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浅田次郎著 「流人道中記」(上)(下)

2022年01月19日 14時49分40秒 | 読書記

図書館に予約してから1年以上にもなっていた、浅田次郎著 「流人道中記」(上)(下)(中央公論新社)が、やっと順番が回ってきて、先日借り受け、読み終えた。本書は、2018年7月1日~1019年10月13日まで、読売新聞朝刊に連載さた長編時代小説で、2020年に発刊された書だが、凄い順番待ち、非常に人気が高い書であることが分かる。

「流人道中記」(上)(下)
 

「流人道中記」は、江戸時代末期、万延元年、一人の流人を蝦夷松前藩まで押送する若き与力の姿を描きながら、侍とは?、法とは? を問う、長編時代小説である。

姦通の罪を犯したとされ、切腹を言い渡された旗本青山玄蕃が、「痛え(いてえ)からいやだ」と切腹を拒んだため、旗本を打ち首にもできず、困った三人の奉行が知恵を絞り出した結論は、蝦夷松前藩の大名預かり(つまり流罪)という処置だった。そこで玄蕃を、青森の三厩(みんまや)まで押送する役目を仰せつけられたのが、家督を継いだばかりの十九歳の見習い与力の石川乙次郎。流人青山玄蕃と押送人石川乙次郎の、片道約1ケ月の奥州街道、道中の物語である。
この物語の主人公は、石川乙次郎なのであろう。終始 一人称「僕」で描かれているが、ことの発端を起こした青山玄蕃が中心人物であることに間違いなさそうだ。物語の最初から最後まで、目を引き、身分の高い旗本でありながら、気取ったところがなく、豪放磊落(らいらく)にして明朗闊達(かったつ)、世故(せこ)に長け、道中で出会った人々を助けたり、厄介事を見事に捌いたり。その人間像が描かれていく。玄蕃の人間的魅力が描かれれば描かれる程、押送人石川乙次郎も、読者も、なぜ彼は切腹を拒否したのだろうか? 本当に玄蕃は罪人なんだろうか? 疑問、謎が膨らんでくる。
道中、玄蕃と乙次郎は、お尋ね者への報奨金、「情」より「法」優先で磔になった少年、敵討ち、旅先で倒れた病人の「宿村(しゅくそん)送り」等々、様々な事件に出会うが、こんな「法(決まり)」があったのかという驚きや、それに縛られる人々の苦悩を、浅田次郎は、時には、ハラハラドキドキさせ、時には笑いを、時には涙を誘うその熟練の技で描き出している。
最初は、流人と押送人の関係だった青山玄蕃と石川乙次郎、長い旅を通じて、反発、迷いを繰り返しながら、次第に師匠と弟子のようになっていく様子が分かる。
「玄蕃様」、乙次郎は、初めて名を呼んだ。この人は、けっして流人ではない。「新御番士青山玄蕃様、ただいまご着到にござる。くれぐれも御無礼なきよう、松前伊豆守様御許福山城下まで御案内下されよ」
江戸から津軽までの風景や文化の描写も読みどころで、物語の中の二人と共に、東北の旅が味わえる、浅田次郎の傑作の一つだと思う。長編ではあるが、読み出すと、一気に読める書だ。

青山玄蕃と石川乙次郎が歩んだ奥州街道

 


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