カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

【初・インドの道】 ~デリー②~

2005年01月16日 21時02分55秒 | 北インド / NOUTH INDIA
■ 親切な人? 下心ある人? ■

インドを旅していると、インド人(ほとんど男性)から声をかけられる事が多い。
中には本当に親切な、いい人もいる。だが、やはり親切の裏に下心を持った人もいる。
親切にしてくれて「FRIEND」と言われ、食事をして、いろいろ案内してくれて
最後に「MONEY」と言われてガッカリした事も珍しい事ではないだろう。

あなたが男性であれば、相手の目的は「MONEY」だけかもしれないが、
  (・・・その筋の人は別として。)
あなたが女性であれば、「KISSしてくれ。」とか「つきあってくれ。」とか
「結婚してくれ。」なんて言う、わけのわからない輩もいるから困ってしまう。

「地球の歩き方」には、男性と一緒に写った写真を持ち歩けばいいと書いてあるが、
これは気休め程度で、実際にはあまり効果がない。
私はインドでは結婚している事にしてるし、左手薬指に指輪もしている。
もちろん、(何の関係もない)男性と一緒に写ったツーショット写真も持っている。
しかし、恋人がいようが、結婚してようが、子供がいようが、彼らには関係ないようである。
  (ついでに、顔・スタイルの良し悪しや年齢もあまり関係ないようだ。)


私にはデリーでミッションがあった。
それは、C嬢が紹介してくれたスミットの両親と会う事であった。
そのためには、電話で連絡を取る必要があった。
英語が不自由な私にとって、それは至難の技である。
油汗が滴るほど苦労をして、なんとかホテルに迎えに来てもらう約束をした。
その時にホテルの電話番号と大体の場所を教えていた。

ホテルにいる時に電話が鳴ったので、スミットの両親だと思った。
しかしそれはSS氏だった。彼は、日本の旅行会社が手配したデリーの旅行会社のガイドだ。
空港からホテルまで送ってくれた時に、私はスミットの家の住所と電話番号を教えていたのだった。
  (旅行会社の人だから、まぁ信用していた。)
何と!SS氏は、スミットの家に電話をかけ、母親に怪しまれながらも、
自分が旅行会社の人間で悪い人ではないと説明し(上手いこと言ったのだろう。)
私のホテルの電話番号を聞きだし、電話してきたのだ。

彼は私の旅行スケジュールを知っているし、次の目的地アグラーで、
どこのホテルに泊まるのかも知っている。
ちょうど同じ日程で日本人をガイドする仕事が入ったのでアグラーで会いたいと言ってきた。

アグラーはインドで最も有名なタージ・マハールがある町だ。
観光地なので事件も多いと聞いている。YESと言うのは危険だと感じた。
私は、観光の予定も組んでるし時間がないので無理だと言った。

しかし・・・・アグラーのホテルへ彼はやってきたのだった。
(この続きは【インドで飲んだくれる】の巻で。お楽しみに。)



★トラブルを回避するために★
  ③ 声をかけてくる人には気をつける。特に日本語が話せる人には注意。
    私は、「韓国人だから日本語がわからない・・・。」で通した。
  ④ 旅行会社の人やガイドにも注意。

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【初・インドの道】 ~デリー①~

2005年01月15日 12時46分33秒 | 北インド / NOUTH INDIA
手元に「地球の歩き方」(もちろんインド編)があるインドファンの方は、
見て欲しい。(ない人は、書店へ行って見てね。)
もともと「インド編」は、かなり厚い。
薄型になった2004~05年版でも512ページ500グラムもある。
そのうち、首都であり遺跡や見所がたくさんあるデリーの部分は40ページにも及ぶ。

最初の「要注意」部分を読んだだけで、おじけづいた人もいるだろう。
実際、デリーやアグラー、バラナシと言った北インドの名所・観光地ではトラブルが多い。
私はデリーから入国した事が3回あるが、
いつも出迎えの車付きにしているので、空港から市内のトラブルには遭った事がない。
今日は、市内でのトラブルを話す事にする。

それは、インド2日目の朝に起こった。
カニシカ・ホテルは、コンノートプレイスのはずれにある。
建物の老朽化は著しいが、一応いいホテルの部類に入っている。
(昨晩もロビーで映画の撮影が行われていたほどである。)
ホテルをチェックアウトして、メインバザールの安ホテルへ行くために
バックパックを担いで道路に出た所に、リクシャーがいた。
高級ホテルの前では、タクシーやリクシャーを拾わないこと!
これは鉄則である。

