第3章 「くにと千代子」
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内縁の夫源吉を不慮の事故で亡くしてしまったくには、これからどうしたものか、思案に暮れながら、過ごしていたが、それから半年も過ぎた頃になって、ようやく、千代子をしっかり育て上げるためには、働くしかなく、いろいろな伝手を頼り始めていた。
くには、ほとんど毎日、働き先を探し歩くようになっていたが、ある日、思わぬところで、東京市豊島区西巣鴨、とげぬき地蔵通りから細い路地を少し入ったところに、42坪の借地権付きの2階建て中古住宅の売り出しが有ることが耳に入った。千代子を落ち着いて育てるためには、仕事を探す前に、まずは、ちゃんとした家に定住した方が良いと考え始めていたくには、なんとなく気をそそられ、早速下見に出掛けたのだった
古い板塀で囲まれ、狭いながらも庭が有り、井戸も有り、建物はかなり古いものの、1階、2階、部屋数も多く、落ち着いた雰囲気が有り、何よりも売値が安いことで、くには、すっかり気にいってしまった。建物の売り主は、商売はうまくいかず、すでに郷里に帰ってしまい空き家になっていて、捨て値で売りに出しているようで、相場より随分安い物件だったのだ。地主は、地元の大地主の未亡人で、中井嘉子という女性であることも分かった。信用出来る物件なのかどうか、一抹の不安も有り、くには、その地主宅をも訪れている。訪いを入れると、60歳くらいの福々しく柔和な感じの中井嘉子は、初対面にも拘わらず、くにを座敷にまで通してくれ、打ち解けて、くにの身の上話、家庭事情までもよく聞いてくれ、信頼出来る人柄であることも分かった。
「それは、それは・・・、貴女も、辛い目に遭ってこられたんですね。あそこなら、暮らすにも、仕事をするにも、便利ですし、是非、長く住んで、娘さんを育て上げてやって下さいな」
どうしても、その家を手に入れたくなってしまったくに、締まり屋で、若い頃から、しっかり貯め込んではいたが、自己資金だけでは足らず、埼玉の実家の兄にも泣きつき、夢中になって金策に走り、なんとか、購入契約手続きにこぎ着けたのだった。かくして、くには、借地権付きではあるが、長年の念願だった、家持ちになったのだ。
尋常小学校高学年の千代子には、まだその辺の事情を理解出来るはずもなかったが、くにが、なみならぬ決意で引っ越しを決めていることだけは分かった。
「ねーえ、おかあさん、引っ越しするの、来年の春にすること出来ないの?」
「それがね、相手さんが急いでいて、待てないんだよ。ごめんね」
そして、昭和9年(1934年)の秋、くにと千代子は、目黒油面から、巣鴨へ引っ越しをしたのだった。あと数ヶ月で、渋谷猿楽尋常小学校で卒業するはずだった千代子は、残念ながら転校せざるを得なくなり、それまでの沢山の友達をいっぺんに失うことになり、そのショックはかなり大きかったようで、晩年になってから、渋谷猿楽尋常小学校の同窓会同級会の名簿もアルバムももらえず、仲の良かった同級生の誰一人とも、それっきり音信が途絶えてしまったことが、生涯に渡り、最も悔しいことだったと、繰り返し語っていたものだ。
(つづく)