カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

サンキッサ:昇天の地。

2020年03月16日 22時24分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

仏教の八大聖地の一つではあるが・・・
このサンキッサだけは伝説の地である。
場所はアグラから車で片道4時間弱。
アクセスが悪いので車で行く事をお勧めする。

釈迦が生まれて7日目で母親のマーヤは亡くなってしまい、
釈迦は母親の妹に育てられた。

仏陀の時代は宗教が盛んで異教徒の挑戦を受け
仏陀も千体仏などの奇跡を見せていたそうだ。
その奇跡の一つとして仏陀は天界の母親マーヤに会いに行き、
3ヶ月間天界で説法を行い地上に降りて来た場所が、
サンキッサ(サンカーシャ)であると言われている。

天界に昇った場所と降りて来た場所が違う・・・
と言うのも、なんだかな・・・と思うけど。

入口はこんな感じで目立たない・・。

入って行くと祠があり中に仏像が・・・。

 

伝説によると仏陀は梯子を使って降りて来たが、
梯子は上から順々に消えて来て最後の7段だけ残った。
真ん中が仏陀、右で天蓋を掲げているのが帝釈天で、
左が梵天、後ろには梯子が描かれている。

その残った梯子の場所にアショーカ王が石柱を建てたと言われている。
アショーカ・ピラーは普通はライオン(獅子)であるが何故か象・・・。

 

 これね、獅子。

その後ろに仏陀が降りて来たと言う丘がある。

登って行くと白色とオレンジ色のヒンドゥー教の祠がある。

白い祠の中には養母マハー・パジャーパティの生まれ変わりと言う
女神が祀られており人々を毒蛇から守ってくれるそうだ。

オレンジ色の祠には、
ハヌマーン神が祀られている。
理由は・・・解らない・・・。

アクセスの悪い場所であり、
それほど有名でもないはずだが、
思ったよりインド人の観光客がいた。

周囲に日本寺(無人だったが)、ミャンマー寺、
カンボジア寺、チベット寺があり、昼休み時間だったのか、
周囲にはお坊さんたちがたくさんいた。

 

周囲には何もなく・・・日本寺の隣のホテルか、
1Kmほど離れた所にあるホテルのレストランを
利用するしかない。見所はこれだけであるので、
コストと時間をかけて行くべきかどうかは検討されたい。

各国の寺院とレストランについては後日記載する。

コメント (2)
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クシナガル:入滅の地。

2020年03月15日 22時23分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

29歳で出家し35歳で悟り、80歳になった仏陀は、
ラージギルから生まれ故郷のカピルバストゥを目指し、
弟子のアーナンダを伴に最後の旅に出た。

途中ヴァイシャリを過ぎマッラ国のパーリで、
鍛冶工チュンダから食事を施される。
これが毒キノコであったと言う説が有力であるが、
激しい下痢にみまわれた仏陀はチュンダを思いやり、
最後の食事を施したのだから多いな功徳があると告げる。

ようやくの事でクシナガルに着いた仏陀はアーナンダに依頼し、
二本の沙羅双樹の木の下に北枕で横たわった。

亡くなる当日にスバドラと言う行者がやって来て説法を受け、
最後の弟子となった。

『もろもろの事象は過ぎ去るものである。
  おこたることなく修行を完成しなさい』
仏陀の最期の言葉である。

 

涅槃堂から北に1Kmの所に仏陀が荼毘に付された場所がある。
その地に立つのがラマバール・ストゥーパである。

クシナガルに住んでいたマッラ族の首長が、、
「クシナガルにある香と花輪と楽器をすべて集めよ。」と命じ、
6日間にわたり仏陀の遺体を敬い、重んじ、供養した。
そして7日目に薪に火を付けようとしたが
何故か火を付けることができなかった。

同じ頃、仏陀の弟子のマハー・カーシャパ(大迦葉)が、
500人の修行僧と一緒にパーヴァー村からクシナガルに向かっていた。
クシナガラに到着したマハー・カーシャパは、
仏陀の火葬の前の薪のところに赴き、仏陀の足に頭を付けて礼拝した。
全ての修行僧の礼拝が終わると、薪はおのずから燃え上がったと言う。

