次に、歴代の万博の来場者数のランキングを振り返ってみます。

 
 
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1位 2010年 中国 上海国際博覧会 7300万人
2位 1970年 日本 日本万国博覧会(大阪万博) 6400万人
3位 1900年 フランス パリ万国博覧会(第5回) 5000万人
4位 1967年 カナダ モントリオール万国博覧会 5000万人
5位 1933年 米国 シカゴ万国博覧会(第2回) 4860万人

 このランキングを見て、気づくことがないでしょうか? 集客に成功した万博は、開催国の経済が急成長している時期に行われたのです。

 1位の中国、2位の日本は、高度経済成長期でした。3位は当時、フランスが重工業で発展するドイツやイギリス、アメリカに対抗していた時期。フランスは芸術での優位性を強調し、万博を機にアール・ヌーヴォーが流行しました。また、4位はカナダの歴史上最も経済が成長した時期(経済成長率5.2%)。5位は、米国が第1次大戦を経て急成長した後で、本来はもっと上位になるポテンシャルはあったのですが、1929年の大恐慌によって5位にとどまったとも分析できます。

 万博とは、世界各国が自国の発展のために、将来の市場として有望な開催国で、一つの会場に物理的に集中してパビリオンを建設することで集客するイベントです。改めてこう論じると、2025年の大阪万博は、いかに成功が難しそうか、分かりますよね。

 高速インターネットやスマートフォンの普及により、物理的に新しい商品を1カ所に集める意義は薄れています。さらに、日本を市場として見た場合、人口減少や潜在成長率の低下などもあり、参加国から見て魅力的とは言い難い状況です。

 また、「世界の中での日本」という観点で万博の意義が失われているだけでなく、「日本の中の大阪」という観点でも、その意義は急速に失われつつあると思います。その理由は、2025年大阪万博の旗振り役でもあった堺屋氏のビジョンと、現実が大きく異なってきているからです。

 堺屋氏は、かつてあるインタビュー記事で次のように語っています。

「東京と違い、大阪は官僚統制を受けてきませんでした。民によって街づくりがなされ、民の文化を醸成してきたのです。万博構想のある2025年を契機に、大阪という都市を日本だけでなく世界でどう位置付けるか。自主独立の文化をもう一度生み出し、大阪の誇りを取り戻すことは、日本にとって有益になる。今こそ発想を大転換し、再び日本の中心たる大阪を目指そうではありませんか」(婦人画報2017年4月号、大阪エリア版にて)

 この「自主独立の文化をもう一度生み出し、大阪の誇りを取り戻す」というビジョン。何とも皮肉なことに、今や大阪万博は、国に建設保険や一部費用などの負担を求める事態になっています。

 また、SNS上では最近、ある疑念が渦巻いています。《大阪万博のポスターが「2025年大阪・関西万博」から「2025年日本国際博覧会」に表記が変更されているものが増えている》《大阪府知事は万博実施に不安の声が大きくなると逃げを打った》といった指摘が相次いでいるのです。

 万博協会はこの疑惑を否定するものの、こうした指摘がはやるのも、国に責任負担を求める事態になっているからです。もはや、堺屋氏が言う「大阪の誇りを取り戻す」レベルではなく、むしろ“後ろめたい”現状になっています。

 総じて2025年の万博は、ネットの普及、日本経済の現状、大阪万博としてのビジョンの面で、成功する要素があまりにも少ないでしょう。工事は進んでいるものの、将来的な解体・メンテナンス費用なども勘案すれば、中止の決断をしたほうが国民、大阪府・市民にとっていいのではないかと個人的には強く思って仕方ありません。

(トライオン代表 三木雄信)