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学校給食

2014-01-23 23:46:07 | 秋田のいろいろ
1月24日は月遅れの「学校給食記念日(学校給食感謝の日)」で、同日から30日までが「学校給食週間」。
2012年の記事で紹介した通り、1946年12月24日にアメリカからの救援物資を使った学校給食が始まった(戦時中の中断を挟んでの再開)ことにちなむのだが、12月24日は冬休み中の学校が多いため、1か月後にした経緯がある。

2012年に昭和末期から平成初期の秋田市立学校の給食の思い出をアップしたところ、懐かしさに共感するコメントをいただいた。
今は知らないが、当時の秋田市の学校給食は、多くの児童生徒にとって学校生活や食生活における大事な思い出のひとコマであったようだ。


それから2年。気になった学校給食に関するニュースがいくつかあった。
東京都の小学校でアレルギー対応の給食を食べている児童がおかわりをした際、担任教員が確認せずに通常の給食を渡してしまい、児童が亡くなったのはいたましい。
あとは異物混入が多く報道された気がする。秋田市立の学校でも連続して発生したものの、給食室の調理具の部品だったり、業者が納入した加工済み食品の加工時に混入したものもあり、原因はさまざま。これは昔からあったけれど、報道されなかっただけなのかもしれない。
【2月4日追記】秋田市の異物混入は、2013年10月から11月末までの間に小学校で5件発生した。

そして、食中毒。
静岡県浜松市のものが記憶に新しい。やっと落ち着いたようだが、1000人超が欠席した。原因は食パンに付いたノロウイルス。
ノロウイルスは怖い(症状よりも感染力が)と思うとともに、素人考えでは、おかずでなくパンで食中毒というのが意外だった。考えてみれば、焼き上がった後、そのままの状態で口に入るわけだし、給食室でいくら気を配っても防ぎようがない。

秋田市の給食用パンは、たけや製パンが製造しているわけだけど、最大手・山崎製パンの系列で同社のノウハウを使っているだろうから、衛生面では安心していい、のかな?



さて、学校給食とは直接関係ないが、昨年末、秋田市でノロウイルスによる集団食中毒があった。
※企業名を出しますが、特に批判する意図はありません。過去には他の業者でも食中毒が発生しており、現在は以前同様に親しまれている所もあります。今後の一層の衛生管理を期待するものです。
秋田市や潟上市の県庁職員など61事業所240名が症状を訴えた。原因は昼食の仕出し弁当で「秋田米飯給食事業協同組合」が製造したもの。

秋田米飯給食事業協同組合(以下「米飯給食」)といえば、元々は学校給食のご飯を製造・納入している業者。以前の記事でも触れたが、昔は暗赤色の弁当箱で1人分ずつ配膳されていた。普通のご飯以外にも、手巻き寿司用に酢飯、ゆかりごはん・わかめごはんも作っていたし、コンビニ弁当のような「カツ丼」が「カツ弁当」という献立名で赤い弁当箱に入って出たこともごくまれにあった。
また、昔から、一部コンビニやスーパーで販売される弁当や惣菜類を「べいはんデリカ」のブランドで製造もしていた。
それに加えて、オフィス向けの昼食宅配もやっていたようだが、こんなに大々的だったとは知らなかった。(他の宅配弁当業者は、一般家庭でもエリア内なら届けてくれるはずだが、米飯給食は事業所専門。家庭はダメで事業所なら1個から届けるというのが、なんかヘン)

今回も他の食中毒事例同様、原因解明・行政処分が出る以前から、自主的に営業を取り止めた。
オフィスの昼食の代わりはなんとでもなるが、学校給食への影響が出てしまった。
12月21日付秋田魁新報社会面によれば「(食中毒を起こした業者は、)市内の小中学校計67校にも米飯給食を提供している。業者の自主休業を受け、51校が20日に米飯を別業者のパンに切り替えた。」とある。
「市内の小中学校計67校」とはすなわち、すべての秋田市立小学校・中学校。冬休み前だったので、おそらく20日の1回だけだったはずだけど、献立変更や奇妙な組み合わせの給食(カレーにパンとか。まさか手巻き寿司の具にパンとか?)を食べさせられた学校もあったかもしれない。

「別業者のパン」とは、たけや製パンだろう。
そういえば、たけやと米飯給食は、関連がある企業・組織どうし。たけやの社長が米飯給食の理事長を務めているのだ。
11月に開設されたのを発見したたけやのホームページにも、控えめながら「秋田米飯給食事業協同組合」が関連会社であることが出ている。1979年4月設立だそう。

一方、米飯給食のほうもホームページができていて、それによれば昨年10月に開設されたようだ。
ホームページのデザインというか構造(リンクなどの配置)がたけやと米飯給食でそっくりで、同じ制作会社に依頼したものでしょう。

米飯給食のホームページには、たけやとの関係は記されていないようだ。また、サンドイッチや調理パンを製造する「株式会社リベール」については、簡単な紹介が米飯給食のホームページに出ている。(たけやのホームページにも、米飯給食と並んで名前は出ている)
所在地は米飯給食と同じ町内で、設立も1979年12月と近い。社長もたけや社長、米飯給食理事長と同じ人。

ちなみに青森の工藤パンにも、「幸福の寿し本舗」という、米飯給食やリベールのような位置付けの子会社が存在する。


とにかく、給食でもそれ以外でも、すべての食品を扱う企業やお店には、細心の注意を払って、安全でおいしいものを提供し続けていただきたいものです。

【2018年12月4日補足】2018年11月30日付朝日新聞社会面によれば、
1976年に全国で米飯給食が始まったが、「パン業者の一部は米飯給食の開始時に炊飯組合を作り、ご飯の提供を始めた。だが、給食室の建て替えなどに合わせ、自前でご飯を炊く学校が増え、炊飯組合の利用は減っているという。」
秋田米飯給食も、そうした流れで設立され、(秋田市は最近は茶碗盛り付け方式になったそうだけど、どこで炊いているのかは不明)そこそこうまくやっているということなのだろう。

ちなみに、秋田市の学校給食での米飯は、1976年に一部学校で、1979年に給食実施の全学校(=当時は全小学校+一部中学校)に拡大。本文の通り、秋田米飯給食は1979年4月設立なので、本格実施に合わせてできたことになる(その前3年間はどうやっていたんだろう?)。

【2023年9月6日補足】同日付朝日新聞「しつもん! ドラえもん」より。
全国的に米飯給食黎明期には、製パン業者がパン釜を使って炊飯したところが多かったらしい。その場合、容器に制約があって、惣菜のグラタンが入っているような、使い捨てのアルミ製容器(蓋もアルミ)で炊飯して、それが配られたのだという。2020年代でも、浜松市など静岡県では存続しているとのこと。

全国各地で、製パン業者やその系列組織が米飯を扱うようになった理由は、パンの売上が減る分の補償的意味合いや、いわゆる既得権益の維持だったのではないかと勘ぐっていた。でも、パン釜炊飯を知れば、大量に炊飯して輸送できる体制やノウハウを持っていたのが製パン業者で、他業種が参入するのは難しかったという側面もあったようだ。
コメント (2)
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