『 橋下氏は会談で大飯原発の再稼働について「政治家が安全宣言をしたのは絶対におかしい。国民は納得していない。(原発)事故が起きていない平時の再稼働手続きを、事故後もそのまま進めるのはおかしい」と政権の対応を批判した。(4月24日付け毎日新聞・電子版)
時制のない考え方では、過去の ‘常時’ と 現在の ‘非常時’ の内容を区別して考えることが難しい。
日本語には時制 (現在・過去・未来の構文の違い) がない。
過去の内容は、過去時制の文章として脳裏に残ることはない。内容は、すぐに風化する。
未来の内容は、未来時制の文章として脳裏に残ることはない。内容は、いつまでたっても不明である。
だから、古い物事を究めて、新しい知識や見解をひらくこと (温故知新) は難しい。
目の前のことを歌に詠む。このことだけが、我が国の伝統的な学問になっている。
過去を過去として考えることができない例を、イザヤ・ベンダサンは自著 <日本教について> の中で以下のように説明しています。
たとえば「ロッド空港事件」の岡本公三が属していた赤軍派です。彼らの主なメンバーは、銃砲店でライフル銃を強奪して、ある有名な別荘地の山荘に立てこもったのですが、その理由は毛沢東が「銃口から政権が生まれる」と言ったので、その通りに実行したと言われております。これは彼らに「なるほど、歴史のある時期には、『銃口から政権が生まれる』といえる時代もあったのだ」と感じる感覚が全く欠如していることを示しています。そこでこの言葉を正しいとすることは、すぐさま銃をもって山荘にこもることに直結してしまうわけです。(引用終り)』
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