麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

下根子450-3

2024年10月26日 | スポーツ

あの明訓高校ですら、

山田太郎、里中智、岩鬼正美、

殿馬一人、微笑三太郎の5人だった

日本プロ野球のドラフト会議

同一チームからの同一年指名 

まぁ『ドカベン』はフィクションだが、

リアルでは、「花の49年組」と呼ばれた

法政大の江川卓、金光興二、袴田英利、

植松精一、島本啓次郎(1977年)、

東北福祉大が初の大学日本一を成した

斎藤隆、作山和英、浜名千広、伊藤博康、

金本知憲(91年)が大学勢の、

ノンプロ勢では2000年、プリンスホテルの

大沼幸二、伊達昌司、長崎伸一、

水田圭介、福井強、

05年の岸田護、藤井淳志、脇谷亮太、

斉藤信介、山崎隆広はNTT西日本と

それぞれ人が最多だった。

 

それを超えたのが今年の富士大学。

岩手県花巻市下根子450-3にある

1965年開学の経済学部のみの単科大。

当時は奥州大学。76年、富士に改称。

 

バファローズ1位=麦谷祐介(外野手)

カープ2位=佐藤柳之介(投手)

ホークス3位=安德駿(投手)

カープ4位=渡邉悠斗(捕手)

ジャイアンツ育成1位=坂本達也(捕手)

マリーンズ育成3位=長島幸佑(投手) 

 

そう、ただ人のうち2人は育成。

前述との単純比較は難しい。

それよりも、佐々木大輔(内野手)の

今後に注目したい!

 

北の大地で指名を待っていたのは

実は人。

名前が呼ばれるのは数人で

無念を抑えて友を称えるのが多数

というのが、よくある風景だ。

 

2024年10月24日、たった独りだけ

涙をのんだ。しかしゴールではない。

 

三拍子揃った彼のポジションは遊撃。

今ドラフトの目玉・宗山がいて、

現役には我がヤクルトの長岡ほか、

他球団の若手も群雄割拠。

ただ佐々木は他のポジションも行ける。

新しい場所での精進を願う。

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ついにいちぬけ〜ペガサスプラス番外(池袋)の巻

2024年10月23日 | スポーツ

10月19日、立川で開催された

第101回東京箱根間往復大学駅伝競走

予選会を立教大学がトップ通過した。

これで3大会連続の予選会突破。

22、23年は6位で抜けたが、

高林新監督のもとジャンプアップ。

 

スポーツ報知では、担当記者が

箱根本戦を早くも占い「予選会組は

まずはシード権獲得が目標になる」

と手堅く書いたが、

日本人三番手でゴールした

馬場賢人(3年)ら5人が

99、100回を経験するなど

箱根路を良く知る韋駄天が多い。

ダークホースの眼はなくはない。

 

我が家からマキム門まで90歩程、

東門までも2分弱の距離の

「ご近所」なので贔屓目だ。

 

 

さて、その記事は優勝争いにも触れ、

三大大学駅伝の開幕戦「出雲」で

トップ3の国学院、駒澤、青学に

予選会で主力を温存した中大、

爆発力のある城西、創価に、

バランスの整った早大と名を連ねた。

最後に添えたのが、

「箱根路ではしぶとい力を発揮する」

と評して我が東洋を「侮れない」と。

 

不調だった昨シーズンだったが

「箱根」では下馬評を覆して

総合4位だった「強さ」が

そう言わせたのだろう。

わずか1週間くらい前の「出雲」で

11位という結果ながら、だ。

 

 

予選会に話を戻す。

昨年は東京国際が3秒差で涙を呑んだ。

が!!!

今年は10位順天堂11時間1分25秒に対し、

東京農大は〈1秒〉で切符を逃した。

昨年の予選会で1年生ながら

日本人トップでゴールした

前田和摩の欠場が余りに大きかった。

 

まさに戦国時代の大学駅伝。

愛知・熱田神宮から三重・伊勢神宮間

106.8kmを8人で繋ぐ56回目の

全日本大学駅伝は11月3日に迫っている。

 

 

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卓球界激震

2024年10月20日 | スポーツ

多くの眼が〈オオタニサン〉及び

ドジャースに向いている間に、

地球儀を逆に回したアスタナで

とんでもないことが起きていた。

 

女子団体決勝で、日本が中国を撃破

  

中国参戦の大会では50年ぶりとなる

優勝を果たしたのは10月9日。

それから4日後には

男子シングルスで張本智和が、

こちらも50年ぶりの頂点に輝いた。

 

中華人民共和国では大騒ぎ

だが、冒頭書いたように

日出る国ではさほどでもない。

確かに「アジア卓球選手権」

ですからね

 

詳しくないけれど、

中国選手は大会も詰まっていて

コンディションが宜しくなく。

……でも

それでも今まで「王者」は

負けることはなかったわけで。

本当に差が小さくなったと

いうことだろう。

 

おっと!

