不忍池から不忍通りに出て渡った先に 旧岩崎邸庭園が有ります。
まだ1度も入園したことも無く 入園したくなる衝動に駆られましたが、今回は スルー、
前を通り過ぎます。
旧岩崎邸庭園は 三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を公園として整備したもので 園内の歴史的建造物は国の重要文化財に指定されているようです。
天神下交差点から 春日通りを東に向かって 歩きます。
広小路交差点付近、御徒町付近 人、人、車、車、
活気溢れる東京、
アメ横をちょこっと覗き、
三筋二丁目交差点
この交差点の角に 「川柳発祥の地」の碑が 有ります。
「宝暦7年(1757年)8月25日、当地(旧浅草新堀端天台宗龍宝寺門前)里正柄井八右衛門、無名庵川柳と号し、初めて万句合を開巻す。爾来文運旺んに、遂には文芸の名をもって呼ばれ、今日に至る川柳隆盛の礎を開く。本年その250年に当たって後学相諮り、一碑を建て開祖を顕彰し、永く歴史に留めんち祈念するものなり。平成19年(2007年)8月25日 川柳250年実行委員会」
柄井川柳(からいせんりゅう)
江戸時代中期、江戸浅草新堀端の龍宝寺門前町の名主の家系に生まれた 柄井正道、幼名勇之助、通称八右衛門は 前句付けの点者だったが 無名庵川柳と号し、この地で初めて万句会を行ったとされています。
その後 前付け句が独立して 「川柳」と呼ばれるようになったようです。
三筋二丁目交差点から数メートル先に細い路地「川柳横町」があり 入ると直ぐ 龍宝寺が有ります。
天台宗 龍宝寺、
境内に有る「川柳会館」、
玄関の奥に和室がありますが、誰も居らず 入室しませんでした。
龍宝寺境内に有る 柄井川柳の墓
龍宝寺からは 最寄りの地下鉄駅 蔵前駅に向かい、
上野の森美術館から 上野公園、不忍池を巡り 川柳ゆかりの地を訪ねた街歩きが終わりました。
JR上野駅→上野の森美術館→(上野公園内)→清水観音堂→花園稲荷神社→五條天神社→時の鐘→上野大仏→上野東照宮・句碑・五重塔→不忍池・弁天堂→(春日通り)→アメ横→三筋二丁目交差点・川柳発祥の地碑→龍宝寺→地下鉄大江戸線蔵前駅、
あっちこっち、キョロ、キョロ、キョロ、キョロ、
田舎者のおのぼりさん風、ぶらーり街歩き。
スマホの歩数計で 約16,000歩でした。
(おわり)
碑にしても、寺にしても、横町にしても さっと通り越してしまいそうな たたずまいで それがまた 昔を偲ぶにはいいのかも知れませんね。
やっぱり 訪ねてみてこそ 目から鱗・・・だと思います。
コメントいただき有難うございます。