まるで「地球の歩き方」に書いてあるように、リクシャーワーラー(運転手)が声をかけてきた。
「何処へ行くんだ?」「乗ってかないか?」

まだインドを理解していないというのに、「地球の歩き方」をすみからすみまで熟読し、
【歩く「地球の歩き方」インド編】と化していた私は、自分を過信していた。
「30ルピー(ルピーを念押し)」「ニューデリー駅で友達が待ってるんだ。」とクギを刺し
(完璧なはずだった。)リクシャーに乗ってしまったのである。

リクシャーが指示通りニューデリー駅に行くわけもなく、どこか途中で止まった。
「待ってろ。」と言い残してリクシャーワーラーは消えてしまった。
「何やってるんだ、インド人は全く。でも大丈夫だも~ん。」
ここでもまだ私には、根拠のない自信があった。

しばらくして消えたリクシャーワーラーの代わりに、若い日本人女性が現れた。

 女:「ホテルが決まってないなら、私の泊まってる所を紹介するよ。」
 私:「メインバザールなの?」
 女:「うん、すぐ近くだよ。」
 私:「いくら?エアコンとホットシャワーはついてるの?」
 女:「もちろん付いてて400ルピー。部屋も広いし、清潔だよ。」

よせばいいのに、同じ日本人と言うことで気を許してしまった私は、
まんまと女の口車に乗ってしまった。
その結果、連れて行かれた場所はカロルバーグだった。
確かにホテルはエアコンもホットシャワーもあり、部屋も充分広かったし清潔だった。
後で聞いた話によると、デリーで騙されて連れて行かれる所は、
ほとんどカロルバーグだそうだ。
しかし、この地域は品のいい住宅街で、住人もすれてなく、
メインバザールとは違った落ち着いた上品なバザールがある。
(負け惜しみじゃないよ。最近は「地球の歩き方」にも載ってる。)

この女がインド人の手先であった事は明白である。
お金が無くなってしまったのかもしれないが、同じ日本人を騙すのは良くない。
(日本人でなくても、やってはいけない。)
今度どこかで会ったら、耳の穴から手を突っ込んで奥歯をガタガタいわせてやりたい。


       

★トラブルを回避するために★

  ① いいホテルの前から、タクシーやリクシャーに乗ってはいけない!
  ② 日本人であっても、たやすく信用してはいけない。

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【初・インドの道】 ~日本からインドへ~

2005年01月14日 07時30分00秒 | インド / INDIA
<スケジュール> (場所がわかんない人は、地図で確認してね。

 成田 ⇒ デリー ⇒ アグラー ⇒ カジュラホー ⇒ バラナシ  ⇒ コルカタ ⇒
 ムンバイ ⇒ オーランガーバード ⇒ エローラ ⇒ アジャンター ⇒ ムンバイ ⇒ 成田

約1ヶ月の大冒険である。このとき私は・・・仕事を辞めていた。
それほどの大決心をしてインドへ向かった。(アホやなぁ。)
もちろん飛行機はエアーインディア(AI)を利用した。

◆豆知識◆
 AIは成田空港でも、搭乗ゲートでセキュリティーチェックがある。
 インドから出国する際には、どの空港でも、AI以外の空会社でも(シンガポール航空でも)
 搭乗ゲートでセキュリティーチェックがある。ボディーチェックもされる。

インデラ・ガンディー国際空港は、いわずと知れたインドの玄関口である。
入国審査を済ませたら(私は荷物は機内持込み、信用してないから。)
まずは両替である。・・・もうインドは始まっていた・・・。

大した事ではないのだが、インドリッシュ(インド式英語)がわからなかった。
米$のT/Cをインドルピー(Rs)へ両替した時に、
T/Cの裏に「ホームアドレスを書け。」と言われた。(らしい)
が、理解できなかった。(なまってるからねぇ。)
誰ですか?「なまってなくても、判らないくせに。」なんて言ってる人は??
(・・・・当たってます。)

日本ではインド人がやってる小さな旅行会社で手配をしてもらった。
そのインド人が心配したのか、カモられたのかは判らないが、
ホテルや鉄道や国内の飛行機は、ほとんど手配してくれたので、
移動先の駅や空港で旅行会社の人が待っていてくれた。
(一部、自分でやってみたくて、フリーにした箇所はあるが。)

空港には、迎えの車と日本語が上手いSS氏が出迎えてくれた。
その日はそのままホテル(カニシカ)へ直行し、外出せずに就寝。



初めてのインドでは「地球の歩き方」に書いてあるような事が
真面目に起こります。間違いない!
私はもう初心者に見えないので、トラブルもなく逆に拍子抜けします。
この【初・インドの道】では、嘘の様なホントの話がもりだくさんです。

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インドまでの道のり。Part.3

2005年01月13日 21時10分00秒 | インド / INDIA
こうして私はインドへと旅立ったのだが、
「インドとの出会い」で書いたように、
これは、私がインドに導かれた結果である。

