麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

青年座vs文学座…おもに『桃中軒』

2005年09月26日 | 鑑賞
青年座『夢・桃中軒牛右衛門の』
(作/宮本研、演出/鈴木完一郎 本多劇場 9/17~9/25)は
明治から大正にかけての日本と中国を舞台に、

文学座アトリエの会『焼けた花園』
(作/ウーゴ・ベッティ、訳/溝口廸夫、演出/上村聡史
 文学座アトリエ 9/7~9/21)は、
とある時代の国境沿いの一軒家を舞台に、

設定こそ異なるけれど、どちらも「国家建設」に
まつわる人間模様で、なるほど戦後60年目の節目の年に
こういうアプローチはかっこいいなあ…と思った。

特に前者は、僕が個人的に「中国哲学文学科」とゆー
学部を出たこともあり、結構ノメリ込む世界でした。

孫文や秋瑾や、そして毛沢東が大活躍
夏目漱石や北一輝など日本の偉人も続々登場・・・
「歴史青春群像劇」です。

前半は、例えるならぬかるんだピッチでパスが通らず、
そこここでプレーヤーが転ぶような流れ・・・
ところが後半、桃中軒雲右衛門
(似てますが、タイトルロールは牛右衛門…
 主人公の浪曲の師匠です)を演じた
山野史人さんの見事な・・・これがまた
23日付『焼けた花園』で書いた同様、
見事じゃすまないのだがそれより言葉を知らない
「見事な」・・・浪曲から、俄然ゲームは活気を帯び、
青年座らしい「勢いのある」「怒濤のような」攻撃が
次から次へとゴールに襲いかかるのだ

そろそろ終わりましょう。
せっかくVSにしたのだから少しくらい較べてもみれば・・・

冒頭にもちょいと触れたけれど
2作品とも主人公は「革命」に関わっていて、
けれども「主人公の妻」はとっても対照的。
『焼けた…』のルイーザは、
幼い息子を失った呵責から苦悩し、
冷静と狂気とを行き来きし、
『桃中軒…』の槌(つち)は、
奔放な夫の陰で貧しさに耐えながら生きるのだ。

前者は一度は国のトップに立った男の、
それゆえの問題や前述の息子の死やらあって、
後者の、常に黒幕に徹して革命を支えながら
自らは浪曲師として全国を駆けめぐるのと、
単純比較は勿論出来ないけれど、
良い意味で日本的な、凛と生きる妻=槌の姿は、
結婚してまもなく半年の僕には、
個人的にはとっても響いたのだった・・・
そんなのまるで「夢」の話だけれども。

コメント
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