たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ふっと思い出した故郷の言葉 No.15 「がい」

2017年03月23日 10時52分09秒 | 懐かしい故郷の方言

故郷を離れて50年以上、子供の頃 使ったり 聞いたりしていた言葉(方言)も すっかり忘れてしまっていますが 突然 ふっと思い出すことがあります。

No.15 「がい」
「丈夫」「元気」「頑丈」という意味で 使われていたように思います。

例えば

「コメダワラ カツゲル ガイナ アンチャダネ」
(米俵 担げるなんて 頑丈な お兄さんですね)

「ヒャクショウハ ガイデナキャ デキンワネ」
(農業は 丈夫でないと 出来ませんよ)

後年になって 日活映画等で 盛んに 「たふがい」等という言葉が使われましたが その「がい」に通じているのかなと 思ったものです。

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病院 のち プール

2017年03月22日 22時19分10秒 | スイミング

今日は 3月第4水曜日。
午後に H病院の定期的経過観察検査の予約が入っており 受けてきましたが 16時には 帰宅。
それではということで 19時~20時の スイミングクラブ成人クラスレッスンに 出席してきました。
今日は 前半 バタフライ、後半 平泳ぎ でした。
レッスン終了後 いつものように 居残った 前向きな TUさん、KAさん、TAさんと フリーコースで 600m泳いで 先程 戻ったところです。
泳いで帰った後の遅い夕食、テーブルに用意されていたのは 今日 ハンバーグでした。
冷蔵庫から取り出した発泡酒で 一人乾杯? いい気分になっているところです。
いつまで続けることが出来るか分かりませんが 爺さんの ささやかな幸せのひとときです。

庭で やっと咲きだした 喇叭水仙

 


ウクレレ

2017年03月22日 14時54分06秒 | 暮らしの記録

日頃 雑物整理廃棄処分を心がけているにも拘わらず 先日は 天袋から出てきた 40年~50年前に 一時遊んだことのある 古いウクレレを 懐かしがってしまい 自分で修理までして 生き返らせてしまった 爺さん、

先日の記事 → 「ミイラ取りがミイラになってしまい」

なんと 無駄なことをしてしまったことか、大いに 反省しているところですが、生き返らせてしまった以上 多少 元をとらなけりゃ・・、
という訳で ボロローン♪
脳と手が 連動しません。

あっ!そうだ、Youtubeだ、
今は 動画で 弾き方が 見られる時代、便利で 有難い時代です。
初歩の初歩で いいんですから・・・、

Youtubeから 共有させていただきました。

ウクレレ練習曲 アロハ・オエ

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古い写真から蘇る山の思い出 その3 剱岳・立山

2017年03月21日 14時26分38秒 | 山歩記

バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった時代、当時は 撮った写真を その都度 せっせとプリントして アルバムに貼っていたものです。
1997年9月に 妻と次男と 3人で 剱岳・立山に登った時の写真が貼ってあるアルバムが 有ります。
久し振りに 引っ張り出して 眺めると あの日あの時の記憶が 映像のように蘇ってきます。
何枚か スキャナーで取り込んで 思い出を辿ってみることにしました。

それは 室堂から 剱岳へ、そして 立山を周回する 一般的なルートの山行でした。ただ・・、
単に山登りが趣味 というレベルの我が家族にとっては 体力、経験、技量、いずれからしても 最も厳しい山行の一つであったことは間違いなく それだけに 強烈な思い出になっているのです。

さらに 出発直前に 妻が極度の体調不良に陥り まず 室堂で 中止しようか、どうしょうか しばらく 思案した程だったのです。
「とりあえず 別山乗越まで 登ってみよう。そこで 無理と判断した時は 即 引き返そう」と決断して 出発したのです。

ミクリガ池、雷鳥平、そして 雷鳥坂を そろりそろり・・・、
天気は 最高、素晴らしい景観でした。

なんとか 別山乗越、剱御前小屋に辿り着きましたが そこで 初めて 夢にまで見ていた 剱岳の堂々たる雄姿と対面、その絶景に息を呑み 歓声を上げたものです。
昼食をとり しばし 休憩している間に 妻の体調は 少し好転、剱岳の絶景を見て 力を貰ったんでしょう。