実はその前にも、行こうと考えたことがある。
あのマサラの虜となった時にである。
その時は友人と二人で、しかもパックツアーで行こうと思っていた。
それは、インドに対して何の情報を持っていなかったのと、
私が海外旅行初心者だったためである。
自由旅行と言う考えが全くなかったから。

後で考えれば、その時はインドへ行く時期ではなかったのだろう。
インドへは人それぞれ行く時期があるのだから。

ようやくその時期が来たとき、こう思った。
日本と同レベルのホテルに泊まり、高いレストランで食事をして、
エアコンの効いたデラックスなバスからインドを見ても、
本当のインドを見たことにならないのではないかと。
こうして私は一人旅に出た。

自由旅行にはパックツアーでは経験できないことがある。
例えば、現地の人々とのふれあい、ローカルフードの味わい、
ハプニングにとんだ旅・・・。(トラブルは困るけど。)
実際、インドの旅にはいろんなことが起こった。
いい事も・・・・悪いことも・・・。

私がインドの話をなかなか始めなかった理由は、
話し始めると止まらないからだ。
(幸いネタには不自由しない。)
次回は「インドの道」(仮)をお送りする予定です。





これから、インドやもっと不自由で危険な地域への
旅を考えている人へ。(大きなお世話かもしれないけど。)
旅は無事に帰ってこれてこそ、初めて成し遂げたと言う事ではないだろうか。
命あってこそのものだ・・・。

自然災害は仕方ないとしても、
消息不明になったり、事件に巻き込まれたりしたら、
家族・親戚・恋人・友人・知人など多くの人が心配するだろう。
不幸にも死んでしまったりしたら・・・・どんなに悲しむだろう。
そういう人たちのことも考えてあげてほしい。
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インドまでの道のり。Part.2

2005年01月12日 21時25分00秒 | インド / INDIA
言葉に国境がない人は、
なんの情報も持たずにいろんな国へ行ったとしても、
それほど、苦労しないのかもしれない。
先入観なしに(全くその国のことを調べずに)
行くのが旅の醍醐味だと言う人もいる。

しかし、私は日本にいる間に、出来るだけ情報を得てから
出かける事にしている。特に、限られた日数なら、なおさらである。

インドへ行く前に私は、いろんな本を読み漁った。
「地球の歩き方」を初めとするガイドブック、
さまざまな人の紀行文、カレーの本、宗教の本、ヨガ、写真集・・・・
とにかく、インドについて書かれている本を片っ端から読んだ。

その中で、面白くためになった本をいくつか紹介したい。
ます、「インドの大道商人」・・・山田和著。
インドの路上には、さまざまな物売りがいる。
その人々の写真とインタビューは、いろいろ読んだ中でも臨場感があった。
店舗などなくても立派に商売が成立する。
行ってみて、見てみて、その通りだった。
インドの大道商人

講談社

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そして、「河童が覗いたインド」・・・妹尾河童著。
風景や建物、ホテルの室内までもが、
写真でなくイラストで正確に表現されている。
絵のスゴさだけでなく、会話やその背景も楽しい。
河童が覗いたインド

講談社

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まだまだたくさんあるが、特にお勧めはこの二冊である。    
インド好きでなくても、楽しめること間違いなし。

また、インドへ旅立つ前に、行った人の生の声を聞きたいと思った。
書物に書いてあることが全てだとは思わなかったから。
しかし残念ながら、私の周りにはインドへ行った経験のある人はいなかった。
そこで、ある掲示板に「インド情報募集」の書き込みをした。
縁あってメールをくれたのが、当時シンガポール在住のF氏だった。

私は毎回テーマをしぼって質問のメールを送り、F氏は親切に答えてくれた。
そのおかげで、私の不安は少しづつ解消されていった。
実際インドでも、その情報は生きていたので、非常に助かった。
F氏からはその後、インドだけでなくシンガポールやタイなどの
アジアに関するたくさんのアドバイスをもらった。

F氏の情報がなかったら、インドの街角で途方にくれたかもしれない。
F氏は、私の恩人である。
今度は私がインドのアドバイスをする番かもしれない。(必要ないかも?)


