足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。
百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その4
これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関
出典
後撰集(巻十五)
歌番号
10
作者
蟬丸
歌意
これがまあ、あの有名な
都から東国へ行く人も、東国から都へ帰る人も、
互いに知っている人も、知らない人も、
ここで別れてはまた逢うという
その名の通りの、逢坂の関所なのだなあ。
注釈
「これやこの」の「これ」は、代名詞で、「逢坂の関」を指し
一首の主語になっている。
「行くも帰るも」=「行く」、「帰る」の下に、「人」が省略されている。
「別れては」=下の「逢坂」の「逢う」に続いており、
「逢う」と「別れ」の動作の反復を表現している。
「逢坂(あふさか)の関」=山城国(現在の京都府)と
近江国(現在の滋賀県)の国境に有った関所。
(ネットから拝借画像)
感動表現で始まり、体言止めで終わっており、
作者の感動が伝わってくる作品。
対句的表現の調子良さも加わって、
読者に愛唱される名歌となっている。
蟬丸(せみまる)
平安初期の歌人。
盲目の琵琶の名手で、後に、逢坂山に住んだとされている。
「源平盛衰記」「今昔物語」等に伝説的な記述があるが、
その実際は不明。
「蟬丸」は、
蟬の鳴き声のような特殊な発生法で歌う「蟬歌」の名手だったことから
名付けられたと言われている。
川柳
敷島の百里の道に関三つ
「敷島(しきしま)の道」とは、和歌のこと。
「和歌の百人一首には」という意。
「関三つ」とは、
「関所が詠み込まれている句が、3句有る」の意。
歌番号 10 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
歌番号 62 夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
歌番号 78 淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝ざめぬ 須磨の関守
川柳
琵琶の曲行くも帰るも立ち止まり
蟬丸が逢坂の関の近くに住んで、
琵琶を弾いて暮らしていたという伝説をとらえて
蟬丸の作品をもじった川柳。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)
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