ストゥーパの手前から左に行くと川に出る。
仏陀が最後の説法をする前に沐浴した川だ。
周辺の人たち(ヒンドゥー教徒)が仏陀を偲んで
一つの家族が一つづつ建立した石碑が並んでいる。

 

 

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ヴァイシャリ:最後の旅の地。

2020年03月14日 22時22分59秒 | 東インド / EAST INDIA

ヴァイシャリはビハール州の州都パトナーの北55Kmにある。
車で2時間くらい・・・。

仏陀の時代の北インドにはマガダ、コーサラ等16の国があり、
そのうちの一つがヴァイシャリで、
リッチャイヴィ族の首都として繁栄した都市だった。
ヴァイシャリの人々は仁・智に長けており、
仏陀が好んだ国の一つだったらしい。

ストゥーパの横にはマウリヤ朝のアショーカ王の柱がある。
アショカ王は仏教を保護し帰依していた。

下のレリック・ストゥーパはアショーカ王が、
8つに分骨されていた仏陀の仏舎利のうち7つを1か所に集め、
8万4千の仏塔(ストゥーパ)に分けた場所とされている。

 

仏陀は貴賤貧富の区別なく平等に法を説いており、
この地の遊女アンヴァパーリの接待も受けた。
裏手にある猿が掘ったと言われている池も、
人間としての扱いを受けていなかった人々が、
仏陀の供養の為に掘ったのかもしれない。

 

 

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シュラヴァスティ:教団本部の地。

2020年03月13日 22時21分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

シュラバスティはウッタル・プラデシュ州の北、
ネパールの近くにあるがアクセスはかなり悪い。
デリーからは約600Km、列車、バス、オートリクシャーと、
乗り継いで行かねばならないので、
予算のある人は車のチャーターをお勧めする。

見所は多く、苦労して行くだけの価値はある。
近所にちゃんとしたホテルが出来ているとは思うが、
無い場合はスリランカ寺に行けば宿泊できる。

なお周囲には数軒の屋台以外の飲食店はない。

別名サヘート・マヘートと言う。サヘートは祇園精舎、
マヘートは王国の都だった舎衛城の跡である。
そう「祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり」である。

祇園精舎の鐘はサヘート遺跡内ではなく、途中の道路端にある。
当時は鐘はなく、日本人の喜捨で鐘つき堂が建てられた。

シュラヴァスティはコーサラ王国の首都であった。
長者のスダッタは恵まれない人々の面倒をみていたが、
仏陀に出会った事で財産をなげうって寺院を建てた。
仏陀は24年間、雨季になるとやって来て滞在した。

仏陀が生活していた場所とアーナンダの菩提樹。

 

信者達が不在がちの仏陀の代わりに祈る対象として懇願し、
アーナンダが仏陀の許可を得てブッダガヤの菩提樹から、
移植したものでマハーボーディ寺院の菩提樹の次に重要。

マヘートは舎衛城の跡で大きく分けて2つの遺跡がある。
一つはスダッタ長者屋敷跡。

もう一つがアングリマーラのストゥーパ跡である。

アングリマーラは仏陀の弟子の一人で、本名はアヒンサと言う。
12歳でバラモンの弟子になり500人の弟子の中で最も優秀だった。
しかしバラモンの妻からの誘惑を断ったやめ罠にはめられ、
バラモンの命令で1000人を殺して切った指で首飾りを作れば、
修業が成就すると言われ、1000人目で仏陀と出会い弟子になった。

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ラージギル:布教の地。

2020年03月12日 00時19分59秒 | 東インド / EAST INDIA

ラージギルはビハール州の州都パトナーから。
陸路で3時間ほど96Kmの所にある。
釈迦の時代にはマガタ国の最大の都として栄えていた。

ラージギルは仏陀が最も長く滞在した場所で、
この地の霊鷲山(りょうじゅせん)で法華経を説いた。

山頂までには修業した洞穴もある。

頂上は平らになっており各国の仏教徒が訪れている。 

 

マガタ国王のビンビサーラが仏教に帰依したことで、
教団は発展したと言われている。

仏教の最初の寺院の跡である竹林精舎は、
土地は長者の寄進でビンビサーラが建立した。
隣には日本山妙法寺の寺院とストゥーパがある。

仏陀はここラージギルを拠点として布教活動をした。

 

