足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラと、ページを捲ってみたところ、なかなか、詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、正月になると、必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからである。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみようと思っているところだ。
(ネットから拝借画像)
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その2
あらざらむ この世のほかの 思い出に
今ひとたびの 逢ふこともがな
出典 後拾遺集(巻十三)
歌番号 56
作者
和泉式部(いずみしきぶ)
歌意
(私はまもなく死んで)この世にはいないでしょう、
(だから)死んだ後の、あの世での思い出にするために、
(せめて)もう一度、あなたにお逢いしたいものです。
注釈
「あらざらむ」・・生きていないだろうの意。「この世」を修飾する言葉、
「この世のほか」・・仏教思想で「死後の世、あの世、来世」のこと、
「逢うこともがな」・・「逢う」は、単にお逢いするという意味ではなく、
夜を共に過ごすの意味が有る。
「もがな」・・「したいものだ」と訳する願望の終助詞。
和泉式部
大江雅致の娘、和泉守橘道貞に嫁ぎ、小式部を生んだ後、一条天皇の中宮彰子に仕え、さらに藤原保昌の妻となった。
歌才と美貌のほまれが高い情熱家で、冷泉院の皇子為尊親王、ついで、その弟帥宮敦道親王との恋愛等、男性遍歴を重ねた。
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
幾つになっても、恋の歌は心に響きます。若い時には切なく甘く、年をとると懐かしく。
あなたの世界の広さに、脱帽します。
忘れても、書いてあれば、思い出せますから、ブログは、便利ですね。
コメントいただき有難うございます。