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滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ

2024年10月25日 10時48分37秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。


百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その8

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ



出典
拾遺集(巻八)

歌番号
55

作者
大納言公任

歌意
滝の音が聞こえなくなってから
ずいぶん長い年月が経ってしまっているが、
その滝の名だけは、世間に流れ伝わって、
現在でもやはり聞こえていることだ。

注釈
「滝の音は」の「滝」と「流れ」、「音」と「聞こえ」が
それぞれ、縁語になっている。
この「滝」とは、
現在の京都市右京区嵯峨にある大覚寺の古滝のこと。
「名こそ流れて」の「名」は、評判、名声の意。

大覚寺は、元、第52代天皇嵯峨天皇の離宮が有ったところで、
天皇は、庭園に滝を作らせ、有名であったが、
作者藤原公任の頃には、水が枯れて、滝跡が残っているばかりで、
その変わり様を目にした作者が、懐旧の情を詠んだ歌。
以後、この滝は、「名古曽の滝」と呼ばれ、
現在も、その滝跡が有るのだそうだ。


大納言公任(だいなごんきんとう)・藤原公任(ふじわらきんとう)

三条太政大臣藤原頼忠の子、藤原公任、
平安時代中期の公卿、歌人、
博学多才で、「三船の才(漢詩の才、和歌の才、管弦の才)」を兼備、
有識故実にも通じ、
正二位・大納言となり、「四条大納言」と言われた。
家集「大納言公任集」、私撰集「金玉和歌集」、
歌論書「新撰髄脳」、「和歌九品」や「和漢朗詠集」、
「三十六歌仙」の元となった「三十六人撰」等、数多の編書が有る。


(参考)
「三十六歌仙」とは、
大納言公任・藤原公任が選んだ平安時代の36人の歌人のこと。

柿本人麻呂、山部赤人、大伴家持、猿丸太夫、僧正遍昭、小野小町、
在原業平、紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、藤原兼輔、藤原敏行、
壬生忠岑、坂上是則、藤原興風、源重之、大中臣頼基、源公忠、
平兼盛、小大君、中務、藤原元貞、伊勢、源宇干、
斎宮女御、藤原敦忠、藤原高光、源信明、清原元輔、大中臣能宣、
藤原仲文、源順、藤原清正、壬生忠見、藤原朝忠、素性法師、


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


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