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サールナート:初転法輪の地。

2020年03月11日 22時18分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

サールナートはウッタル・プラデシュ州のバラナシから、
北に10Kmほど行った所にある。

悟りを開いた仏陀は共に苦行した五人の沙門に説くべく、
ブッダガヤからサールナートへと向かった。

五人はブッダガヤで釈迦が村娘スジャータから乳粥の施しを受けた事で、
釈迦が苦行を止め堕落したと思い釈迦の元を去っていた。
最初は仏陀を蔑んでいた五人だったが説法を聞き悟りを開くに至った。

説法を行った場所にはダメーク・ストゥーパが建っている。


この場所をは鹿が多く住んでいたので鹿野苑と言われている。

この後、バラナシの長者ヤシャスが6番目の弟子となり、
火神アグニを信仰していた三迦葉とその信者も改宗し、
1000人を超える教団となっていった。

そしてマガタ国の都であったラージャグリハ、
(現在のビハール州ラージギル)へ向かった。

 

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ブッダガヤ:悟りの地。

2020年03月10日 22時15分59秒 | 東インド / EAST INDIA

インドのビハール州のブッダガヤは
釈迦が悟りを開き仏陀となった場所である。

高さ52mの本殿のあるマハーボーディ寺院は、
紀元前3世紀頃にアショカ王が建立した。

黄金の輝けるご本尊様。本殿の中は意外に狭い。

29歳で出家した釈迦はネーランジャヤー川の側にある、
『前正覚山』(悟る前の山)と言う岩山で、
6年間も苦行を重ねたが悟りを開く事は出来なかった。
(この山は別名『苦行山』とも呼ばれている。)
正覚するために修業した山であるところから、
前正覚山と言う名前が付いている。

修業したと言う洞穴の中には、
やせ衰えた釈迦の姿がある。

35歳になった釈迦はネーランジャヤー川で沐浴をした後、
セーナー村の娘スジャータから乳粥の布施を受け体力を回復し、
この菩提樹の下で瞑想に入った。

断食で消耗した釈迦は乳粥の布施を受け、
過度の快楽が不適切であるのと同様に、
極端な苦行も不適切であると悟った。
しかし一緒に出家した五人の沙門は、
釈迦が堕落したと思い釈迦の元を去った。

悟りを開き仏陀となった釈迦は7日間その楽しみを味わい、
更に縁起と十二因縁を悟った。

その後、悟りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうか
考えた結果、この真理は世間の常識に逆行するものであり、
世間の人々は悟りの境地を知ることはできない・・・
との結論に至ったが、梵天が現れ、説くよう繰り返し要請した。
仏陀は世の中には煩悩の汚れも少ない者もいるだろうから、
そういった者たちは理解できるだろうと開教を決意した。

 

 

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ルンビニ:釈迦誕生の地。

2020年03月09日 22時13分59秒 | ネパール / NEPAL

釈迦:ゴータマ・シッダールタは紀元前5世紀頃、
現在のネパール南部にあるルンビニで、
釈迦族の王子として生まれた。



母親であるマーヤがお産の為に実家に戻る途中、
花園の木陰で休んでいたところ右の脇の下から生まれた。
生れてすぐに七歩歩き右手で天を指し左手で大地を指し、
「天上天下唯我独尊」と叫んだ。
マーヤはその7日後に亡くなってしまい、
釈迦は母の妹によって育てられた。

インドからのアクセスはウッタル・プラデシュ州のゴラクプルから、
バスに乗り北上し国境の町スノウリに着く。
私は2015年4月、インドから国境を越えネパールに入った。
行きは白タクに乗ったので3時間だったけど、
帰りは恐ろしいほど汚いバスだった。

ルンビニ一帯は世界遺産である。
物凄く広い公園内にある釈迦が誕生した場所に立つのは、
マーヤー・デーヴィー寺院である。

 

寺院の中にマーヤーが休んだと言う木、
そして生まれた釈迦が歩いた7歩が記されているが、
内部は撮影禁止である。

アショーカ王が巡礼した時に建てられた石柱が残っている。

釈迦が産湯に使ったと言う沐浴池が寺院の裏手に残っている。

ルンビニの西27Kmにあるカピラバストゥは、
釈迦族の城があり釈迦が29歳で出家するまで住んでいた。
この東門から城を出て修行に入ったと言われている。

なお、インド側にも「ピプラハワ」と言う場所に候補地がある。
20世紀になってから政治がらみの論争が起きているが、
学術的な裏付けのある最終結論は出ていない。

 