                  
F氏とは昨年バンコクで会うことが出来た。
永住の地をタイに決めたそうだ。
恩人のブログはこちら ↓

「チョープ ムアンタイ! タイ永住日記」

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インドまでの道のり。Part.1

2005年01月11日 22時04分44秒 | インド / INDIA
私がインドへ行くまでの、海外逃亡の歴史は下記の通りである。

  初回・・・ハワイ(tsunamiに遭いそうになった。)
  2回目・・ハワイ(気分はすっかりハワイアン。)
  3回目・・グアム(ナマコに足をすくわれた。)

絵に描いたような初心者入門コースである。
  (初めからワイルドではなかった。)

そんな私が、ある日突然一人でインドへ行くといった時、
父親は、アワを吹きながら腰を抜かし・・・
母親は、泣きながら「行かないで。」とすがりつき・・・
友人は、私が発狂したのではないかと心配した。

  (ちょっと、オーバーでした。)
でも、アメリカ本土の土も踏まず、ヨーロッパの歴史も見ず、
アジアの洗礼も受けず、いきなり上級者コースのインドへ行こうと
言い出したのだから無理もない。

心は決まったものの、不安はあった。
何度も言うようだが(しつこい)・・・私は英語が話せない。
そこで私は、職場の帰国子女(仮名:C嬢)に
アフター5に食事をご馳走する代わりに、
英語を教えて欲しいと、話を持ちかけた。
C嬢は快諾した。その日から英語の特訓は始まった。

社会に出てから英語とは無縁の、普通の日本人の生活をしていた私は、
C嬢のおかげで何種類かの文章を丸暗記した。
その上C嬢は、学友のインド人を二人も紹介してくれた。
一人はアメリカ在住だが、家族がデリー近郊に住んでいる。
もう一人は、ムンバイ在住だった。

「渡りに船」・・とはこの事だった。
インドに行く前にインド人の友達ができたのである。
この二人は、初めてのインドで私を良くフォローしてくれたのは、
言うまでもない。

C嬢がいなかったら、私の旅はもっと困難な旅立ったであろう。
C嬢は私の恩人である。心から感謝している。




C嬢とは、その後連絡が取れなくなってしまったが、
二人のインド人とは、今でも手紙やメールでやり取りをしている。

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「今日のカレー」について。  

2005年01月10日 15時43分53秒 | カレー / CURRY
まず新規開拓は、月平均2軒を目標としている。
あとは、美味しかった店のリピートである。
今月は、すでに2軒開拓したので、ノルマ達成。

次に、私の専門は「インドカレー」である。
目的のエリアに、インド料理店、ネパール料理店、パキスタン料理店、
バングラデシュ料理店、スリランカ料理店、タイ料理店、
インドネシア料理店、マレーシア料理店、カレー専門店、レストラン、
喫茶店、蕎麦屋、ラーメン屋・・・があった場合、
一番手はインド料理店となる。
その次が各国料理店、カレー専門店、レストラン、喫茶店・・の順である。

それから、ナンかライスかと言えば、間違いなくナン派である。
本当はナンよりチャパティなんだけど、なかなか置いてる店がない。
ナンよりライスがいいのは、南インドのミールス(ターリー)がある店。
これはライスに限る!バナナの葉の上にライス。
(う~ん・・ジュルジュル・・←よだれです。)

あと行く基準としては、インド人(又はその国の人)がやってる店。
日本人がやっててもおいしい店はあるが、これは私のこだわりである。

エリアは東京23区がメインで、
何かの用事がその方面であれば、神奈川・埼玉・千葉まではテリトリーである。
以前、遠出をした際にその店が無くなっていた悲しい思い出があってから
カレーだけのために行くのは自粛している。

と言うわけで、「今日のカレー」の中では、
新規開拓とお勧めの店と二本立てで紹介していこうと思う。


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今日のカレー(NO.2) ~サパナ~(飯田橋)

2005年01月09日 13時58分35秒 | カレー / CURRY
まず初めに言っておくが、
私は料理研究家ではないので、何のスパイスがどうとか、
食材がどうとか言う気持ちも知識もさらさらない。

住 所:東京都千代田区富士見2-2-11 富士見ヨシダビル1F
電 話:03-5215-7007
最寄駅:飯田橋

<食したメニュー>

ダルバートセット 1575円

 カレー2種類(ダル&アールーゴビー)、ナンかライス、サラダ、
 タンドリーチキン、ヨーグルト、チャイ

カレー: メインのダルが売り切れだったので、チキンになってしまった。
       (カレーはチキンに始まりチキンに終わると思っているので歓迎)
       (初めての店では、まずチキンを食し、美味しかったら他も味わう)
       チキンは、大き目でいい肉が5キレくらい入っていて甘め。
       辛口を頼んだが辛くない。アチャールを入れて丁度いいかな。
     サブのアールーゴビーは、絶品! すばらしい。
       ジャガイモの甘さが胡椒とうまく絡んでいる。
ナ ン: ふっくらとして厚め
サラダ: 人参、キャベツ、レタスにレッシングは普通。
タンドリーチキン:普通。
ヨーグルト: フルーツとタピオカ入り、にマンゴーソースがかかっている。
チャイ: 普通。


