足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。
百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その20
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる
まつとし聞かば 今帰り来む
出典
古今集(巻八)
歌番号
16
作者
中納言行平
歌意
ここで今、あなたと別れて、
因幡の国へ下って行くとしても(行くけれど)、
その因幡の山の峰に生えている松という名のように、
あなたが私を待っていると聞いたなら、
すぐに帰京するつもりですよ。
注釈
「立ち別れ(たちわかれ)」=「ここで今、別れて」の意。
「いなばの山の」の「いなばの山」は、
鳥取県に有る「稲葉山」か、「因幡(いなば)の国の山」、
ここでは、「因幡の国の山」と解釈。
「往なば(いなば)」(行くとしても、行くけれども)との掛詞。
「まつ」=「松」と「待つ」との掛詞。
「し」は、強調の副助詞。
「今帰り来む」の「今」は、「直ぐに」の意味の副詞。
「む」は、意思を表す助動詞。
38歳にして、任地に赴かなくてはならなくなった不安と
都の親しい人との別離の悲しさ、惜別の情を
歌った作品。
中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)
平城天皇(へいぜいてんのう)の皇子阿保親王の第二子、
在原行平(ありはらのゆきひら)
臣籍に下り、弟の業平と共に、「在原」の姓を賜った。
兵庫県の須磨に流され、
「源氏物語」の「須磨」の帖のモデルとされている。
須磨に流された折、その地で、「松風」「村雨」という
二人の汐汲み女と親しくなったと言われている。
謡曲「松風」
江戸川柳
「中納言名ある女性(にょしょう)を二人しめ」
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)