 

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仏教の八大聖地を訪ねる。

2020年03月08日 22時48分59秒 | インド / INDIA

仏教における聖地はインドとネパールに合計8ヶ所ある。
釈迦が生きていた当時はインドとネパールに国境はなかった。

釈迦は紀元前5世紀に北インド釈迦族の王子、
ゴータマ・シッダッタとして生まれ、
出家し修業の末に悟りを開き仏陀となり仏教の開祖となった。

仏教には八大聖地と呼ばれる場所がある。
それは下記の通りである。

① ルンビニ    :生誕の地
② ブッダガヤ   : 悟りの地
③ サールナート  : 初転法輪の地
④ ラージギル      :  布教の地
⑤ シュラヴァスティ: 教団本部の地
⑥ ヴァイシャリ  :最後の旅の地
⑦ クシナガラ      :入滅の地
⑧ サンカーシャ  : 昇天の地

このうち①~⑦は伝記にまつわる遺跡のある所であるが、
⑧だけは伝説に基づいた場所である。
①は現在のネパールに、②~⑧はインドにある。

①②③⑦を四大聖地と呼ぶ事もある。
私は①~⑦までは既に行った事があったが、
⑧だけはその他の7ヶ所から離れており残っていた。
今回ようやく八大聖地を制覇した。

行ってみて思ったのは、やはり・・・・
①~⑦は伝記にまつわる遺跡のある所なので、
十分見ごたえがあった。
⑧は伝説の場所であるので・・・
他の7ヶ所に比べると規模も残されている物も、
イマイチなのは否めなかった。
遺跡と伝説ではこれほど違うのかと思った。

サンカーシャはウッタル・プラデシュ州にある。
現在はサンキッサと言った方が通りが良い。
鉄道を使ってもバスを使ってもアクセスが悪い、
小さな村にあるので私は思い切ってアグラから車で行った。
片道4時間はかかるがデリーから日帰り可能だ。
鉄道やバスを使えばまる2日はかかる。
ヘタするとバスの時間がなく2泊せざるおえない。

行ってみて解ったのは(罰当たりかもしれないが)、
時間と費用をかけて行くほどの所でもない。

これから、その八大聖地をおさらいする。

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【デリーの乗り物】 ~ プリペイド・オート ~

2020年03月07日 21時49分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

オートリクシャーは手軽な乗物だが、
メーター付きであってもメーターで行く事はほとんどない。
値段は交渉になるのだが、適正価格とはいかない。
メーター価格より20Rs程度は高いと思って間違いない。

昔、いつも40Rsで乗ってる所をメーターで乗ったら、
45Rsだった事があってビックリした事があったけど、
まぁそんな事はまずないのである。

10年以上前でもベンガルール(バンガロール)には、
プリペイドリクシャーのブースが街中にあった。
ブースで行き先を告げてお金を払い、
レシートを渡してオートリクシャーに乗るシステムだ。
面倒な交渉は不要である。

実はデリーやグルガオンでもここのところ、
プリペイドリクシャーのブースは見た事があった。

しかし「安全で便利なプリペイドリクシャーをご利用ください。」
と言う看板はあるのだが・・・・
ブースはあっても使われていないのが常だった。 

 

私はチャレンジャーでもあるのだが、
仕事がらチェックせずにはおられない。

ニューデリー駅に列車が深夜に到着した際、
自宅までプリペイド・オートに乗ってみた。
ブースの周囲には客引きが山ほどおり、
200Rs(約290円)だの言っていた。
実はその日の早朝、自宅から駅まで交渉で乗った際には、
150Rs(約220円)だったのだ。
これが目安である。

ブースで自宅の住所を告げたら155Rsと言われた。
早朝と深夜なので同じ位だろう。
私の交渉は正しかったなぁ・・・と思ってレシートを見た。

 

乗車料金は115RS。サービス料が30Rs、
何だか解らんトール・チャージが10Rsで合計155Rs。
と言う事はメーターで乗ったら115Rsって事だ。
日中であれば120Rs程度だと思うが、夜間だしな。