<店内の雰囲気>

あまり広くないがネパール関係のガイドブックや本があったり、
気取ってなくすごしやすい。
ネパール人らしき店員もフレンドリーで、愛想が良い。

<感想と評価>

カレーの量が多い。チキンは普通(及第点)であったが、
アールーゴビーはかなりいい。私好み。
辛口を頼んだが、それでも甘めだったので、思いっきり辛口でもいいかも。
次回挑戦してみようかな。
 (注)私の辛味神経は麻痺してます。
    平均的な日本人の味覚より辛さに強いと思われます。
ヨーグルトにタピオカが入ってるのは初めてだった。
サラダ、チャイは普通だったけど、アールゴビーが絶品だったので満足。

 評価は◎ 

     (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。
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日本フェザー級タイトルマッチ

2005年01月08日 23時00分35秒 | スポーツ / SPORTS
ボクシング・ファンの皆様、こんばんは。
今夜はボクシングの殿堂、東京水道橋の後楽園ホールから
日本フェザー級タイトルマッチをお送りします。

ホールの入り口では、元世界チャンピオンの輪島功一さんが
樽酒をふるまっていました。
普段、日本酒は飲まない私ですが、縁起物ですし、
輪島さんからもらえるなんて、一生ないかもしれないので、
ありがたく頂戴しました。
 (だって、拒む理由はないじゃないですか。←言い訳)

輪島さんは、見えてるのか見えてないのかわからない目で
「はーい、いらしゃい。」と手渡してくれました。

          


さて、今夜の試合は、
新春を飾るにふさわしい無敗対決となりました。
初めは見に行くつもりはなかったのですが、
新年が明け試合が近づくと、どうしても見たくなり
当日券で入りました。超満員でした。

チャンピオンは、角海老宝石ジムの榎洋之、
戦績は21戦20勝(16KO)1分、
昨年9月に無敗のチャンピオン大之伸くまをTKOで破り
チャンピオンになったばかり、今夜が初防衛戦です。

チャレンジャーは、同級1位、姫路木下ジムの金井晶聡、
戦績は14戦無敗(14KO)。2002年度の全日本新人王。
今日KOで勝てば15連続KOの日本タイ記録。
・・・聞いた事のないジムです。(ゴメンナサイ)
私は東京在住ですので、関西のジムは大阪帝拳、グリーンツダ、
千里馬神戸ジムくらいしか知りません。

ポスターで見る限り、榎選手もキリリとした端正な顔立ちですし、
21歳の金井選手はジャニーズ系で、タッキーに似ています。
顔の綺麗なボクサーは、ボクサータイプ(離れて戦うタイプ)でしょう。
また、元チャンピオンの川島郭志選手のようにスリッピングアウェーで
パンチをよけるのが上手いタイプも当てはまります。
ボコボコにされる前に、倒してしまう・・・要するに強い選手ですね。

ハードパンチャー同士のこの試合は、KO必至でしょう。
あっリングサイドには辰吉丈一郎選手も観戦に来ております。


1ラウンド:静かな立ち上がり、時折、榎選手の放つ左ジャブが
      金井選手の顔面にヒットする。両者とも大きなパンチはなし。
       (採点は、榎10:金井9)

2ラウンド:榎選手の距離の取り方が上手い、左ジャブが的確にヒット。
      金井選手は右目の下をカット。     
       (採点は、榎10:金井9)

3ラウンド:ようやく金井選手のパンチもヒットし始めるが、
      榎選手の左ジャブが、面白いように当たり続ける。
       (採点は、榎10:金井9)

4ラウンド:金井選手は、時よりいいパンチを放つが単発で有効打にはならない、
       榎選手の左ジャブにのけぞる金井選手の顔が目立つ。
       (採点は、榎10:金井9)

5ラウンド:榎選手は手数、有効打でも圧倒。
       金井選手は右目の上もカット。
       (採点は、榎10:金井9)

6ラウンド:金井選手はもはやタッキーの面影はない。顔面の右側が腫れ上がっている。
       私の位置から遠いがはっきりとわかる。右目が見えないかもしれない。
       容赦なく榎選手の攻撃は続く。
       (採点は、榎10:金井9)

7ラウンド:1分すぎレフェリーが試合を止めコミッションドクターに見せる。
       試合は再開。しかし1分35秒、榎選手が金井選手をロープに追い詰め
       連打したところでレフェリーが試合をストップ。
       TKOで榎選手が初防衛に成功。

この試合は終始、榎選手のペースでした。
金井選手は見せ場なく負けてしまいました。
榎選手は精密機械のように正確に左ジャブをヒットさせ続け、
上手さと強さを観客に見せつけました。

