内心の自由<本澤二郎の「日本の風景」(4513)
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内心の自由<本澤二郎の「日本の風景」(4513)
<基本的人権の根幹=侵害は拷問そのもの=国葬阻止が憲法>
憲法19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」、同97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」。
以上の条文は、基本的人権についての憲法の明解な立場を宣言している。思想及び良心の自由、すなわち内心の自由は、永久の権利で不可侵と保障している。国葬を否定したものだ。人の死を悼む方法はいろいろあろうが、弔意を国民に強要することは、憲法が禁じている。あってはならない。
弔意強要は、人の自由な意思を拘束するもので、従ってあってはならない「拷問」に等しい。やってないことをやったと自白させる、恐怖の「拷問」に等しいものなのだ。こんな国はいまはどこにもないはずである。内心の自由は、基本的人権の核心なのだ。侵害されると、日本人の死を意味しかねない。
<拷問文化を真っ向から否定した最高法規=国葬は無効>
99条は「公務員は憲法を尊重し擁護する義務を負う」とも明言している。岸田内閣の閣議決定は、憲法19条違反、97条違反、99条違反であって、到底容認できない。直ちに撤回、反省と謝罪をするしかない。
98条は、憲法が「最高法規」とも宣言し、これに反する行為は「効力を有しない」。安倍国葬は無効なのだ。
<15条で公務員罷免権は国民固有の権利>
戦前の天皇制国家主義下の国葬令は、戦後に失効して法的根拠はない。そもそも内心の自由を侵害する国葬そのものを容認していない。岸田文雄内閣は、最高法規の憲法によって即罷免しなければならない。罷免権は国民固有の権利である。国葬反対の潮は、全土に広がりを見せるだろう。燎原の火のように!
昨日、本ブログの全集第1巻と2巻3巻のゲラが届いた。忙しくなりそうだ。夕刻前に自動草刈り機を動かした途端、朝寝坊してしまった。
2022年7月23日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)
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