本人は 「大丈夫、行ける」、
一抹の不安を残しながらも 「では とりあえず 剣山荘まで 行ってみよう。宿泊して 翌朝の体調を見て 剱岳登頂するか、断念して 撤退するか 決めよう」ということで 剱御前中腹コースを下りました。
剣山荘は 夏山最盛期から 少し外れていたこともあって 広い部屋を使わせてもらい 夕食前には 入浴まで出来て 熟睡出来ました。

一夜明けて 妻の体調は ほぼ正常に戻った様子で 尚 悪化する不安が有るものの 「行ける」と判断、やや 出発を予定より遅らせて 午前5時頃 そろり出発したのでした。

剣山荘出発が遅かったため ご来光は 一服剱 手前の地点で迎えました。

登山道の直ぐ脇の岩に 雷鳥が1羽が出迎えてくれて 気分高揚。

妻の体調を気にしながら 無理せず、ゆっくり、ゆっくり・・・

一服剱(標高 2,618m)



前剱(標高 2,813m)、平蔵のコル、カニノタテバイ、・・を クリアし

カニノタテバイ

午前8時20分、ついに 剱岳(標高 2,998m)山頂に 立てたのでした。

鎖場、ハシゴ場、肝を冷やすようなヤセ尾根岩場の連続、緊張感と 妻の体調悪化の心配、二重のストレスを抱えての登頂で 夢のような瞬間でした。
コンロで 暖かい朝食、スープ、コーヒー、
快晴の下 後立山連峰はじめ 360度 大パノラマ、
絶景を堪能しながら たっぷり 至福の時を過ごし 下山に掛かりました。

下山は 登りより もっと危険、慎重に、ゆっくり、ゆっくり、

最難関部をクリアし 生きた心地のする地点に。

11時30分頃 剣山荘に戻り着き デポしておいたザックを詰め直し 再出発。

振り返ってみる 剱岳。



剣沢小屋、三田平から 別山尾根上に上がり 立山方面に向かい 左折。
15時30分頃 宿泊先 内蔵助山荘に 到着しました。
体力、経験、技量 共 自信の無い家族3人組であり 無理をしない、余裕をもった計画にしていたのです。

内蔵助山荘

第3日目は 朝の内はまだ 晴れ間も見えており 白馬等 後立山連峰を 眺めることができましたが
予報通り 天気は 下り坂、次第に 雨になってしまいました。

富士ノ折立(標高 2,999m)、大汝山(標高 3,015m)、雄山(標高 3,003m)、立山三山縦走は 絶景眺望叶わず 黙々と歩くのみとなりました。

立山の主峰 雄山山頂、雄山神社

一の越

午前10時頃 無事 室堂に帰還しました。
「家族で登った 剱岳・立山」が 終わったのです。

「あの時は 最悪だったけど 良くも登ったもんだ」「無理 と 判断して 撤退していれば あの感動の思い出も無かったわけだし」「微妙だったが 判断が間違っていなくて 良かった」「幸運だった ということか」
いまでも 家族の語り草になっているのです。
年老いた今はもう 「剱岳・立山」は 決して 再び 登ること叶わない山であり 遠い思い出の山なのです。

 

 

 

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ふっと思い出した故郷の言葉 No.14 「おてしょう」

2017年03月21日 10時39分08秒 | 懐かしい故郷の方言

故郷を離れて50年以上、子供の頃 使ったり聞いたりしていた言葉(方言)も すっかり忘れてしまっていますが 突然 ふっと思い出すことがあります。

No.14 「おてしょう」
「小皿」のことを 言っていたように思います。

例えば

「ネイチャ ソコノ オテショウ トッテクンナイ」
(おねいさん そこの小皿を 取って下さい)

「オテショウニ ワケテ タベマイカ」
(小皿に 分けて 食べましょう)

No.13 「ねまる」、No.12 「もうぞこく」、No.11 「ぴしゃる」、No.10 「はりこむ」、No.09 「おんなる」、No.08 「かまける」、No.07 「やばしい」、No.06 「こわい」、No.05 「あせくらしい」、No.04 「しょうしい」、No.03 「~くんない」、No.02 「またじ」、No.01 「おぞい」
 「懐かしい故郷の方言」

