学校の話。
●御野場中の校歌
詩人の吉野弘氏が15日、87歳で亡くなった。山形県酒田市出身で、亡くなったのは晩年移住したという静岡県富士市。
以前の記事では取り上げなかったけれど、吉野氏は、秋田市立御野場中学校の校歌を作詞している。
秋田県立新屋高校や私立秋田和洋女子高校の校歌の作曲者・三善晃氏が昨年亡くなった際は、地元紙に死亡記事は掲載されても、秋田とのゆかりには触れていなかった。
今日の秋田魁新報では、社会面で吉野氏の死亡記事を顔写真入りで比較的大きく掲載。そこでは「校歌や社歌の作詞を手掛けた」とするに留まった。(共同通信からの配信そのままだろうから。なお、葬儀後の発表だったようで、出遅れたわけではない)
ところが、1面コラム「北斗星」。
こちらでも吉野氏の逝去を取り上げ、さらに御野場中の校歌にも言及している。ちょうど30年前、地域の悲願だった開校に際して、住民や教職員から「せっかくなら立派な校歌を」との声が上がり、「当時の教頭先生が、旧知の仲だった吉野さんに依頼した。」という。
こういうことを伝えてこそ、「郷土の新聞」だ。しかも、亡くなったことが明らかになってすぐに御野場の話と結びつけるとは、かなり迅速。
今回は魁を評価しましょう。
さらに、御野場中学校の公式ホームページ。
今年度は頻繁に更新しており、今日付で「校長だより 校長室の窓」の「No.43」が掲載された。(配布している印刷物の転載か。ユニークな校長先生の後任ということになる)
それによれば、魁の記者から「吉野氏が亡くなったので、校歌が作られた経緯を教えて」という電話があったそうだ。そこで、校長先生が当時のPTA会長に問い合わせ、それを元に北斗星に掲載されたとのこと。吉野氏は御野場中創立10周年記念誌に寄稿もしていた。
魁も迅速だったが、御野場中の迅速な対応も、今日の訃報記事と同日の紙面への掲載につながったようだ。
●はじめてのこうちょうせんせい
亡くなったといえば、秋田では、学校の校長経験者が亡くなった時にも、社会面に死亡記事が掲載される。吉野氏の場合と同様なスタイル(内容は簡単な経歴、校長を務めた学校名と期間程度だけど)で。
※遺族による「死亡広告」や、死亡届に基づく「おくやみ」欄とは別物。
遺志や遺族の意向なのか、掲載されない方もいらっしゃるようだが、亡くなった年齢(退職後長期間経っていても)や勤務校の規模などに関わらず、元校長先生なら原則として掲載されるようだ。
ここ最近、お2人の校長経験者の死亡記事を目にした。僕が小学校に入学した時の校長先生と教頭先生だった方々(のはず)。(=教頭先生は後に校長に昇進・異動して退職したことになるので、経歴には未掲載だった)
【14日追記】ただし、校長として1校にしか勤務したことがない人の場合、「○○学校教頭を経て、平成xx年から××学校長」などと、教頭の経歴も付記されることがある。
【2015年1月5日追記】魁では年末に「墓碑銘」という国内外のその年に亡くなった人やその概要を、分野ごとにまとめた記事が出る。2014年は12月30日に掲載。※この記事後半参照
2面のうち1面が秋田県関係者で、さらにその3分の1ほどが教育関係者。小中高校の学校長経験者も掲載されており、亡くなった時とその年末と、2度載ることになる。
入学したての子どもにとって、「初めての校長先生、教頭先生」というのは、特別な存在感があった。まして当時の50歳代の外見は、今にして思えばだいぶ「年寄り」だったから。
お2人とも日本人男性の平均寿命を越えておられた(吉野氏と同年輩か)とはいえ、もうそんなに月日が流れたのかと、改めて感じた。
●校名は?
