つい数年前までは、まるで読書の習慣等は無くて、図書館通いする暮らしになるなんて、全く想像もしていなかった爺さんです。数年前のある時、相互フォロワー登録しているある方から、「藤沢周平の時代小説」をすすめられたことが有って、その気になり手を伸ばした1冊が、「三屋清左衛門残日録」でしたが、それをきっかけにして、少-しずつ読書の習慣が身に付いてきたような気がしているんです。これも、やっぱり、ブログをやっていたからこそ起こった「自分の大きな変化」の一つだと思っていますが、何分、読書に不慣れ、読書初心者であり、視力、記憶力、減退、根気力無しの爺さんです。これまでのところは、主に、軽く読破し易い、肩が凝らない、「時代小説」を中心に読んできました。ただ、読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳、読んだことの有る本を、うっかりまた図書館から借りてくるような失態を繰り返さないために、その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に、書き留め置くことにしているのです。
昨年末に図書館から借りていた、諸田玲子著、「仇花(あだばな)」(光文社)を、読み終えた。本書は、恋も、財も、地位も、全て手に入れたい野望を胸に、持って生まれた美貌と激しい性格で、徳川家康の最後の側室となったお六を描いた長編時代小説である。副題「人生が二度あればーー」が付されており、もしも、お六以下登場人物が幕末に生きていたら・・・の物語と、二重構成にもなっている。
▢目次
「幕末・江戸(一)」
第1章(一)~(五)
「幕末・江戸(二)」
第2章(一)~(五)
第3章(一)~(七)
第4章(一)~(六)
「幕末・江戸(三)」
第5章(一)~(七)
「幕末・江戸(四)」
「付記」
▢主な登場人物
お六、お紺、
千之助(黒田信濃守直綱)、小夜、
阿茶局、お奈津、お万、お亀、お勝(英勝院)、お仙、
黒田五左衛門(お六の父親・黒田直陣)
江戸與兵衛(お勝の実父、黒田五左衛門の仲間)
庄司甚右衛門(傅十郎の養父)
辻脇四郎三郎(千之助の養父)
甚内→庄司甚右衛門に改名(親父(おやじ)、遊里吉原造営画策)
傅十郎、
徳川家康、徳川秀忠、本多上野介正純、植村出羽守家重、
▢解説
小田原の北条氏滅亡で、江戸で長屋暮らしをしていた元北条家家臣、黒田五左衛門の娘、お六は、愛くるしい笑顔で人を魅了する反面、あらゆる栄華を手に入れたい、我が手に天下を取りたいという図太さ、勝ち気な性格だった。そんなお六の美貌と強烈な性格を見抜いた甚内(後に改名、庄司甚右衛門)が、お六を江戸城に入れるよう画策援助、すでに家康の側室になっていた、江戸與兵衛の娘、お勝に仕えることが出来、さらに才覚と胆力で、14歳で家康最後の側室となり、家康を手玉にとろうとするが・・・。家康が死去し・・・。
本書は、江戸の長屋、江戸城、駿府城、大阪冬の陣、比丘尼(びくに)屋敷、鴻巣御所・・・、江戸時代初期に生きたお六と、もしも、お六が幕末に生きていたら・・・という、二重の物語になっている。
ああ神様仏様、禍々しい事件に首を突っ込まぬよう、千之助を一刻も早くわたしのところに返してくださいまし・・・。音もなく戸が開いた。・・・・。「おまえさま」。・・・・。「おまえさま、お腹が空いたでしょう。すぐに湯漬けをお持ちしますよ」。三百年前は海底だったという裏店の火桶の上の鉄瓶から、湯気が勢いよく上がっている。お六はいそいそと膳の支度をはじめた。(完)
「付記」には、下記のように記述されている。
家康晩年の側室、お六の最期については諸説がある。「幕府作風伝」には、「寛永二年三月二十八日、日光御宮に参詣、神前にて頓死す」とあり、「雑話燭談」には、「お六の方、大神君の御罰を蒙り死する事」として、日光東照宮に参詣した際、突然香炉が割れて、破片が飛んで額に当たり頓死したと書かれている。また、「震死」、つまり雷に撃たれて死んだとの説もある。
お六が晩年を過ごした地については、「柳営婦女伝系」に、「家康御他界後も塵俗を離れず、その容色を誇りて古河足利の室となり、喜連川に住む」とあり、「幕府作風伝」にも、「田安比丘尼屋敷に住い、また故あって喜連川に住む」とあるが、喜連川に伝わる資料にお六の記録はない。「武辺雑記」には古河御所で没したとある。
お六は、日光山内養儼院(ようげんいん)の墓所に葬られた。お六の菩提を弔うために、お勝が建立した寺だ。戒名は、養儼院鑑誉心光大姉。行年は二十九歳と記されている。