※2月23日の「財団法人少年の船協会」関連の報道後、何件か「少年の船」で検索して本ページを訪問いただいていますが、本記事は秋田の民放テレビ局がかつて実施していた団体旅行「AKT少年の船」についての記事であり、同財団とは関係ありません。
※この記事に画像はありません。ご了承ください。
土曜日曜午後の民放テレビは、秋田ではTBSのドラマかテレビ東京の番組が多い。青森ではフジテレビのドラマを各局同時に放送することもあった。放送局にとってはいい“時間潰し”なのだろうか。
1月24日土曜日の13:30から1時間、秋田テレビ(フジテレビ系、AKT)で「なつかしの扉を開けて~AKTアーカイブス~」という新企画が放送された。名前からして「NHKアーカイブス」を髣髴させる番組だが、僕はこの手の古い番組が好きなので、見た。(以下、見た記憶で書いているので、間違いがあるかもしれません)
今回は昭和55(1980)年放送の「第1回AKT少年の船」の同行番組だった。
秋田にずっと住んでいる20歳代以上の方はご存知かと思うが、先に「AKT少年の船」をご説明する。
秋田テレビが主催し、県内の小学校高学年から中学生を対象とした、グアム・サイパンへの船による団体旅行。秋田は冬休みが長いのを活かして、年明けから冬休み明け頃まで10日ほどの日程の企画で、「真冬の秋田から常夏のグアム・サイパンへ」というキャッチコピーだった。
今回の番組によれば、1980年から日本海中部地震による中断(2回?)を経て、18回行われたと言っていたと思う。
僕は行ったことがなく、クラスに行った人がいれば珍しいなという感じだったが、旅行中の同行アナウンサーによる「少年の船だより」や終了後の特番が前編・後編・総集編と3回に渡って土曜の午後に放送されたり、「♪世界の旅だ 世界の旅だ~ AKT~ AKT~ 少年の船~」というテーマ曲が記憶に残っている。
番組の内容は、スタジオトークを交えて、昔の番組を流すという、土曜午前の「NHKアーカイブス」によく似た構成だが、余計なものがなく、これでいい。
スタジオ(というか副調整室?)は司会の管アナウンサーと男性2人。1人は当時の参加者指導の責任者の大友康二氏(後述)だが、もう1人が数年前までAKTのアナウンサーだった、塩田耕一氏。久しぶりにお見かけしたがお元気そうで懐かしかった。塩田さんは、今回だけのゲストなのか、(今後も放送があるとすれば)昔のAKTを知る人物としてのレギュラー扱いなのかが気になった。
番組の中身は、まず画質が古い家庭用ビデオ程度でかなり悪い。
もう1つ懐かしいのが、同行取材とナレーションが塩田さんと並ぶ、同社の古参・鈴木陽悦氏(現参議院議員)だったこと。白髪の印象があるが、まだ黒々としていた。
以下、気付いた点。
・行きは晴海発で帰りは仙台着。秋田と発着地はバス移動。
→東京まで15時間。当時の子供にしてみれば、これだけでも大旅行だ。末期は発着とも仙台だったはず。
・船は「さくら丸」→末期は「おりえんとびいなす」などが使われたはず。
・参加者約800人→団塊ジュニア世代が参加対象になるかどうかという時期。
・引率者40名。県内各地の学校の先生が集められ、参加者の指導にあたった。
その責任者がゲストの大友氏。下見できる遠足と違い、船や海外という場所で、初対面の子供たち相手というでぶっつけ本番で緊張したそうだ。
→当時の先生たちの交流は今でも集まることがあるそうで、最近行われた宴会の模様が映っていた。
・参加者の服装などが今と違うが、受け答えはしっかり。
→「ちびまる子ちゃん」のハマジみたいな風貌の子がたくさんいたが、特に中学生くらいの女の子などは皆、陽悦さんのインタビューにしっかりとした口調・敬語で答えていて、今のようにマセていないものの大人っぽかったのが意外だった。
・帰りに船上で盲腸患者発生。同行医師が手術が必要と判断し、自衛隊岩国基地から飛行艇が出動し、緊急輸送。
→飛行艇の着水、仲間に声を掛けられながら搬送されるシーンなど貴重な映像だ。大友氏の話では、この湯沢の中学生は現在会社社長をしているらしい。
・少年の船の歌がいい→「海を越え 波を越え 国を越え」だったか歌詞もメロディもきれいな歌だ。
ゲストの大友康二氏は、ネットで調べたところ、75歳位で大町(川反)の「東海林太郎音楽館」館長をされているようだが、教員時代は小学校教諭、教育庁関係の管理職、高等学校長などを歴任され、県内各地の学校の校歌の作詞もしているようだ(少年の船の歌の作詞もそうだった気がする)。音楽か国語の先生かと思ったが、教育庁保健体育課長もされたようなので、体育の先生かもしれない。ともかく広い分野に造詣の深い方だ。※大友氏については、この記事中ほどにて