話が変わって。昨年、秋田市にある県立秋田南高校が、中高一貫校化されることが明らかになった。
昨年春には、同校の校長が県教委宛てに「一貫校にしたい」という要望書を提出した。
自ら一貫校になりたいと申し出るとは唐突に感じたが、その直後の教職員の定期異動では、同校の教頭2名のうち1名に、秋田市立中学校の教頭を充てるという、異例の人事(中学校と高校間で教員の異動自体、かなり珍しいはず)があり、着々と一貫校化の準備が進んでいたようだ。
【3月24日追記】↑「教頭2名のうち1名に」ではなく「副校長1名と教頭1名のうち、教頭に」かもしれない。秋田県立高校・支援学校のうち、かつて教頭を2名配置していた学校の一部において、現在は副校長と教頭を1名ずつを置く学校もある。教頭2名にするか副校長を置くかの基準がいまいち分からないのだが。(以上追記)
ちなみに、その異動した教頭先生は吹奏楽指導で実績のある方だそう。秋田南高校も吹奏楽全国大会の常連校なので、その辺の配慮もある異動だったのだろう。
そして昨年末、県から具体的な中高一貫化の計画が発表された。今年度末までに基本構想を完成させ、2016年4月の開校を目指す。
詳しく知りたい方は、県のサイト等でご覧いただくとして、概要を簡単にまとめると、
・現在の普通科(複数クラス)・英語科(1クラス/学年)を解消して普通科のみとする
・「併設型中高一貫教育校」で、中学校は1学年80名、高校は同240名(うち80名が中学校から進学)
・中学校は全県から募集(高校も、今は学区制が撤廃されたので全県からってことでしょう)
・現在の秋田南高校の校風や伝統を活かしつつ、国際教養大学との連携など国際的・グローバルな教育を行う
・施設は現在のものを活用(中学校用特別教室の設置などは必要でしょう)
といった感じ。
【25日画像追加】(再掲)国道13号線沿いの秋田南高校
秋田県内では、私立秋田聖霊女子短期大学付属中学・高校(※)、秋田市立御所野学院、県立横手清陵学院、県立大館国際情報学院に続く中高一貫校となる。
※聖霊は2013年度から中学校の募集を停止。
さて、となると気になるのが、新しい中高一貫校の学校名。
最近の秋田県立高校の統合を振り返れば、公募などにより新たな校名になるのが恒例のようなので。
清陵、国際情報のほか、ひともんちゃくあった湯沢叡陵を撤回して湯沢翔北、能代松陽といったように。
以前も書いたけれど、個人的には「県立秋田明徳館高校」の名称が好きになれない(というか紛らわしい)。ずっと前からある「秋田市立明徳小学校」や「秋田市立中央図書館・明徳館」と名前が似ている上、場所も近くて困るのだ。
秋田南高校を一貫校化した際の学校名を妄想してみる。
・秋田南中学校・高等学校?
現校名を踏襲したもの。
いくらなんでも、さすがにこれはないでしょう。秋田市立秋田南中学校と紛らわしくてしょうがない。
いや、明徳館高校の一件があった秋田県教育庁のことだから、あり得るかも?!【下の追記参照】
・秋田国際学院中学校・高等学校?
先に開校している県立一貫校はどちらも「所在市名+○○+学院」。
それを踏まえて、「国際」に重きを置くようなので。大館国際情報学院と似てしまうけど。
・「仁」「雄」「蕗」高校?
完全に妄想。
学校の所在地は雄物川下流の沖積平野に広がる仁井田(にいだ)地区。
そこからイメージ的に良さそうな「仁」や「雄」を取って校名にするのも悪くないかも。
さらに仁井田は秋田蕗の産地であり、南高校の校章にもあしらわれている。「能代松陽」だって「風の松原」からの着想なんだろうから、「蕗」を使ってもいいんじゃない?