日本だって早田抜きだったわけだし。

 

 

佐藤博治(1952年)、荻村伊智郎(54,56年)、

田中利明(55,57年)、

長谷川信彦(67年)、伊藤繁雄(69年)

河野満(77年)、小野誠二(79年)

 

大川とみ(56年)、江口冨士枝(57年)、

松崎キミ代(59年)、深津尚子(65年)、

森沢幸子(67年)、小和田敏子(69年)

 

唐突に名前を並べたけれど、

卓球世界選手権での男女シングルスの

チャンピオンたち。

 

還暦ちょい前の筆者は、選手としては

黒縁眼鏡のペンホルダー河野氏と

サウスポーの小野氏を辛うじて知り、

あとはピンと来ない。

荻村氏は第3代国際卓球連盟会長で、

よく解説を務める温和な方との

認知はあるけれど……

 

尚、世界選手権の他種目や

オリンピックでの優勝もあるけれど

膨大になるので省略。

要は、日本にも「黄金時代」が

存在したということ。

そして

復興の準備は整ったという話。

 

 

 

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ペガサスプラス〜出雲路の巻

2024年10月16日 | スポーツ

今年の「箱根」での一番の驚きは

東洋の総合4位ではなかったか?

卒業生だから言うのではなく。

 

出雲7位、全日本は14位で

そのシード権を失い、

「箱根でもシード落ちか…」と

危険視する声は高かった。

しかし「1秒を削り出す」走りで

大手町箱根間を鮮やかに10人で繋ぎ、

下馬評を覆してみせた。

 

史上初の〈2年連続三冠〉に

王手を掛けていた駒澤大学は

死角なしと見られ、確かに戦力は盤石!

が、しかしそれを超える

「魔」が箱根には存在している。

そう容易くはいかない。

故に、驚きでいえば前者!

 

さて「今年」と書いたが、

箱根はシーズンとしては昨季になる。

大学駅伝は、今年もスポーツの日に

「出雲」から始まった。

我が東洋は昨年、最上級生4人、

3年2人、2年3人と経験重視の

オーダーだったが今年は・・・

 

1区=緒方澪那斗(市立船橋/3)

2区=濱中尊(西武台千葉/2)

3区=網本佳悟(松浦/3)

4区=迎暖人(拓大一/1)

5区=西村真周(自由が丘/3)

6区=宮崎優(東洋大牛久/1)

 

・・・4年生不在の布陣。

フレッシュといえばフレッシュ

けれど、主将の梅崎蓮はじめ

昨季の三大駅伝フル参戦の小林亮太、

エースと期待されつつ故障に泣いた

石田洸介ら鉄紺の汗と涙を知る4年生が

襷を掛けられない苦しい台所事情。

 

戦国駅伝は容易くいかない!

結果は、11位。

関東勢の最下位に沈んだ。

 

一走・緒方の区間7位以外は二桁

(濱中11位、網本13位、迎10位、

西村12位、宮崎11位)。

長い距離が得意な「鉄紺」ゆえ

スピード駅伝の出雲は不得手だが、

加えて「流れ」が全く作れなかった

 

 

次戦全日本まで約三週。

出雲で経験を積んだ下級生に加え、

エントリーには4年生の名前もある。

最終目標の「箱根」に向けて

11月、伊勢路106.8kmを駆ける。

目標の「鉄紺の復権」の実現へ、

力強い一歩を

 

※※※※※

 

タイトルの「ペガサスプラス」は

ナイキのランニングシューズで、

昨今人気の「高反発」ながら、

圧倒的シェアのアルファフライや

ヴェイパーフライより膝等への

負担の掛からないカテゴリー。

夏合宿で東洋が積極的に使用。

 

「ペガサス」の響きも良いので、

三大駅伝については

この題名で綴っていきまーす

 

【伊勢路の巻につづく】

 