レシートをもらったあと、どのリクシャーに乗ればいいのか?
解らなかった。その辺にいた警官にレシートを見せて、
どのリクシャー?って聞いたら、
警官はその辺にいたリクシャーを止めてナンバーを書いた。
レシートは2枚くれるので1枚を運転手に渡して乗る。
行き先は町の名前しか書いてないので、
下車する場所は運転手に言う。

客引きして来るような強引な運転手のリクシャーに乗るよりは、
安全なのかもしれないけど。
流しのリクシャーでも良かったかも・・・・。
疲れていて交渉が面倒だったりするときには使ってもいいか。

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マクドナルドの朝マック・メニュー

2020年03月06日 21時42分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

マクドナルドの朝11時までの朝マックメニューで、
一番好きなのはホットケーキである。
ハッシュ・ブラウンとドリンク付きのミールで、
165Rs(約245円)と一番高いが大抵これを注文してしまう。

 

ソーセージ(チキンね)マフィンなどもある。

インドならではのメニューもある。
これぞインド!!なのはこれである。


ドーサ・マサラ・バーガーである。
いつも、ついホットケーキを頼んでしまうのだったが、
ついに・・・・・じゃじゃ~ん。

ハンバーグの代わりに挟んであるのは、
マサラ・ドーサの真ん中に入っているポテトの部分だ。
それにマヨネーズっぽいソースがたっぷりついていて、
味がかなり濃い・・・。

アールティッキ・バーガーなんてのもあるので、
それに似てるんだけど、それほどフライっぽくない。
ミールスで124Rs(約185円)と一番安いのである。
まぁありかな。

コーヒーはドリップしてあるけどミルクは入っている。
そして砂糖とケチャップはデフォルトで2個ついてくる。

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インドでゴルフ、126回目。

2020年03月05日 21時49分59秒 | スポーツ / SPORTS

いやぁ暑い・・・・既に日中は半そででも汗ばむ。
ゴルフに行けるのもギリギリで3月いっぱいだわね。
と、今回は3年振りにカルマ・レイクランドと言うコースへ。
ここは9ホールしかなく2回回るのだが、パー66。

3年振りに来たらクラブハウスも新しくなってるし、
ロッカールームも電子錠!インドで初めて見た。
やり方が解らず、いろいろ試してみてやっと把握した。

シャワーも4つと他のゴルフ場より多い。


なんか変なオブジェも・・・・。


南国っぽい。

こんなに綺麗なコースだったんだね。
なんかいつもゴールデン・グリーンばかり行っていたから、
緑が美しく見えるわ。目に青葉って感じ。3月だけど。

  
インド名物、犬バンカー。
ぽかぽかだから犬も気持ちよさげに昼寝。

パー66だったんだけど・・・。
おかしいなぁ。パー3、ボギー3、ダブルボギー4、その他8、
1パットはたった2回・・・・。


しかしこの日は面白いルールで賞金がたくさん。
まずはバンカーで15回叩き、最も叩いたで賞で500Rs。
そして1パット2回だったにもかかわらず、
オリンピックで女性はハンデ10もらったので15点でトップ。
750Rs。そして女性2位で200Rs追加。
しめて1450Rsの荒稼ぎ。


2階にあるレストランもお洒落になってた。

 

ゴルフ場よ、ここ。ビールサーバーもあったし、すごい。
どうなっちゃったの、カルマ。

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今日のカレー(No.411) ~シッキム・キッチン~(パハール・ガンジ)

2020年03月04日 22時21分59秒 | カレー / CURRY

シッキム州はインドの東北部にある。
ネパールとブータン、中国に国境を接しており、
州都はガントク。2年前に訪問している。

東洋系の顔立ちの人が多く、
実は私・・・シッキム人を自称している(笑)。
片言のヒンディー語を話すと相手のインド人は
「インド人か?」「どこから来た?」などと問う。
笑って冗談で済ませられる状況では
「シッキム」と答えている。

なのでこの店は前を通るたびに気になっていた。
ところが・・・入店してみるとスタッフは普通のインド人顔。
メニューを見てもシッキム料理がないので、
聞いてみたところ・・・どうもシッキム料理ではないらしい。

            

住 所:1653, Main Bazaar, Paharganj, New Delhi
電 話:91-9971155311, 9635140708
予 算:150Rs~

<食したメニュー>

スペシャル・ベジ・ターリー 150Rs(約230円)

