広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

柳原・古川添その後

2009-01-30 23:03:44 | 秋田のいろいろ
先日、秋田市卸町の県道と国道の交差点周辺の3つの標識類を取り上げた。同時に、「標識BOX」へメール送信していたのだが、その回答が来た。
同じ地点だが、担当部署が違うと思われたので、一括して受け付けてくれる国交省道路局へ送ったのだが、各セクションで回答したものを秋田県で取りまとめた回答だった。

まずは、有楽町方面から交差点に入った際の車線区分標識。規制標識なので県警本部の担当だ。
設置場所の状況や費用の検討、道路管理者との調整があるので時間がかかるとしながらも、できるだけ早期に設置するという趣旨の回答だった。
3件の中では、もっとも費用がかかるが必要性も高い件だと思っていたが、前向きな対応に安心した。
【12月8日追記】設置されたのを確認

次に、地点名表示の「柳原」は、県の管轄。「卸町」に変更してくれるそうだ。

最後の、県道側の信号機の地点名表示が、古い地名の「古川添」で、かつローマ字が表記が間違っていて、かつ国道側にはない点。意外にも県でなく国交省の対応だった。
僕としては「古川添」があまり知名度がない地名だと認識しているが、先方では「一般に使用されている」という見解で、名称変更はしないとのこと。国道側の設置にも触れなかった。
ただ、ローマ字表記は「Furukawazoe」のeをiに変更し、秋田市役所の見解と一致した読みの表示にしてくれるようだ。公的機関の間で読みが一致していないという矛盾は解消されるのでよかった。

僕1人の意見をほぼ受け入れてくれたのはありがたく、提案したかいがあった。言ってみるもんだ。
僕の納税額以上の出費をさせてしまうことになって、ちょっと申し訳ない気もするが、特に車線区分標識は、ドライバーの混乱、渋滞や事故の減少に多少なりともつながるはずなので、無駄ではないと思う。
現場に変化があれば、写真でご紹介したい。


以前も書いたけれど、皆さんも、道路などの不具合、矛盾、要望や提案があれば、どんどん情報提供した方がいいと思う。
子供・お年寄り・障害者などの事故防止、他の歩行者やドライバーの不安・不満の解消など、きっと役立つことがあるはずだから。
一応、連絡先をまとめておくと(URLは検索してください)、
・道路の不具合など全般→国交省道路局の「道の相談室」
・信号機関係→各都道府県警の「信号機BOX」
・標識関係全般→道路管理者に関係なく:国交省道路局の「標識BOX」
 規制標識:各都道府県警のの「標識BOX」
 案内標識:高速道路会社、国交省地方整備局、都道府県の「標識BOX」
ほかにも、各市町村などの道路管理部局で独自に受付窓口を設置している所もある。
事故に直結するような緊急・重大なものは警察に電話した方がいいだろうが、ちょっとしたことなら、きっとこれらの窓口が慎重に検討してくれると思う。
この続き(実際の対処)はこちら
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新屋の「門」

2009-01-30 19:57:53 | 
最近、橋 ―特に大きな川に架かる古めの橋― に興味が出てきたので、「橋」カテゴリーを作りました。

秋田市の南部を流れ日本海に注ぐのが、県内最大の河川、雄物(おもの)川。その河口から3番目の橋が、茨島地区と新屋地区を結ぶ「秋田大橋」(以前除雪状況を記事にしました)。1934(昭和9)年に国道7号線として開通し、2001年に架け替え、2003年に県道に移管された。今回は主に初代の橋を取り上げる。

今でこそ、秋田市内(旧雄和町地区を除く)の雄物川に架かる橋は4本あるが、昭和50年代までは2本、20年代まではこの秋田大橋だけだった。
新屋には僕自身や家族が勤めていた時期があるし、さらに先の動物園のある大森山、海水浴などへ出かける時によく渡っていた橋だった。そんなこともあってか、この橋を渡ると、独特の気分がした。
旧秋田大橋を渡る車内から
先代の秋田大橋は、「トラス橋」という、鉄骨を三角形に組み合わせた構造体で橋の重さを支える構造の橋で、同じデザインのトラスが6つ連なっていた。昭和初期の最先端の技術だったのだろうが、リベット(鋲)での接合、太い鉄骨、どっしとしたデザインが存在感があった。“秋田”大橋という名に恥じない立派な橋だったと思う。
今も現役の1つ下流の「雄物新橋」も構造上は同じトラス橋だが、秋田大橋の20年後、戦後の設計で、溶接の多用、細い鉄骨で全体として秋田大橋よりも繊細な感じで秋田大橋ほどの存在感はない。
僕にとって、秋田大橋は新屋地区への「門」のような存在感だったのかもしれない。
新屋側から(下の写真も)

6連のトラスがいかめしくも美しかった

今の橋は1997年に着工し2001年開通と工事に4年もかかったのに、先代は昭和7年に着工し、2年で開通している。現在の方が用地買収や交通規制で制約が多かったのかもしれないが、昭和初期にあんな長くて大きなものを2年で作り上げ、それが21世紀まで67年も現役であったことはすごい。設計・施工の技術水準や苦労が偲ばれる。

