足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。
百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その14
わが庵は 都のたつみ しかぞ住む
世をうぢ山と 人はいふなり
出典
古今集(巻六)
歌番号
8
作者
喜撰法師
歌意
私の草庵は、都の東南に有って、
このように心安らかに住んでいる。
それなのに、
世の中を嫌うという意味の宇治山と、
言っているそうだ。
注釈
「庵(いほ)」は、粗末な小屋、草庵の意。
「たつみ」=辰巳、東南の方角。
「しかど住む」の「しか」は、「然り」(そのように)の意だが、
ここでは、「かく」の意で、
安定した心境を表している。
「鹿(しか)」との掛詞という説もある。
「世をうぢ山と」=「世を憂し(嫌だ)と思って住む宇治山であると」の意。
「うぢ」は、「憂し(うし)」と「宇治(うじ)」の掛詞。
宇治山は、現在の宇治市東方に有る喜撰山のこと。
宇治山の草庵を訪れた人に語った形式の歌で、
俗世間を離れて隠れ住む、気楽な安定した心情が、
歌われている。
喜撰法師(きせんほうし)
宇治山に隠棲していた真言宗の僧。
六歌仙の一人。
紀貫之が、古今集の序文の中で、
喜撰法師のことを、
「詠んだ歌が少なく、よく分からない」と
記述しているように、
はっきり、喜撰法師の作と分かっている歌は、
この「わが庵は・・・」だけなのだと、言われている。
「六歌仙」とは、
下記、平安時代初期の優れた歌人6人のこと。
在原業平(ありわらのなりひら)
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
小野小町(おののこまち)
文屋康秀(ふんやのやすひで)
喜撰法師(きせんほうし)
大伴黒主(おおとものくろぬし)
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)