問題はどんな文字と組み合わせて、何と読ませるかですが…
いずれ、公募や検討が行われて決まることでしょう。
校歌も新たに作るんだろうか。現校歌には「秋南(しゅうなん)の若人」というフレーズがあるので、校名が変わればそこがネックとなる。
※開校時は「秋南」を校名の略称にしたかったようだがまったく定着せず、「南高(なんこう)」が一般的な略称。
英語の歌詞になったりして。
【2015年3月14日追記】2015年3月14日の秋田魁新報1面の下のほうに「校名変えず「秋田南高」/中学は「中等部」」との記事が出た。
一貫校化を1年後に控え、県教委が校名の方針を固めたという。6月県議会の議決後、正式決定。
・高校は「秋田南高校」のまま
・中学校は「秋田南高校中等部」とする ※正しくはどちらも「秋田南高等学校」でしょう
・「高校教育課が昨年、校名に関して在校生や教員、OBらに意見を聞いた」結果、現校名を残してほしいとの「要望が多かった」。
・「「新一貫校は現在の秋田南の伝統と実績を引き継ぐことからも、変えないほうが適切」と判断」。
・「「中等部」の名が付く中学校は県内初。」高校教育課は「中高一体での学校運営を示すため『秋田南高』の名を付けつつ」「秋田南中や秋大付中と混同されないよう心掛けた」と説明。
といったもの。
ありそうだけど、まさかないでしょうと思っていた「秋田南」が残ることになりそう。
叡陵騒動の反省なのか、角館と同様に控えめの命名とも言える。公募や校歌・校章の変更の手間や費用を抑えたのかも?!
「高等学校中等部」とは、考えてみれば不思議な名称。中高一貫校に不慣れな我々(古い世代の地域住民など)にしてみれば、ある意味分かりやすいかな? かえって分かりにくい??
高校本体のほうを区別のために「高等部」などとは呼ばないのだろうか?
でも、やっぱり気になるのが秋田市立秋田南中学校との混同。
「南高校中等部」という名称にすることで「混同されないよう心掛けた」とは言うけれど。
在校生や卒業生、地域住民は、略して呼ぶだろう。「南高校中等部」は「南高中」?
秋田市立秋田南中から南高へ進学した人と、一貫校で内部進学した人が混同されたり、同窓会に間違って参加したりといった、ちょっとした(?)行き違いが起きるかもしれない。
(余談だが、県立秋田高校は、終戦直後の一時期「秋田南高校」と称していたことがある。南高開校とは10年ほど差があるので大きな混乱はないが、若干の勘違いは招く)
中等部の部活動が全国大会などに出た際、その主催者や他県の学校関係者たちは、「秋田市には『秋田南中』と『秋田南高中』の2つが存在する」ということは知らないだろう。だから、秋田南高中等部のことも「秋田南」と呼んでしまって、区別できなくなりそう。
場合によっては「秋田南高」と略されて「中学校の大会に高校が出てるの?」と混乱されるかもしれない。
秋田市と秋田県の教育機関の名称としては、上記本文にもある「明徳館」のように、「秋田市がずっと先に名前を使って市民に定着しているのに、県が後から同じ名を別に使ってしまって紛らわしくさせる」事態になりそうなのが、やっぱり心配。
立地的に「秋田南」にはあまりそぐわない、市立秋田南中のほうの校名を変えれば…というのは筋が違うし。
県民や県議会がどう反応・判断するかだけど、どんなもんでしょう?(以上追記)※続きはこちら
●角館統合校
秋田県仙北市角館(旧角館町)には、男女共学の県立角館高校と女子高の県立角館南高校が存在する。角館が柳葉敏郎、角館南が藤あや子の母校である(他にもそうそうたる卒業生がいらっしゃるが、割愛)。
角館が舞台の武田鉄矢主演の1980年の映画「思えば遠くへ来たもんだ」では、男子校の「角館東」と女子高(校名?)が存在する設定だったが、現実はそれと微妙に異なる。【けっこう複雑な経緯があった。末尾の2019年12月6日の追記参照】
今年春、その2つの高校が統合される。
その校名は「県立角館高等学校」。
両校を閉校して、新たな角館高校が開校する形。
上記の通り、昨今の秋田県のやり方からすれば、「仙北桜ナントカ高校」なんていう校名になりそうなものなのに、角館高校で落ち着いた経緯は、地元の声が大きかったようだ。
PTA、同窓会などからの意見聴取、生徒、職員へのアンケート(9割が賛成)の結果、「角館」に決まったという。
校章は現・角館のものとし、画家・平福百穂による角館南の校章も「略章」として存続。
