たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「寄り合い家族」 No.013

2023年09月20日 09時10分21秒 | 物語「寄り合い家族」

第3章 「くにと千代子」
(4)

くにの食堂は、開店してから順調に客足が伸び、学生や若い勤め人等の客常客も付き、外目からは、繁盛しているように見えたが、わずか3年で、突然、閉店することになった。
閉店した表向きの理由は、採算が合わなかったということだったが、実は、他にも理由が有ったようだ。華奢で姿かたち良く、和服が良く似合う、どこか男好きするくにが、若い客に愛想を振りまき、「オカミサン」、「ネエサン」、「オバチャン」等と慕われていたのを、日々垣間見ていた、無口な内縁の夫源吉が、面白くなくて、強引にやめさせたのだというものらしかった。もしかしたら、何か、源吉が許せない問題が生じたのかも知れなかったし、家主とのトラブルも有ったようだ。少女の千代子には、その辺の事情が分かるはずも無く、「どうして、お店、やめるの?・・・」と、なんども、くにに、食い下がったが、くには、はっきり答えることをしなかった。千代子が、その訳を理解したのは、後年、成人してからのことだったのだ。

食堂をやめて直ぐ、くに、源吉、千代子の家族は、目黒油面(現在の東京都目黒区)に引っ越しをした。和室2間と台所、3坪程の庭付きの木造、平屋の狭い借家だったが、親子3人で暮らすには、不自由しない家だった。ただ、尋常小学校高学年になっていた千代子は、区外通学となり、東横線を利用することになった。学校に行くには、主に、東横線の「中目黒」「代官山」で電車を乗り降りしたが、子供には、かなりの距離を歩くことにもなった。ただ、そのことは、千代子にとって、すべて新鮮で、ウキウキ通学しているようにも見え、くにも安堵したのだった。
くに、源吉も、直ぐに町内のつきあいにも溶け込み、居心地良い暮らしが始まったのだった。人付き合いの良いくには、仲良くなった隣り近所のオカミサン連中とあっちこっちに出掛けることが多くなった。当時、代官山界隈には、おしゃれなアパートが沢山有り、「今日、水ノ江滝子を、近くで見たよ!」等と、帰宅したくにが、興奮気味に、源吉に話していた様子を、千代子は、晩年になってまで覚えていた。千代子にとっても、代官山界隈は、同級生等と遊び回った町、我が町となった分けだが、戦後、晩年になって、遠い北陸の山村から、すっかり変貌を遂げた代官山界隈の映像や話題を見聞きする度に、懐かしい当時の風景を思い出しながら、そのことを語ったものだった。

(つづく)


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