【左は世界を制す!】 ボクシングの格言です。
まさに、この言葉があてはまるような試合でした。
無敗対決は榎選手が勝ちましたが、
金井選手もまだ21歳ですので今後に期待したいものです。

尚、この試合は一部の地域を除き日本TVで
今日の深夜2:25~放送されますので、良かったら見てください。

ちなみに日本記録15連続KOは、
元世界チャンピオンの浜田剛史。私の好きなボクサーである。
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今日のカレー(NO.1) ~るんびに~(淡路町)

2005年01月07日 22時01分31秒 | カレー / CURRY
まず初めに言っておくが、
私は料理研究家ではないので、何のスパイスがどうとか、
食材がどうとか言う気持ちも知識もさらさらない。

住 所:東京都千代田区神田須田町1-8-7 前原ビルB1
電 話:03-3251-5509
最寄駅:淡路町

<食したメニュー>

お手軽ディナーセット 1680円 & マハラジャビール 500円

 カレー2種類(ダル&チキン)、ナンかライス、サラダ、
 スープ、タンドリーチキン、チャイ

カレー: ダルは、2・3種類の豆とトマトが入っていて甘口。
      かなりとろみがある。
      チキンは、大き目のチキンが5キレくらい入っていて
      やはりやや甘口。
       *レッドチリペッパーが卓上にあるので、どうぞ。
ナ ン: ふっくらとして厚め
サラダ: 人参、大根、レタスに胡椒の効いたドレッシング
スープ: トマト系
タンドリーチキン:ハーブが混ざったタレにつけてある。
チャイ: 珍しくノンシュガー。クローブの香りと味が強め。


<店内の雰囲気>

建物が古いので、店内もそれなり。
TVがついているが、インド映画や音楽はやっていない。
店員もインド人(じゃなかったらゴメン)にしては、愛想がない。

<感想と評価>

この内容でこの値段は、お得感があるし、かなり満腹になる。
 (最近、少食になったかしら?)
カレーはもっと個性的になったらいいんだけど。
コレと言って特徴がないかな。

 評価は○

     (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。
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インドとの出会い。

2005年01月06日 22時52分52秒 | インド / INDIA
初めてインドへ行ったのは、1997年10月のことだ。
その年は、インドが独立して50年目にあたる。
 (そうと知っていて、狙って行った訳ではない。)


横尾忠則氏は三島由紀夫氏に言われた言葉を
著書「インドへ」の中で、こう書いている。
「インドには、人それぞれに行く時期が必ず訪れる」と。
横尾氏は何度もインドへ行こうとしたのだが、
何らかの理由で行けなかったらしい。
そして、三島氏に「君はいつインドへいってもいいようだ。」と
言われたのが、死の三日前だったそうだ。
その後、横尾氏は何度もインドを訪れている。


私にとって、1997年10月がその時期であったのだと思う。
まだインドへ行ってない人は、
時期が来れば、きっとインドが導いてくれるから、
心配しないで待っていればいい。

現在、私は年一回のペースでインドを訪れている。
でも、行きたい時期に行きたいだけ行けないのは、
悲しいかな会社勤めの宿命である。

  つづく。     

そうだ!明日はカレー食べに行こう!
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カレーとの出会い。

2005年01月05日 21時26分53秒 | カレー / CURRY
地球上で一番「カレー」を食べているのはインド人である。
 (ご存知の通り「カレー」発祥の地である。)
二番目に「カレー」を食べてるのが日本人であると言うことを、
知っている人も多いに違いない。

インド人にとっての「カレー」は、
日本人にとっての「味噌汁」だと言われているが、
そんなもんじゃないと思う。

私はインド人の家にホームステイした事があるが、
朝・昼・晩・・・三食もれなくカレーだった。
しかもヴェジタリアン家族だったから、
毎回、ダル(豆)・ゴビー(カリフラワー)・ベイガン(ナス)・
パラク(ほうれん草)・カクリー(瓜)・・・
の野菜の中から2・3種類のカレーになる。
さすがの私も正直言うと苦痛だった。

日本人の家で三食とも、もれなく「味噌汁」を
食べているとは思えない。でしょ?


