足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その16
音に聞く 高師の浜の あだ波は
かけじや袖の ねれもこそすれ
出典
金葉集(巻八)
歌番号
72
作者
祐子内親王家紀伊
歌意
噂に高い高師の浜の、むなしく打ち寄せる波を
うっかり、袖にかけますまいよ、
袖が濡れるかも知れなませんので、
浮気で評判の高いあなたの言葉に心をかけないつもりですよ
あとで袖が涙で濡れることになるといけませんので、
藤原俊忠の
「人知れぬ 思ひありその浦風に 波のよるこそいはまほしけれ」
(あなたに人知れぬ思いを抱いているので、浦風で波が打ち寄せるように、夜、声をお掛けしたい)
への返歌。
言い寄ってくる男性を拒む態度を示すのが、
贈答歌に際しての女性側の常道。
「波」を「あだ波」と捉えて切り返しいる。
注釈
「音に聞く」は、「うわさに名高い」の意。
「高師の浜」は、現在の大阪府堺市浜寺付近の海岸。
「高師」と「高し(評判が高い)」が、掛詞になっている。
「かけじや」の「かけ」は、思いをかけるの意と
波をかけるの意を込めている。
「袖のぬれもこそすれ」の「ねれ」は、波で袖が濡れるの意と
涙で袖が濡れるの意を込めている。
「もこそ・・・すれ」は、
将来に対する不安、懸念の気持ちを表している。
祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)
後朱雀天皇の第一皇女祐子内親王に仕えたために付いた名で、一宮紀伊とも呼ばれた。
民部大輔(みんぶのたいふ)平経方(たいらのつねかた)の娘。
紀伊守藤原重経の妹?または妻?(不明)。
優れた女流歌人として知られ、家集に「祐子内親王家紀伊集」が有る。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
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