校歌はそれぞれを第一校歌、第二校歌として継承する。なお、現角館校歌→第一校歌は、島木赤彦と斎藤茂吉が関わっている。
校舎は、工事期間を経て最終的には、全日制が現・角館の位置、角館南の位置を「駒草キャンパス」として定時制と県立大曲養護学校の分校が設置される。
両校にだいぶ気を遣った統合のやり方のように感じなくもない。教育庁としては叡陵騒動の反省を踏まえたのかもしれない。
でも、大きくない町に2つあった高校が統合し、これからは地域唯一の高校として地域と共存していくには、これでいいのではないだろうか。
※関連記事(新聞の高校合格特集)
※教職員異動について
【22日追記】
●都市名+方位
秋田南や角館南のような「所在自治体名+方位」を名乗る高校は昔はたくさんあったけれど、統廃合によってだいぶ減ってしまった。
現在は、能代西、秋田西、秋田北、秋田南、角館南の5校。
能代西も将来的には能代工業との統合が計画されているそうなので、最終的には秋田西と秋田北だけになってしまう。
【7月21日追記】2014年夏の高校野球秋田県大会で、(新)角館高校の応援団が一世風靡セピアの「前略、道の上より」を演奏していた。
一世風靡セピアには、(旧)角館高校OBである柳葉敏郎氏が所属していたから、それにちなんだのか?(他にも演奏する学校があるらしい)
【8月17日追記】その後、角館高校は統合前からの悲願だった甲子園出場を果たすも、一回戦で敗退。
対戦相手は、鳥取県立八頭(やず)高校。試合では、八頭高校側が「前略、道の上より」を演奏していた(いわゆる「チャンスタイム」用らしい)。対戦相手がこの曲を歌っていた人(のうちの1人)の出身校であることを知ってのことだったのだろうか?
見ていた限りでは、角館高校側では演奏されなかった。
【2019年12月6日追記・角館2高校の戦後の変遷について】
学制改革の1948年時点では、角館北高校と角館南高校という学校名で、1951年に統合して角館高校に。
しかし、1951年度は、合併前の学校がそのまま「北校」と「南校」に分かれていた。秋田魁新報の連載「時代を語る 安藤恭子8」によれば、北校が男子、南校が女子と実質別学だった。
1952年に両校が再び分離して、また角館北高校と角館南高校。北高は1954年に角館高校に改称し、その体制と名称で2013年度まで続いたことになる。※角館北→角館が、いつ男子校から共学に変わったのかは不明。
●御野場中の校歌
詩人の吉野弘氏が15日、87歳で亡くなった。山形県酒田市出身で、亡くなったのは晩年移住したという静岡県富士市。
以前の記事では取り上げなかったけれど、吉野氏は、秋田市立御野場中学校の校歌を作詞している。
秋田県立新屋高校や私立秋田和洋女子高校の校歌の作曲者・三善晃氏が昨年亡くなった際は、地元紙に死亡記事は掲載されても、秋田とのゆかりには触れていなかった。
今日の秋田魁新報では、社会面で吉野氏の死亡記事を顔写真入りで比較的大きく掲載。そこでは「校歌や社歌の作詞を手掛けた」とするに留まった。(共同通信からの配信そのままだろうから。なお、葬儀後の発表だったようで、出遅れたわけではない)
ところが、1面コラム「北斗星」。
こちらでも吉野氏の逝去を取り上げ、さらに御野場中の校歌にも言及している。ちょうど30年前、地域の悲願だった開校に際して、住民や教職員から「せっかくなら立派な校歌を」との声が上がり、「当時の教頭先生が、旧知の仲だった吉野さんに依頼した。」という。
こういうことを伝えてこそ、「郷土の新聞」だ。しかも、亡くなったことが明らかになってすぐに御野場の話と結びつけるとは、かなり迅速。
今回は魁を評価しましょう。
さらに、御野場中学校の公式ホームページ。
今年度は頻繁に更新しており、今日付で「校長だより 校長室の窓」の「No.43」が掲載された。(配布している印刷物の転載か。ユニークな校長先生の後任ということになる)
それによれば、魁の記者から「吉野氏が亡くなったので、校歌が作られた経緯を教えて」という電話があったそうだ。そこで、校長先生が当時のPTA会長に問い合わせ、それを元に北斗星に掲載されたとのこと。吉野氏は御野場中創立10周年記念誌に寄稿もしていた。
魁も迅速だったが、御野場中の迅速な対応も、今日の訃報記事と同日の紙面への掲載につながったようだ。
●はじめてのこうちょうせんせい
