たけじいの気まぐれブログ

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夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く

2024年12月12日 09時30分53秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その23

夕されば 門田の稲葉 おとづれて
芦のまろやに 秋風ぞ吹く

出典
金葉集(巻三)

歌番号
71

作者
大納言経信

歌意
夕方になると、
秋風が家の門前にある田の稲葉に
そよそよと音を立てて吹き、
その風が芦で葺いた小屋にも
吹き渡ってくることだ。

注釈
「夕(ゆふ)されば」の「され」は、
「来る」「近づく」の意の動詞「さる」の未然形。
「ば」は、確定条件を表す接続助詞。
「夕方がやってくると」の意。
「門田(かどた)の稲葉(いなば)」=「家の門前に有る田の稲葉」
「おとづれて」=「音をたててやってくる」の意の動詞「おとづる」の連用形。
「訪れる」の意を響かせている。
「芦のまろや」の「まろや」は、「粗末な家」、「小屋」のこと。
「屋根を芦で葺いた粗末な家・小屋」の意。
「秋風ぞ吹く」の「ぞ」は、強意の係助詞。

「金葉集(きんようしゅう)」の詞書(ことばがき)によると、
この歌は、「田家秋風」という題による題詠(だいえい)で、
京都の西、桂川の近くの梅津(うめづ)という山里の別荘で、
詠まれたものだとされている。
秋風を目で追い、耳でとらえて、
秋の夕暮れ時の田園風景を
立体的感覚で表現している。


大納言経信(だいなごんつねのぶ

民部卿源道方(みんぶきょうみなもとのみちかた)の六男、
源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)の父親、
源経信(みなもとのつねのぶ
蔵人頭、参議を経て、大納言・正二位となり
太宰権師(だざいのごんのそち)に任じられ、
任地九州で没した。
漢詩、音楽、有職故実等、博学多才で、
桂大納言と称せられた。


(狂歌)
夕されば 門田のいなば おとづれて
権兵衛(ごんべい))内(うち)なら 一合やらうか
「おい、居るかい、居るのなら、たった一合の酒だが、
権兵衛さん、一杯やろうか」


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


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