もう1つ、今回の番組で感じたのは、字幕の少なさ。時々地名が手書きテロップで入るほかは、「映像だけの映像」と陽悦さんのゆっくり目のナレーションで、映像状態が悪いものの落ち着いて見られた。「AKTアーカイブス」と「アナログ」のテロップがずっと出ていたのさえ目障りに感じてしまうほど。
耳が遠い人への配慮もあるが、それにしても今のテレビ番組は字幕が多すぎてうるさいと改めて思った。
次回の放送があるのかは分からないが、身近な秋田の昔が分かる番組は貴重でおもしろいので、期待したい。
【2月28日追記】月1回の放送で、2月28日15:30から2回目が放送された。
今回は1973年放送の「クボタ民謡お国めぐり」の第1回。民謡王国秋田のAKTが製作し東北6局にネットしている、現在も放送中の民謡歌番組。
今回も副調整室から管・塩田コンビの司会で、当時三味線奏者として出演した現在の秋田県民謡協会の理事長がゲスト。当時の番組は、20代後半の塩田氏と女性(アナウンサーか?)2人の司会だが、“漫才マイク”1本に向かって話していて、夫婦漫才みたいだった。よそよそしいような独特の言葉づかい・言い回しが時代を感じる。カメラ2台、録画ながらも編集ができず苦労したそうだ。クロマキー(画像合成)やその応用と思われるエコー画像(三味線奏者の姿をモノクロで何重にも重ねていた)も使われていて、当時としてはがんばっていたのだろう。
次回予告がなく、直前にならないと放送内容が分からないのが難点だが、AKTアーカイブスはなかなかおもしろい。
【2014年2月11日追記】その後、ちょっと調べて分かった、その後のAKT少年の船の情報。
・「少年の船の歌」は作詞:大友康二、作曲:菅原良吉(ほかにも、このコンビで秋田県内の校歌などがいくつか作られている)【2018年3月24日補足・菅原氏は中学校の音楽の先生だったそうで、大友氏と友人で2018年時点で既に故人】
・少なくとも1999年の第18回までは行われた。
・船舶は「ニューゆうとぴあ(1994年)」→「おりえんとびいなす(1996年)」→「にっぽん丸(1998年)」と変遷
・1990年台後半は、ローカルタレント(15・16回? は石垣政和、17回は「特別講師」の肩書きでブラボー中谷)が同行したり、乗船前に船の科学館(2011年で本館展示休止)やキー局であるフジテレビの新社屋(1997年に台場へ移転)を見学したりといったことが行われた。この頃の参加費は1人25万円ほど。
※この記事に画像はありません。ご了承ください。
土曜日曜午後の民放テレビは、秋田ではTBSのドラマかテレビ東京の番組が多い。青森ではフジテレビのドラマを各局同時に放送することもあった。放送局にとってはいい“時間潰し”なのだろうか。
1月24日土曜日の13:30から1時間、秋田テレビ(フジテレビ系、AKT)で「なつかしの扉を開けて~AKTアーカイブス~」という新企画が放送された。名前からして「NHKアーカイブス」を髣髴させる番組だが、僕はこの手の古い番組が好きなので、見た。(以下、見た記憶で書いているので、間違いがあるかもしれません)
今回は昭和55(1980)年放送の「第1回AKT少年の船」の同行番組だった。
秋田にずっと住んでいる20歳代以上の方はご存知かと思うが、先に「AKT少年の船」をご説明する。
秋田テレビが主催し、県内の小学校高学年から中学生を対象とした、グアム・サイパンへの船による団体旅行。秋田は冬休みが長いのを活かして、年明けから冬休み明け頃まで10日ほどの日程の企画で、「真冬の秋田から常夏のグアム・サイパンへ」というキャッチコピーだった。
今回の番組によれば、1980年から日本海中部地震による中断(2回?)を経て、18回行われたと言っていたと思う。
僕は行ったことがなく、クラスに行った人がいれば珍しいなという感じだったが、旅行中の同行アナウンサーによる「少年の船だより」や終了後の特番が前編・後編・総集編と3回に渡って土曜の午後に放送されたり、「♪世界の旅だ 世界の旅だ~ AKT~ AKT~ 少年の船~」というテーマ曲が記憶に残っている。
番組の内容は、スタジオトークを交えて、昔の番組を流すという、土曜午前の「NHKアーカイブス」によく似た構成だが、余計なものがなく、これでいい。
スタジオ(というか副調整室?)は司会の管アナウンサーと男性2人。1人は当時の参加者指導の責任者の大友康二氏(後述)だが、もう1人が数年前までAKTのアナウンサーだった、塩田耕一氏。久しぶりにお見かけしたがお元気そうで懐かしかった。塩田さんは、今回だけのゲストなのか、(今後も放送があるとすれば)昔のAKTを知る人物としてのレギュラー扱いなのかが気になった。