なお、東海地方の国道1号線などに、秋田大橋の“同期”といえる、同時期に架けられて似た構造の橋がいくつかある。これらの橋は、昭和初期の不況(昭和恐慌)対策の公共事業として架けられた経緯があるらしいので、秋田大橋ももしかしたら、そういう側面もあったのかもしれない。同時期に雄物川放水路の工事も行われていたし。

昔の白黒写真を見ると、トラスが白でなく黒っぽい色をしており、車道と歩道の区別がない。トラスの塗り替え時期は不明だが、歩道は1969年に後付けされたようだ【2017年5月15日追記・追記時のWikipediaには「角川日本地名大辞典」を出典として、歩道橋設置は「1976年6月」とある】。設計当時にこれほど車が増えるとは思わなかったのだろう、歩道を増設して対処した橋が全国的に多い。
橋本体の外側にくっ付けるようにして設置されたため、「揺れて怖い」と言う人もいたが、鈍感な僕は気にならなかった。雄物新橋よりは広い歩道で、トラスを隔てて車道から隔離されたようで、5分ほどかけて歩くのも嫌いではなかった。
その後、1981年に床板などの交換や補修工事、1990年に20トン車両の交通規制が行われるなど、老朽化が現れ始めるとともに、幅が狭く橋のたもとでの右折渋滞が発生したのも問題になり、架け替えが行われたようだ。

ちなみに上記の秋田大橋と同期の国道1号線の橋は、渋滞の原因として架け替えの要望が出ている所もあるが、具体的な架け替え計画がなく、塗装工事がされるなど当分現役として活躍できそうな橋が多い。
なぜ秋田大橋が早く更新されたのか。先代の秋田大橋もこれらの橋も国交省管轄だから、管理体制に違いはなさそうだ。おそらく、日本海側の河口近くだったのが大きな要因ではないだろうか。冬に風除けのネットが設置されるほどの強烈な季節風に70年近くもさらされ、さびやすい鉄が入り組んでゴツゴツした構造、傷みが早かったのだろう。(山形の最上川ではもっと短命の橋があったようだ)

かつて秋田市民の間では単に「大橋」で通じ(今は「雄物大橋」や「秋田南大橋」もできた)、架け替えを惜しまれながら役目を終えた先代の秋田大橋。国交省も写真や作文のコンテスト、ライトアップやたもとの小公園の整備などで古い橋を惜しんだ。


最後に秋田大橋の架け替え工事に触れておく。
仮橋は作らず、先代のすぐ下流に新しい橋を架けて取り付け道路を変更する工事方法だった。そのためか先代の578.4メートルに対し583.6メートルとわずかに長くなった。
幅は倍程度になり、交差点の右折車線と広い歩道が確保された。冬の海風を防ぐ透明板も常設された。初代の総工費62万円に対し、今回の架け替えは総事業費104億円(広報あきた2001年11月9日号より)とのこと。橋の形式はトラス橋でなく、小さな川の橋や高速道路の高架と同じ「桁橋」になった。
どれをとっても67年の時代の差を感じずにはいられない変化だ。

2000年10月から11月に工事の状況を何枚か撮影していた。
作業車が入れる「島」を作り橋脚を設置


新旧の橋はこんなに接近している。新しい橋の方が路面の位置がやや高い。

桁を伸ばして行く
工場で箱状の「桁」を作って、現場でつなぎ合わせる工法のようだ。
先代の橋の工事に比べれば、格段に楽だろう。プラモデルみたいな感じもしたけど。

雄物大橋や秋田南大橋もそうだが、トラス橋でなく単純な「桁橋」になってしまうことが分かった時は、ちょっとショックだった。土木技術の進歩と費用やメンテナンスの問題があるのだろうが、新屋の「門」にはなりそうもなく、ただの道路の延長のような味気ない橋になりそうで残念だった。

工事中は年度末になると一挙に進む気がして、役所の予算消化かと思ったが、そうではなく、日本の橋の工事は、雪解け水や洪水が起こりにくく、水量変化が小さい秋から冬に行うのが一般的なのだそうだ。

完成後、2年度かけて古い橋が撤去された。
ここから眺める太平山は美しい
歩道や欄干のデザインに一部配慮があったようだが、全体としては「秋田大橋」に名前負けしそうな、フツーの橋。
橋桁のエメラルドグリーンが工場から持ってきた部品のままの色なのが分かる。それにしても何でエメラルドグリーンにしたんだろう。完成予想図の1つに赤茶色のものがあったのだが、変更する事情があったのだろうか。

今生きている我々は、“3代目”秋田大橋を見る日は来ないだろうが、次の架け替えは、国でなく秋田県が設計・施工することになるのだろうか。どんな世の中になっていて、どんな橋になるのだろう。

※秋田大橋茨島側の手前には「小橋」もあるのです
先代秋田大橋が役目を終えたばかりの2001年の写真
コメント (2)
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