亡くなったといえば、秋田では、学校の校長経験者が亡くなった時にも、社会面に死亡記事が掲載される。吉野氏の場合と同様なスタイル(内容は簡単な経歴、校長を務めた学校名と期間程度だけど)で。
※遺族による「死亡広告」や、死亡届に基づく「おくやみ」欄とは別物。
遺志や遺族の意向なのか、掲載されない方もいらっしゃるようだが、亡くなった年齢(退職後長期間経っていても)や勤務校の規模などに関わらず、元校長先生なら原則として掲載されるようだ。
ここ最近、お2人の校長経験者の死亡記事を目にした。僕が小学校に入学した時の校長先生と教頭先生だった方々(のはず)。(=教頭先生は後に校長に昇進・異動して退職したことになるので、経歴には未掲載だった)
【14日追記】ただし、校長として1校にしか勤務したことがない人の場合、「○○学校教頭を経て、平成xx年から××学校長」などと、教頭の経歴も付記されることがある。
【2015年1月5日追記】魁では年末に「墓碑銘」という国内外のその年に亡くなった人やその概要を、分野ごとにまとめた記事が出る。2014年は12月30日に掲載。※この記事後半参照
2面のうち1面が秋田県関係者で、さらにその3分の1ほどが教育関係者。小中高校の学校長経験者も掲載されており、亡くなった時とその年末と、2度載ることになる。
入学したての子どもにとって、「初めての校長先生、教頭先生」というのは、特別な存在感があった。まして当時の50歳代の外見は、今にして思えばだいぶ「年寄り」だったから。
お2人とも日本人男性の平均寿命を越えておられた(吉野氏と同年輩か)とはいえ、もうそんなに月日が流れたのかと、改めて感じた。
●校名は?
話が変わって。昨年、秋田市にある県立秋田南高校が、中高一貫校化されることが明らかになった。
昨年春には、同校の校長が県教委宛てに「一貫校にしたい」という要望書を提出した。
自ら一貫校になりたいと申し出るとは唐突に感じたが、その直後の教職員の定期異動では、同校の教頭2名のうち1名に、秋田市立中学校の教頭を充てるという、異例の人事(中学校と高校間で教員の異動自体、かなり珍しいはず)があり、着々と一貫校化の準備が進んでいたようだ。
【3月24日追記】↑「教頭2名のうち1名に」ではなく「副校長1名と教頭1名のうち、教頭に」かもしれない。秋田県立高校・支援学校のうち、かつて教頭を2名配置していた学校の一部において、現在は副校長と教頭を1名ずつを置く学校もある。教頭2名にするか副校長を置くかの基準がいまいち分からないのだが。(以上追記)
ちなみに、その異動した教頭先生は吹奏楽指導で実績のある方だそう。秋田南高校も吹奏楽全国大会の常連校なので、その辺の配慮もある異動だったのだろう。
そして昨年末、県から具体的な中高一貫化の計画が発表された。今年度末までに基本構想を完成させ、2016年4月の開校を目指す。
詳しく知りたい方は、県のサイト等でご覧いただくとして、概要を簡単にまとめると、
・現在の普通科(複数クラス)・英語科(1クラス/学年)を解消して普通科のみとする
・「併設型中高一貫教育校」で、中学校は1学年80名、高校は同240名(うち80名が中学校から進学)
・中学校は全県から募集(高校も、今は学区制が撤廃されたので全県からってことでしょう)
・現在の秋田南高校の校風や伝統を活かしつつ、国際教養大学との連携など国際的・グローバルな教育を行う
・施設は現在のものを活用(中学校用特別教室の設置などは必要でしょう)
といった感じ。

秋田県内では、私立秋田聖霊女子短期大学付属中学・高校(※)、秋田市立御所野学院、県立横手清陵学院、県立大館国際情報学院に続く中高一貫校となる。
※聖霊は2013年度から中学校の募集を停止。
さて、となると気になるのが、新しい中高一貫校の学校名。
最近の秋田県立高校の統合を振り返れば、公募などにより新たな校名になるのが恒例のようなので。
清陵、国際情報のほか、ひともんちゃくあった湯沢叡陵を撤回して湯沢翔北、能代松陽といったように。
以前も書いたけれど、個人的には「県立秋田明徳館高校」の名称が好きになれない(というか紛らわしい)。ずっと前からある「秋田市立明徳小学校」や「秋田市立中央図書館・明徳館」と名前が似ている上、場所も近くて困るのだ。
秋田南高校を一貫校化した際の学校名を妄想してみる。
・秋田南中学校・高等学校?