番組の中身は、まず画質が古い家庭用ビデオ程度でかなり悪い。
もう1つ懐かしいのが、同行取材とナレーションが塩田さんと並ぶ、同社の古参・鈴木陽悦氏(現参議院議員)だったこと。白髪の印象があるが、まだ黒々としていた。
以下、気付いた点。
・行きは晴海発で帰りは仙台着。秋田と発着地はバス移動。
→東京まで15時間。当時の子供にしてみれば、これだけでも大旅行だ。末期は発着とも仙台だったはず。
・船は「さくら丸」→末期は「おりえんとびいなす」などが使われたはず。
・参加者約800人→団塊ジュニア世代が参加対象になるかどうかという時期。
・引率者40名。県内各地の学校の先生が集められ、参加者の指導にあたった。
その責任者がゲストの大友氏。下見できる遠足と違い、船や海外という場所で、初対面の子供たち相手というでぶっつけ本番で緊張したそうだ。
→当時の先生たちの交流は今でも集まることがあるそうで、最近行われた宴会の模様が映っていた。
・参加者の服装などが今と違うが、受け答えはしっかり。
→「ちびまる子ちゃん」のハマジみたいな風貌の子がたくさんいたが、特に中学生くらいの女の子などは皆、陽悦さんのインタビューにしっかりとした口調・敬語で答えていて、今のようにマセていないものの大人っぽかったのが意外だった。
・帰りに船上で盲腸患者発生。同行医師が手術が必要と判断し、自衛隊岩国基地から飛行艇が出動し、緊急輸送。
→飛行艇の着水、仲間に声を掛けられながら搬送されるシーンなど貴重な映像だ。大友氏の話では、この湯沢の中学生は現在会社社長をしているらしい。
・少年の船の歌がいい→「海を越え 波を越え 国を越え」だったか歌詞もメロディもきれいな歌だ。
ゲストの大友康二氏は、ネットで調べたところ、75歳位で大町(川反)の「東海林太郎音楽館」館長をされているようだが、教員時代は小学校教諭、教育庁関係の管理職、高等学校長などを歴任され、県内各地の学校の校歌の作詞もしているようだ(少年の船の歌の作詞もそうだった気がする)。音楽か国語の先生かと思ったが、教育庁保健体育課長もされたようなので、体育の先生かもしれない。ともかく広い分野に造詣の深い方だ。※大友氏については、この記事中ほどにて
もう1つ、今回の番組で感じたのは、字幕の少なさ。時々地名が手書きテロップで入るほかは、「映像だけの映像」と陽悦さんのゆっくり目のナレーションで、映像状態が悪いものの落ち着いて見られた。「AKTアーカイブス」と「アナログ」のテロップがずっと出ていたのさえ目障りに感じてしまうほど。
耳が遠い人への配慮もあるが、それにしても今のテレビ番組は字幕が多すぎてうるさいと改めて思った。
次回の放送があるのかは分からないが、身近な秋田の昔が分かる番組は貴重でおもしろいので、期待したい。
【2月28日追記】月1回の放送で、2月28日15:30から2回目が放送された。
今回は1973年放送の「クボタ民謡お国めぐり」の第1回。民謡王国秋田のAKTが製作し東北6局にネットしている、現在も放送中の民謡歌番組。
今回も副調整室から管・塩田コンビの司会で、当時三味線奏者として出演した現在の秋田県民謡協会の理事長がゲスト。当時の番組は、20代後半の塩田氏と女性(アナウンサーか?)2人の司会だが、“漫才マイク”1本に向かって話していて、夫婦漫才みたいだった。よそよそしいような独特の言葉づかい・言い回しが時代を感じる。カメラ2台、録画ながらも編集ができず苦労したそうだ。クロマキー(画像合成)やその応用と思われるエコー画像(三味線奏者の姿をモノクロで何重にも重ねていた)も使われていて、当時としてはがんばっていたのだろう。
次回予告がなく、直前にならないと放送内容が分からないのが難点だが、AKTアーカイブスはなかなかおもしろい。
【2014年2月11日追記】その後、ちょっと調べて分かった、その後のAKT少年の船の情報。
・「少年の船の歌」は作詞:大友康二、作曲:菅原良吉(ほかにも、このコンビで秋田県内の校歌などがいくつか作られている)【2018年3月24日補足・菅原氏は中学校の音楽の先生だったそうで、大友氏と友人で2018年時点で既に故人】
・少なくとも1999年の第18回までは行われた。
・船舶は「ニューゆうとぴあ(1994年)」→「おりえんとびいなす(1996年)」→「にっぽん丸(1998年)」と変遷
・1990年台後半は、ローカルタレント(15・16回? は石垣政和、17回は「特別講師」の肩書きでブラボー中谷)が同行したり、乗船前に船の科学館(2011年で本館展示休止)やキー局であるフジテレビの新社屋(1997年に台場へ移転)を見学したりといったことが行われた。この頃の参加費は1人25万円ほど。