さて、前置きが長くなってしまったが、
私とカレーとの出会いは、おそらく物心つく前だったろう。
 (だって、おぼえてないんだも~ん。)
物心ついてからは「秀樹、感激ぃ!」のバーモントカレー、
ワンタッチカレーを経て、一番記憶があるのはジャワカレーかな。
 (だって、純粋な日本人なんだもん。)

   ◆豆知識◆ 
    「ジャワカレー」は日本では辛口で有名だが、
    インドネシアのジャワ島の味付けは「甘口」である! 知ってた?
    ジャワ島での私は「ミンタ・サンバル!」(サンバルちょうだい。)
    と毎食言ってたくらい。
     *サンバルとは、平たく言えば「唐辛子」のこと。


今でこそカレー部長と呼ばれているが、
本格的なインドカレーとの出会いは、ずいぶん大人になってからである。
 (だって、田舎モンなんだもん。)
私の生まれ育った町には、インド料理屋どころか、カレー専門店すらない。
さらに言えば、カレーが自慢のレストランや喫茶店さえない。
 (かなりな田舎だ。日本中探せど、こんな町はないだろう。)
今も昔もインド料理屋不毛の町である。
 (でもカレー好きは、少なからずいると思うけど。)


さてさて、すいぶんと大人になってから出会った最初のインド料理屋は
忘れもしない、虎ノ門のA・Shamである。
当時の職場から近かったせいもあるが、
ランチタイムの1000円のシーフードカレー(辛目にしてね。)
を目当てにかよったものである。 
                                    
コクがありながら、相当なキレがある・・・
初めて口にした本場のカレーに、
私はすっかり、マサラの虜になってしまった。

しばらく行ってないが、
A・Shamのシーフードカレーは今でも
人々を病み付きにしているのだろうか?
近いうちに行ってみようと思う。

マサラの虜になった私は、この数年後インドへと旅立つのであった。


■お断り■
  これからも、店名は実名で取り上げます。
  味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
  同意見・反対意見など、あると思いますが、
  あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
  気にしないでください。ヨロシク。
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tsunami -モルディヴ編-

2005年01月04日 21時13分08秒 | 旅 / TRAVEL
まず最初に、今回の地震と津波で行方不明になっている方が、
少しでも早く確認される事をお祈りいたします。


さて、実は私の知り合いに、運悪くモルディヴへ行っていた人がいる。
今回は、その知人(奇跡的にも生還した不死身の男・・・仮名:R君。)
の話をもとに綴っていくことにしよう。

私がR君からモルディヴ行きの話を聞いたのは、
2004年12月22日夕方の事である。

  R君 : 明日から休みなんだよね。だから良いお年を。
   私 : うらやましい。どっか行くの?
  R君 : モルディヴ。ダイビング始めたんだ。
   私 : へぇー。いいなぁ。年始までズーッと行ってるの?
  R君 : 明日行って、年内には帰ってくる。
       だって、そーしないと高いんだもん。
   私 : そーだよねー。それで、泊まるところはコテージとか?
  R君 : 船に泊まるんだ。コテージやホテルは高いから。
   私 : じゃぁ、ほとんど潜ってばっかりだ。
  R君 : うん、そーなるねぇ。一人で行くから。
 
それが最後の会話だった。


そして、12月26日のスマトラ沖地震による津波のニュース。
翌日、私の周りでは、朝からその話題で持ちきりだった
しかし、みんなはノーテンキなもんだった。

「海の中だったら、酸素ボンベもあるし大丈夫だろう。」とか、
「船に乗ってるなら、海面が上がるだけだから問題ない。」とか。

おいおい。みんなもっと心配しろよ。ちゃんと、ニュース見たのかよ。
結局、R君の携帯に「生きてたら連絡くれ。」の伝言を残し様子を見ることになった。
(ちなみに彼の携帯は、外国では通話できない。)
12月27日の午後、R君のお父さんから無事確認の電話があり、ほっとした。


私は、R君に津波当時の【ナマナマしい】話を聞いた。

   私 : 津波の時は、どこにいたの?
  R君 : 潜ってた。
   私 : ホント? 海中の様子は?
  R君 : なんともなかった。
   私 : え、マジ?(心配して損した。)どれくらい沖にいたの?
  R君 : 周囲200mくらいの島から、500mくらい沖。
       海流がいつもとチョット違うかなって思った。
   私 : 魚や珊瑚が流れてきたとか?
  R君 : それはなかった。水が上下に動いたって言うか・・。でも、大した事なかった。
   私 : 津波の情報は、いつ聞いたの?
  R君 : 1回目の津波の時には、潜ってた。船に上がって2回目が何時頃来るのか聞いて、
       一応避難する準備をしてた。
   私 : でも、島に上陸した方が危なかったのかな?
  R君 : 津波の被害は場所によるみたい、僕の居たあたりは、
       ちょうど群島の真ん中あたりだったが、ナンともなかった。
   私 : いつ帰国したの?
  R君 : 12月31日の予定が帰れなくて、元旦に帰ってきた。
       マーレに1泊した。
   私 : 町や空港とかは、どうだった?かなりヒドイ状態だったでしょう?
  R君 : マーレも1/3は浸水したらしい、空港も水没したわりには、
      ナンともなっかた。
   私 :(コイツ、鈍感なのか? それとも、被災地を見てないのか?)
       えっ・・・そうなの?
  R君 : 被害があってから4・5日たってたから。
   私 : ま・・・無事でなによりだったね。