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毎日オリオンズ

2024年10月09日 | スポーツ

昨日のblogで写メった

ファストフード店の基幹企業が

オーナーの、プロ野球チームは

激しく争った末に「CS」に残った。

 

野球に詳しくない人の為に添えると

「クライマックスシリーズ」のこと。

リーグの順位は確定したが、

日本一を競うチームを別途決める

2007年から始まった制度っす。

 

今年は12日からファーストステージ。

セは阪神vsDeNA、パは日本ハムvsロッテ。

 

贔屓の我が燕はセ・リーグ5位。

サンタナが最高出塁率、

長岡は最多安打、そして

村上は二冠王を獲得。

個人記録は悪くなかったので

来季は、てっぺんを目指します。

 

なんたって2025年は、「村神様」の

日本でのラストシーズンになりそう。

いよいよメジャー挑戦らしい。

 

かたやパ・リーグは福岡が独走。

CSでひっくり返ったら

13ゲーム差は何?って話なわけだが

そーゆーレギュレーションだから

仕方がない。

さて、そんなパシフィックの

初代王者が「毎日オリオンズ」。

今のマリーンズ。

 

1950年から後楽園球場を本拠地に

8シーズン戦った。

親会社は毎日新聞。

 

松竹と激突した日本シリーズを

4勝2敗で制しているから

最初のチャンピオンチームでもある。

 

 

オリオンズといえば、我々世代には

「カネやんロッテ」

……そう、不世出の400勝投手

金田正一を監督(1973-78年)に

74年、当時は前後期制で後期を1位、

プレーオフで阪急を降し、パV

 

セ王者はV10を目指した巨人を

ゲーム差0、勝率1厘差でかわした

与那嶺中日が優勝!

日本シリーズは、ロッテに軍配

前述1950以来の日本一に

 

途中ハショッたので、年次で纏めると。

毎日オリオンズ(1950年 - 1957年)

毎日大映オリオンズ(1958年 - 1963年)

東京オリオンズ(1964年 - 1968年)

ロッテオリオンズ(1969年 - 1991年)

千葉ロッテマリーンズ(1992年 - 現在)

 

親会社がかわっても、ほぼオリオンズ。

年輩は、いまだそう呼んでいたり

ベイスターズをホエールズと

今なお呼称する世代があるごとく。

 

そして、この2チームは

我が川崎をかすめていったという

共通項を持つが、長くなるので

別の機会にゆっくり綴ります。

 

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二極(1)〜青木宣親の章

2024年10月03日 | スポーツ

米大リーグはポストシーズン。

大谷ドジャースへの挑戦権を賭け、

パドレスとブレーブスが

ワイルドカードシリーズ

 

時差もあり、詳しくは判らないが

ニュースなどのくくりで「同じ日」

日本では我がヤクルトの

青木宣親が引退試合。

 

本当に素敵なゲームとセレモニー。

愛されていたがゆえの周辺の献身が

ジワジワではなくガツンとくる一夜。

  

 

ローテーションピッチャーで

本当は「お休み」の盟友・石川雅規が

7回にマウンドへ。

球界最年長の投手と野手が揃い踏み。

その前に投げたサイスニードも同様、

「ノリさんの為」に志願登板した。

 

前半、ワンサイドにみえたが

負ければBクラスが決まる

対戦相手のカープも奮戦し、

このイニング反撃! 2得点。

 

石川44才は後続を切って、青木を待つ。

センターからカラフルなグラブの、

この日、既に2安打した41才と握手し、

一塁側ベンチへ。

 

そのスタンド後方の一席には

ファンクラブ名誉会員の一人

さだまさしが、石川の19番の入った

ユニフォームを着て観戦していた。

 

フジサンケイグループと関係が深い

スワローズゆえ、BSフジが生放送。

燕OBで、青木同様MLBプレーヤーの

五十嵐亮太を解説に、4人のゲスト

・・・元ヤクルト監督の真中満、

現楽天SD石井一久、

大学プロともに同チーム武内晋一、

現役時代はサブマリン、

引退後はスカウトとして青木担当の

宮本賢治 ・・・が、

それぞれの「ノリ」を語った。

 

語るといえば。試合後のマイク。

青木は球場に残る広島ファンにも感謝。

 

サプライズでスクリーンに現れた

イチローからの労い、そして

「じゃあ、最後、バシッとな」と

無茶ぶりされたのを受けた、

飾らない青木の最後の挨拶は

前述の気配りを含め、

プレー同様一言一句格好良くて……

 

世界の51番の前には、

日向高校野球部元監督・田平裕三、

早大同期の鳥谷敬、海の向こうから

マクガフ、バレンティンの両助っ人、

さらにはダルビッシュ有も登場。

2024年10月2日。

 

「また逢いましょう」で締めた

ミスタースワローズ。

青木ヤクルトは何時になるのか?