これが一番お勧めだと言うので・・・

<店内の雰囲気>

町中の安食堂であるが、なぜか外国人客が多い。。
まぁバックパッカーの多い安宿街だから仕方ないのか。

<感想と評価>

普通のターリーである。
左手前がダール、奥がパニール。ライスの横に野菜カレー。
ヨーグルト、スライス野菜とパパド。チャパティ2枚である。

驚いたのはカレーが全く辛くない事だ。
ダールとパニールに至っては甘口か?と思った。
野菜カレーが最も辛い。だからなのかチリソースがついていた。

私をネパール人と思ったのかどうかは知らないが、
大根のムラコ・アチャールをくれた。

 評価は●(残念・・・。)
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

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デリーのカフェ ~ カフェ・ドリー ~(ヴァサント・ローク)

2020年03月03日 22時20分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

最近のブームなのか? 
ファブ・インディアやアノーキーと言った、
インドブランドのブティックがカフェを併設している。
お買い物の前後に一休みできるので良いと思う。

このカフェはナッパ・ドリーと言う
革製品のカバンやステーショナリーなどを扱う店である。
最近カフェを併設し始めた。

行きつけの韓国カフェがあるエリアである。

            

住 所:17 A, Basant Lok, Vasant Vihar, New Delhi
電 話:91-11-45601122
予 算:200Rs~

<食したメニュー>

アメリカーノ 160Rs(約245円)

食事はサンドイッチ程度であるが400Rs~と結構高い。

<店内の雰囲気>

1階は店舗で2階にカフェがある。


空いている。1階のレジでオーダーを済ませて2階に上がる。
天井が低いがトイレもある。

<感想と評価>

普通のコーヒーであった。

近所に行きつけの韓国カフェがあるので、
あえてここに行くほどではないなぁ。

 評価は○(以上。)
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

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今日のカレー(No.410) ~キャピタル・キッチン~(タージ・パレス)

2020年03月02日 22時00分59秒 | カレー / CURRY

タージパレスにあるレストランである。
他にもあれけど、ここを選んだのは、
同行者にビリヤーニを食べさせたかったからである。

なんと24時間営業である。
まぁ周りに何もないから仕方ないのだが、
高級ホテルはホテル内に何でもそろっており、
用事が済むようにできているのだ。

            

住 所:Taj Palace 2, Sardar Patel Marg, Chanakyapuri, New Delhi
電 話:91-11-26110202
予 算:1500Rs~

<食したメニュー>

グリル・プラウン・ウィズ・レモン・ガーリック・バター
1700Rs(約2530円)、
タンドリー・ナン 425Rs(約630円)、
ゴーシュト・ビリヤーニ 1375Rs(約2050円)、
ダール・マッカニー 1000Rs(約1490円)、
ラスマライ 725Rs(約1080円)、
コーヒー 450Rs(約670円)

<店内の雰囲気>

広い。ドレスアップしていくほどの、
思ったほど高級感はない。
周りは外国人客が多かったが皆カジュアルだった。
気取らなくても大丈夫。

<感想と評価>

まずはパパド、え? お酒もないのにオツマミ?
飲んだけどね(笑)割愛ってことで。
トマト系とミント系のチャツネ付き。

同行者のたっての希望で海老。
グリル・プラウン・ウィズ・レモン・ガーリック・バターと言う、
長~い名前である。やっぱり海老は旨いね。

 

はい、ビリヤーニは壺入り。本来はこういう物である。
壺にご飯や具材、スパイスを入れて蓋をして、
タンドール釜で蒸し焼きにする
だからご飯には均等に色がついていない。
日本だとまっ黄色だったりするが
あれば炊き込みご飯や混ぜご飯である。

 

インドでカレーと言えばダール、豆である。
マッカニーとはバターをふんだんに使った、
トマトベースの濃厚なグレービーなカレーである。

さすがは高級ホテル、ナン1枚が425Rs。
総合的に高いのであった。

 

インド・デザートは激甘だけではない
と言う事を証明するために注文した。

ラスマライは牛乳を煮詰めた上澄みを使って作る。
ピスタチオやアーモンドスライスをトッピングして食べる。
それでもブラックコーヒーがいるんだけれど。

 評価は◎(そうそう行けない。)
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

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