   ・・・R君は強運の持ち主である。え~以上。


今回は、津波に対する知識と情報伝達方法がなかった事が、
被害が大きくなった原因だと言われている。
あの時(昨日の日記、見てね。)のハワイのように、
伝達と避難が早かったならば、
少しは被害を食い止められたかもしれない、と思う。
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tsunami -ハワイ編-

2005年01月03日 15時24分00秒 | 旅 / TRAVEL
スマトラ沖地震による津波で、
死者15万人を超えるという報道。
行方不明者や安否の確認が取れていない人々は
お正月どころではないだろう。

アジア在住の何人かの友人に連絡を取ってみた。
タイの友人は寝ていて地震に気づかなかったと言う。
シンガポールの友人は、地形的に被害がないと言う。
インドの友人は・・・内陸部で影響がないと思ったので
連絡を取っていない。


かなり前になるが、私は初めての海外旅行で行ったハワイで
「tsunami」に遭ったかもしれなかった。

私は友人と初めてのハワイを満喫していた。
時間は、午後3時くらいだったと思う。
ハナウマ・ベイでシュノーケリングを楽しんだ後、ビーチにいた。

当時の私は(今もだけど)英語が全く判らなかったので
何が起こったのか判らなかった。
何かのアナウンス(もちろん英語・・・当たり前)があった後、
ビーチの人々があわてて引き上げていくではないか・・・。
サメでも来たか? と友人とノンビリ話していた。

すると・・・・「tsunami!!」
と大声で言いながら、ビーチに残った私達に近づいてくる人。
なんでも、アラスカで地震があったからtsunamiが来る、
早く逃げろとジェスチャーで言っている。

何度も言うようだが、英語は理解できないので、
単語で判ったのは「tsunami」「アラスカ」のみ。
地震はジェスチャーでそうだろうと推理。

私達も帰り支度をして、
砂の付いたままの身体で、バス停まで急いだ。
ハナウマ・ベイからワイキキまでの道路は大渋滞。
バスは来るはずもなく(運転手も非難したから)
ホテルまでの道をトボトボと歩いて帰った。

ホテルに無事に帰り着いた私達は、
理解できないながらも情報を得る為にTVをつけた。
アラスカとハワイじゃ、かなりの距離がある。
関係ないじゃん。大丈夫でしょう?
当時は津波の恐ろしさを知らないので、そう思った。

スマトラ沖の地震で、アフリカまで津波が押し寄せるほどだから
ハワイまで届くよね・・・。

幸運にもTVでは、津波の影響はないと言っていた(たぶん)。
ギュルルルルッーーー。
安心したら急にお腹が空いた。
私達は、すきっ腹をかかえて町に出た。
ホテルのレストランがクローズだったから。

しかし、町は真っ暗・・・・。
レストランはもちろんの事、ショッピングセンターもクローズ。
働いてる人々もみんな自宅へ帰ってしまった。
食料を求めて、真っ暗なワイキキをさまよい歩く。

どれだけ歩いただろう・・。
1軒だけ開いてる店を発見。バーガーキングだ!
しかし、店を3重に巻くほどの長蛇の列になっている。
もうここしかない・・・列に並んだ・・・。
売り切れたら、どうしよう。飢えたまま寝るしかないのか?
こんなことなら、シリアルとヨーグルトを残しておくんだった。
朝食に、しこたま食べた食料がまぶたに浮かぶ。
ああ・・ビールも買い占めておけば良かった・・。

神は私達を見放さなかった。
ハンバーガーと7UPで空腹を満たした私達は
バーガーキングに手を合わせ、感謝をして店を後にした。

バーガーキングは、命の恩人である。

明日は、tsunami -モルディヴ編- を
お送りする予定です。

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A Happy New Year !

2005年01月02日 20時22分17秒 | 日記 / DAIRY
2004年は自然災害の多い年でしたね。
知人の家が台風で浸水したり、
親戚の家が地震で半壊したりと、
ひとごとではありません。

こうしている、この時にも、
被災されている方もいるのだと思うと
2005年は、ほのぼのとした年になりますように
と祈らずにはいられません。


さて、昨年は幸運にも、
タイ・シンガポール・マレーシア・インドと
4カ国に行く事ができました。
今年も、インド里帰りできるといいのですが、
・・・・なんとか行けるようにしなければ・・・。


さてさて、一年の計は元旦にあり、
(もう二日だけど・・。)
今年は、インド話を中心に旅の話やら
ライフワークのカレー食べ歩きやら
趣味のLIVEやスポーツ観戦やらの
日記を書くことにしました!


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