 

 

秋。

闘いを続ける者と去る者と、

ふたつの道に分かれる季節。

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先輩後輩対決

2024年09月29日 | スポーツ

自民は石破茂が悲願の総裁に。

野田佳彦第95代内閣総理大臣は

立憲民主の党首に返り咲いた。

奇しくも67歳同士となった

「二大政党」のトップ対決に

報道は「同い年」を強調

 

どちらもわりと地味だから

「何か」欲しくなるのは人情か?

 

ただ与党党首は早生まれなので

学年でいえば「一個上」。

・・・それは永田町の話。

 

同じ日、広島マツダスタジアム

カープ対タイガース

こちらでも先輩後輩対決!!

 

2対2で延長戦に突入した11回裏、

岡田監督はマウンドに村上を送る。

今季ここまで全て先発で

23試合7勝9敗の村上頌樹は、

前年、開幕から破竹の31イニング

連続無失点記録という偉業※を含む

快投で、セリーグ初となる

新人王とMVPのW受賞※※!

阪神の「アレ」に貢献した右腕だ。

が、今シーズンは苦しんでいた。

 

【※中井悦雄とタイ記録。

 ※※パ・リーグでは木田勇、

 野茂英雄が記録】

 

今季初のリリーフとなった

背番号41はしかし、

鯉のクリーンアップを3人でピシャリ!

12回裏もまず6番菊池を一邪飛に。

つづく代打野間も打ち取った、

が、ファースト大山の悪送球で

一死二塁。

 

ここでカープは、8番會澤に代えて

末包昇大(かねすえしょうた)。

名門・高松商で1年秋からレギュラー、

2年から三塁を守り、3年夏は4番に座るが

甲子園の土は踏めず東洋大学に進学。

同期の甲斐野央、梅津晃大、上茶谷大河、

中川圭太が卒業即プロ入りする中、

大阪ガスへ。

社会人3年目の日本選手権で

打撃賞を受賞し、チームは優勝する。

2021年ドラフト会議で広島6位指名。

 

一方、村上は奈良の智辯学園で

1年夏と3年春夏、甲子園に出場。

3年春は1番を背負い、

全5試合を一人で投げ抜き、

甲子園初優勝を同校にもたらす。

東洋大に進むと2学年上に、

甲斐野や末包らがいた。

彼らが去り、エースとなった3年春、

6勝負け無し、防御率0.77で投手3冠と

ベストナインの獲得とともに

東洋の春季4連覇を牽引した。

2020年ドラフトで阪神5位指名。

 

つまり、大学では末包が2年先輩。

だが村上は1年早くプロ入りし、

実績も残している……。

 

 

ふたたび9月27日、広島。

カウント2-1から末包の打球は

ライトへのサヨナラツーベース

軍配は大学の先輩にあがった

村上は悔し涙を流した

 

このような闘いが365日、

スポーツに限らず展開している。

 

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育成

2024年09月16日 | スポーツ

日本プロ野球に「育成」枠ができたのが

2005年。

「シン」こと高橋みゆきが

バレーボール伊セリエAの

ヴィチェンツァでプレーした年だ。

 

気づけば育成ドラフトも歴史を重ね、

MLBにまで駆け上がった千賀滉大ら

「育成出身」のスターは増えた。

 

一方。

甲子園を沸かせた「期待のドラ1」が

伸び悩む傾向も……。

「即戦力」「完成された」等々

称えられる反面、伸びしろがない、

故障や疲労の蓄積による不成功

との声も聞く。

 

一昔前は、名門高校やロクダイ、東都、

都市対抗の常連などが指名の主体

だったけれど、昨今の流れから

「えっ、何県にある大学?」って処や

独立リーグを経て入団するルーキーが

珍しくなくなった。

 

 

セパのペナントレースも終盤。

「プロ志望届」も続々提出され、

ドラフトの皮算用をするファンも多い。

 

その中の一人に、

シャピロ・マシュー一郎

な、な、なんと

国学院栃木高校時代、

公式戦未登板のピッチャー。

進学した国学院大でも

その「記録?」は継続し、

ようやく3年秋にマウンドに!