現校名を踏襲したもの。
いくらなんでも、さすがにこれはないでしょう。秋田市立秋田南中学校と紛らわしくてしょうがない。
いや、明徳館高校の一件があった秋田県教育庁のことだから、あり得るかも?!【下の追記参照】
・秋田国際学院中学校・高等学校?
先に開校している県立一貫校はどちらも「所在市名+○○+学院」。
それを踏まえて、「国際」に重きを置くようなので。大館国際情報学院と似てしまうけど。
・「仁」「雄」「蕗」高校?
完全に妄想。
学校の所在地は雄物川下流の沖積平野に広がる仁井田(にいだ)地区。
そこからイメージ的に良さそうな「仁」や「雄」を取って校名にするのも悪くないかも。
さらに仁井田は秋田蕗の産地であり、南高校の校章にもあしらわれている。「能代松陽」だって「風の松原」からの着想なんだろうから、「蕗」を使ってもいいんじゃない?
問題はどんな文字と組み合わせて、何と読ませるかですが…
いずれ、公募や検討が行われて決まることでしょう。
校歌も新たに作るんだろうか。現校歌には「秋南(しゅうなん)の若人」というフレーズがあるので、校名が変わればそこがネックとなる。
※開校時は「秋南」を校名の略称にしたかったようだがまったく定着せず、「南高(なんこう)」が一般的な略称。
英語の歌詞になったりして。
【2015年3月14日追記】2015年3月14日の秋田魁新報1面の下のほうに「校名変えず「秋田南高」/中学は「中等部」」との記事が出た。
一貫校化を1年後に控え、県教委が校名の方針を固めたという。6月県議会の議決後、正式決定。
・高校は「秋田南高校」のまま
・中学校は「秋田南高校中等部」とする ※正しくはどちらも「秋田南高等学校」でしょう
・「高校教育課が昨年、校名に関して在校生や教員、OBらに意見を聞いた」結果、現校名を残してほしいとの「要望が多かった」。
・「「新一貫校は現在の秋田南の伝統と実績を引き継ぐことからも、変えないほうが適切」と判断」。
・「「中等部」の名が付く中学校は県内初。」高校教育課は「中高一体での学校運営を示すため『秋田南高』の名を付けつつ」「秋田南中や秋大付中と混同されないよう心掛けた」と説明。
といったもの。
ありそうだけど、まさかないでしょうと思っていた「秋田南」が残ることになりそう。
叡陵騒動の反省なのか、角館と同様に控えめの命名とも言える。公募や校歌・校章の変更の手間や費用を抑えたのかも?!
「高等学校中等部」とは、考えてみれば不思議な名称。中高一貫校に不慣れな我々(古い世代の地域住民など)にしてみれば、ある意味分かりやすいかな? かえって分かりにくい??
高校本体のほうを区別のために「高等部」などとは呼ばないのだろうか?
でも、やっぱり気になるのが秋田市立秋田南中学校との混同。
「南高校中等部」という名称にすることで「混同されないよう心掛けた」とは言うけれど。
在校生や卒業生、地域住民は、略して呼ぶだろう。「南高校中等部」は「南高中」?
