるのでチャレンジしてみたい。
◆豆知識◆
長野に納豆カレーの山小屋という店がある。(カレーミュージアムにも入っていた。)
しかしこのカレーは、普通のカレーに納豆がトッピングしてあるだけだ。
食べられそうなら食べようと思ってたが、見ただけでダメだった。
友人の感想は、カレーはカレーで、納豆は納豆で食べたいとの事。
(私が食べた感想じゃなくてスイマセン。)
シッキム州のカレーはトッピングではなく、具として入っている。
ヤムナー川を超えてしばらく行ったところに、林のように高層マンションが密集していた。
モハンナガルと言う一帯だ。その中に彼らの家はあった。
かなり広めの3LDKで、各部屋にバス・トイレがついていた。
エントランスから続くリビングだけで、私の家位ある・・・。(とほほっ。)
それがインドでは当たり前のようだ。ビックリしたのは、リビングに滝が流れていた事!
(お金持ちのようだ・・・。そりゃそうか、子供二人をアメリカへ留学させるほどだから。)
その辺に日本人が来ることは、まずないのだろう。近所の友達が訪ねてきたりした。
ムチャクチャな英語と折り紙でツルを折ったりして、なんとかコミュニケーションをとった。
(どこでも、折り紙はかなりウケがよい。)
翌朝、4時半に起床しニューデリー駅に向かった。
インドのお父さん、お母さんありがとう。感謝!









パンジャビー(インドの若い女性が着る服)を着て、器用に右手だけでカレーを食べる私を見て、
両親は感激したとスミットに話していた事を、後でスミットから聞いた。
それから6年後、彼らは娘さんの結婚式に招待してくれた。
(この様子は、また別の機会に。)
to be continue.
4日目の夜、スミットの両親がホテルまで車(スズキマルチ)で迎えに来てくれた。
いつもは専属のドライバーがいるのだが、父親が運転してきたと言う。
家はデリーの北の郊外にあり、車で1時間ほどかかる。
見ず知らずの日本人のために、わざわざ来てくれただけでもありがたいのに、
ホテルを引き払って、自宅に来いと言ってくれた。
次の日の朝6時のシャダブディ・エクスプレス(インドの新幹線:写真)で
アグラーに行くからと、(かなり片言の)英語で言ったが、
駅まで送るから大丈夫、泊まれと言う。
それ以上、英語で言えなかったので、お言葉に甘えさせてもらった。
途中のレストランで食事をした。ターリーだった。
3種類のカレーの中に、私の嫌いなオクラが入っていた。
食わず嫌いかもしれないが、ねばねばヌルヌル系の食材が苦手だ。
・・・・納豆、オクラ、ジュンサイ・・・。
しかし、せっかくご馳走してくれているのに手をつけないのは失礼だと思い、
我慢してチャパティですくって口に入れた。
ところが、コレが期待を裏切って、思いのほか美味しかった♪
それからオクラのカレー(ビンディマサラ)は、私の大好物になった。
(でも、カレー以外のオクラは食べないんだけど・・・。)
もしかしたら、納豆のカレーも食べられるのかもしれない。
インド北東部のシッキム州には、納豆のカレーがあるのでチャレンジしてみたい。
◆豆知識◆
長野に納豆カレーの山小屋という店がある。(カレーミュージアムにも入っていた。)
しかしこのカレーは、普通のカレーに納豆がトッピングしてあるだけだ。
食べられそうなら食べようと思ってたが、見ただけでダメだった。
友人の感想は、カレーはカレーで、納豆は納豆で食べたいとの事。
(私が食べた感想じゃなくてスイマセン。)
シッキム州のカレーはトッピングではなく、具として入っている。
ヤムナー川を超えてしばらく行ったところに、林のように高層マンションが密集していた。
モハンナガルと言う一帯だ。その中に彼らの家はあった。
かなり広めの3LDKで、各部屋にバス・トイレがついていた。
エントランスから続くリビングだけで、私の家位ある・・・。(とほほっ。)
それがインドでは当たり前のようだ。ビックリしたのは、リビングに滝が流れていた事!
(お金持ちのようだ・・・。そりゃそうか、子供二人をアメリカへ留学させるほどだから。)
その辺に日本人が来ることは、まずないのだろう。近所の友達が訪ねてきたりした。
ムチャクチャな英語と折り紙でツルを折ったりして、なんとかコミュニケーションをとった。
(どこでも、折り紙はかなりウケがよい。)
翌朝、4時半に起床しニューデリー駅に向かった。
インドのお父さん、お母さんありがとう。感謝!









パンジャビー(インドの若い女性が着る服)を着て、器用に右手だけでカレーを食べる私を見て、
両親は感激したとスミットに話していた事を、後でスミットから聞いた。
それから6年後、彼らは娘さんの結婚式に招待してくれた。
(この様子は、また別の機会に。)
to be continue.