第4章 「巣鴨の家」
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くにと千代子は、引っ越してきた巣鴨の家で、昭和10年の正月を迎えた。内縁の夫源吉を亡くしてから、1年が過ぎたばかりだったが、くににとっては、初めて自分の家を持った感慨が有って、晴れがましく、玄関にお飾りを設え、近所のお宅にも、新年の挨拶をするのだった。
千代子もまた、そんなくににくっついて回り、突然亡くなってしまった養父への思いを引き摺ってはいなかった。物心ついてから、2階の有る家に住むことが初めてだった千代子にとっては、階段を昇り降りすることさえも、うれしくて仕方なかったのだ。
その家は、1階に、小部屋を入れて3間有り、2階には、2間と簡単なお勝手も有り、2世帯が暮らせる構造なっていたのだ。玄関先には狭い庭が有り、目隠し用の粗末な板塀で囲まれており、庭の西側の隅には、井戸が有った。当時は、井戸の有る家も少なく無かったのかも知れない。
くにが、井戸水を汲み上げ、洗濯をする時は、いつも千代子が側にいて、その手伝いをするのだった。便所は、母屋の廊下の一番奥に有り、夜は暗がりとなり、最初の内、千代子は怖がって、くにが付いていってやるしかなかった。
表通りには、八百屋、菓子屋、床屋、不動産屋等が並び、人当たりの良いくにのこと、町内の住人の誰とも解け入って、「みんな、いい人ばっかりで良かったわ・・」が、いつしか、くにの口癖になっていた。
お茶目で、人見知りしない千代子も、そんな町内の人気者となり、父親のいない可哀想な子としてもみられ、「チヨちゃん」「チヨちゃん」と呼ばれ、可愛がられた。
特に、千代子と同い歳の女の子がいた、資産家の「入江さん」や、不動産屋の「土屋さん」のお宅とは、直ぐに懇意となり、家族ぐるみの付き合いが始まっていた。
昭和10年頃前後、まだまだ、古き東京の人情味あふれる暮らしが、そこには有ったのだ。
(つづく)