秋田市立秋田南中から南高へ進学した人と、一貫校で内部進学した人が混同されたり、同窓会に間違って参加したりといった、ちょっとした(?)行き違いが起きるかもしれない。
(余談だが、県立秋田高校は、終戦直後の一時期「秋田南高校」と称していたことがある。南高開校とは10年ほど差があるので大きな混乱はないが、若干の勘違いは招く)
中等部の部活動が全国大会などに出た際、その主催者や他県の学校関係者たちは、「秋田市には『秋田南中』と『秋田南高中』の2つが存在する」ということは知らないだろう。だから、秋田南高中等部のことも「秋田南」と呼んでしまって、区別できなくなりそう。
場合によっては「秋田南高」と略されて「中学校の大会に高校が出てるの?」と混乱されるかもしれない。
秋田市と秋田県の教育機関の名称としては、上記本文にもある「明徳館」のように、「秋田市がずっと先に名前を使って市民に定着しているのに、県が後から同じ名を別に使ってしまって紛らわしくさせる」事態になりそうなのが、やっぱり心配。
立地的に「秋田南」にはあまりそぐわない、市立秋田南中のほうの校名を変えれば…というのは筋が違うし。
県民や県議会がどう反応・判断するかだけど、どんなもんでしょう?(以上追記)※続きはこちら
●角館統合校
秋田県仙北市角館(旧角館町)には、男女共学の県立角館高校と女子高の県立角館南高校が存在する。角館が柳葉敏郎、角館南が藤あや子の母校である(他にもそうそうたる卒業生がいらっしゃるが、割愛)。
角館が舞台の武田鉄矢主演の1980年の映画「思えば遠くへ来たもんだ」では、男子校の「角館東」と女子高(校名?)が存在する設定だったが、現実はそれと微妙に異なる。【けっこう複雑な経緯があった。末尾の2019年12月6日の追記参照】
今年春、その2つの高校が統合される。
その校名は「県立角館高等学校」。
両校を閉校して、新たな角館高校が開校する形。
上記の通り、昨今の秋田県のやり方からすれば、「仙北桜ナントカ高校」なんていう校名になりそうなものなのに、角館高校で落ち着いた経緯は、地元の声が大きかったようだ。
PTA、同窓会などからの意見聴取、生徒、職員へのアンケート(9割が賛成)の結果、「角館」に決まったという。
校章は現・角館のものとし、画家・平福百穂による角館南の校章も「略章」として存続。
校歌はそれぞれを第一校歌、第二校歌として継承する。なお、現角館校歌→第一校歌は、島木赤彦と斎藤茂吉が関わっている。
校舎は、工事期間を経て最終的には、全日制が現・角館の位置、角館南の位置を「駒草キャンパス」として定時制と県立大曲養護学校の分校が設置される。
両校にだいぶ気を遣った統合のやり方のように感じなくもない。教育庁としては叡陵騒動の反省を踏まえたのかもしれない。
でも、大きくない町に2つあった高校が統合し、これからは地域唯一の高校として地域と共存していくには、これでいいのではないだろうか。
※関連記事(新聞の高校合格特集)
※教職員異動について
【22日追記】
●都市名+方位
秋田南や角館南のような「所在自治体名+方位」を名乗る高校は昔はたくさんあったけれど、統廃合によってだいぶ減ってしまった。
現在は、能代西、秋田西、秋田北、秋田南、角館南の5校。
能代西も将来的には能代工業との統合が計画されているそうなので、最終的には秋田西と秋田北だけになってしまう。
【7月21日追記】2014年夏の高校野球秋田県大会で、(新)角館高校の応援団が一世風靡セピアの「前略、道の上より」を演奏していた。
一世風靡セピアには、(旧)角館高校OBである柳葉敏郎氏が所属していたから、それにちなんだのか?(他にも演奏する学校があるらしい)
【8月17日追記】その後、角館高校は統合前からの悲願だった甲子園出場を果たすも、一回戦で敗退。
対戦相手は、鳥取県立八頭(やず)高校。試合では、八頭高校側が「前略、道の上より」を演奏していた(いわゆる「チャンスタイム」用らしい)。対戦相手がこの曲を歌っていた人(のうちの1人)の出身校であることを知ってのことだったのだろうか?
見ていた限りでは、角館高校側では演奏されなかった。
【2019年12月6日追記・角館2高校の戦後の変遷について】
学制改革の1948年時点では、角館北高校と角館南高校という学校名で、1951年に統合して角館高校に。
しかし、1951年度は、合併前の学校がそのまま「北校」と「南校」に分かれていた。秋田魁新報の連載「時代を語る 安藤恭子8」によれば、北校が男子、南校が女子と実質別学だった。
1952年に両校が再び分離して、また角館北高校と角館南高校。北高は1954年に角館高校に改称し、その体制と名称で2013年度まで続いたことになる。※角館北→角館が、いつ男子校から共学に変わったのかは不明。