 

さぁそこから破竹の勢い……

とはならず

3年秋1試合0勝1敗、

4年春1試合0勝0敗。

なのだけれど、191cm95kgから

投げ降ろすボールに何球団かの

スカウトが垂涎だという。  

 

米国出身の相撲ジャーナリストを

父に持つ未完の大器は果たして……

・・・多様性の波(!?)はあちこちに。

 

 

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青木宣親

2024年09月14日 | スポーツ

1982年1月5日宮崎県日向市生れ

早大〜ヤクルト(ドラフト4位)

〜ブルワーズ〜ロイヤルズ〜

ジャイアンツ〜マリナーズ〜

アストロズ〜ブルージェイズ〜

メッツ〜ヤクルト。

175cm、80kg。

42歳(NPB野手最年長)。

 

日本プロ野球界で唯一、

シーズン200安打を2度達成。

首位打者3回。盗塁王1回。

ベストナイン、ダイヤモンドクラブ

ともに7回。新人王など受賞

 

メジャー在籍は2012年から17年。

その間、前述の通り7チームでプレー。

ヤクルトでは背番号23→1、復帰後23。

なおWBC06年と09年、五輪08年でも

23を背負う(WBC17年は7番)

 

・・・と青木宣親のデータを羅列した。

そんな我がスワローズの大黒柱が

引退と13日発表された。

 

とても寂しいけれど

「お疲れ様、ありがとう」

そう労い、功績を称えよう

 

 

10行前あたりにサラっと触れた

背番号の話を広げる。

 

若松勉(1972-85)、池山隆寛(92-00)、

岩村明憲(01-06)、青木(2010-11)と

受け継がた燕の、重みある「1」を

16年シーズンから山田哲人が背負う、

その会見に登場し手渡したのが青木。

 

メジャーリーガーはオフの為帰国してい、

衣笠球団社長の粋な演出に

二つ返事で応えた2015年12月8日。

 

この年トリプルスリーを達成した山田。

やはり青木のつけていた23から

「ミスタースワローズ」の1へ襷が渡った。

 

 

描いた未来を掴むためは、

青木の応援歌の一節だけれど、

稀代の安打製造機は、第二の人生で

何を製造してくれるだろう。

 

 

 

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10.12西武✕近鉄(延長)

2024年08月26日 | スポーツ

伝説の10.12を生観戦した

と、昨日書いたけれど、

指折り数えれば35年前の

遥か昔の話である……

 

ブライアントの4打数連続本塁打の

一本を浴びたナベキューは今、

埼玉西武ライオンズの監督代行だ

(球団GM兼任です)。

 

残り試合を一つも落とせない近鉄は

西武球場でのダブルヘッダーで

余りにドラマチックな連勝を飾り、

その勢いに乗り、大逆転でリーグ優勝

 

前年、川﨑球場。

ロッテ有藤監督の執拗な抗議も

あいまって逃した物語も含む

壮大なストーリーだった。

 

その「バファローズ」は今はない。

近鉄という球団は2004年、消滅。

ライバル・オリックスに吸収合併。

05年、オリックス・バファローズに。

 

「川崎球場」も野球場から総合球技場

「富士通スタジアム川崎」となり、

アメリカンフットボールの聖地に

生まれ変わっている。

 

「あの日」以来、西武球場を訪れた

私の見た試合は、偶然にも

ライオンズ対バファローズ。

(詳しくは弊blog8/22、23参照)

球場は、外野芝生席からドームへ。

名称もネーミングライツで変遷する。

 

 

そうそう。

芝生席で一緒に立ち見して

「歴史」に立ち会った俊雅はまだ、

西武ファンのままだろうか?

当時、おニャン子クラブの

ゆうゆ推しだったけれど

(てか「推し」というワードが

存在していない時代だ……)、

アイドル好きの彼は「坂」あたりに

熱をあげているのだろうか?

 

余談ながら、私はおニャン子では

名越美香の一択でした。

 

今年のパは、ホークスが独走

海の向こうでは「オオタニさ〜ん」が

最速の40-40を達成

 

変わりながらも繋がる、毎日。

・・・毎日オリオンズ(1950-57)

わっ。話が終わらなくなるので

ひとまずポチ

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