昭和30年代、40年代頃の 「ハサ」の写真です。

つらら様へ

「ハサ」について。
今は ほとんど 機械で 稲刈りし 脱穀までしてしまい 大型の乾燥機で乾燥していると思いますので 刈った稲を 天日で乾燥させるための 「ハサ」を見る機会は少なくなっていると思います。
昭和30年代、40年代位までは まだ 写真のような 「ハサ」で 刈った稲を 乾燥させていました。
「ハサ」の形、高さは 地方によって 様々のようですが 私の故郷の「ハサ」は 7段、8段・・と 高い「ハサ」で 上部には 稲の束を投げる役と 上で受取り掛ける役 二人組でやっていました。

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畑日誌 2017.03.20 里芋の掘り出し

2017年03月20日 15時39分50秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

昨年12月6日に収穫した里芋の一部は 畑に 60cm前後の穴を掘り 埋め戻して 越冬させましたが 「暑さ寒さも彼岸まで」、今日 掘り出しました。
里芋は 寒冷に弱い作物で 5℃以下になると 腐敗し易くなると言われています。
当地は 関東の山沿いにあり 平地より 平均して 3~4℃は低く 厳冬期には 最低気温が 氷点下になりますので 保存対策が必要で 数年前から 穴に埋め戻して 保存しています。

掘り出し完了、

親芋から小芋をもぎ取り 乾燥させます。

穴へ 土を戻して 終わり。土方仕事で またまた 腰にきています。

畑の周りも 春景色

 


国民の祝日

2017年03月20日 05時59分13秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

今日 3月20日(月)は 二十四節気の「春分」、国民の祝日 「春分の日」です。
毎年 カレンダーや手帳を見ても 特に疑問も持たず 過ごしてしまう方ですが その年によって 3月20日であったり 3月21日であったり 固定しない国民の祝日のひとつです。
かって 「成人の日」が 1月15日と固定されていたものが ハッピーマンデー制度で 1月第2週目の月曜日となり 「敬老の日」も 9月15日と固定されていたものが 9月第3週目の月曜日に行われるというように 固定しない国民の祝日が多くなっており 頭の切替がなかなか出来ない爺さん、認知症の検査等で引っかかりやすくなっていますが 「春分の日」は そういった理由とは異なる理由で 固定しない国民の祝日なんですね。

因みに 来年以降の春分の日(予想日)は
2018年 3月21日(水)
2019年 3月21日(木)
2020年 3月20日(金)
2021年 3月20日(土)
2022年 3月21日(月)
・・・・

となっていますが これは あくまでも予想日で ずれる可能性も有るということです。
地球の運行状況は 常に変化していることで 翌年の「春分の日」がいつになるか? は 国立天文台が 毎年 2月1日の官報に掲載し 決定されるということなんです。

もともと 「春季皇霊祭」なる 歴代の天皇、皇后、皇族の霊を祭る祭日であったものを 1948年に 「自然をたたえて 生物をいつくしむ」という趣旨の国民の祝日として制定されたのが 「春分の日」。
昼と夜の割合がちょうど同じになる日(厳密に言うと若干異なるようですが)、「春分の日」を境にして 日照時間が長くなっていきます。
もともと農耕民族だった日本人は、季節の変わり目を 敏感に感じとりますが、耕し、種を蒔く 節目でもあります。
暑さ寒さも彼岸まで・・・。


ファイトー イッパーツ ・・・ イタタタタ・・・

2017年03月19日 18時36分23秒 | 暮らしの記録

当地 今日は やや雲が広がって 快晴とは言えない天気でしたが 日中の気温は 17℃前後まで上がり 春ウララの1日でした。
「今日こそは・・・」と 朝から 妻のスイッチが入ってしまい 午前中の3時間、老体には 厳しい 「ファイトー イッパーツ」仕事と 相成りました。
多分 5年、10年、パスしてきたはずの ピアノの裏や下回りの掃除、ベッドの下回りの掃除です。
移動しなければ出来ませんので 大変な仕事です。
腰に 要注意、ズルッ、ズルッ、少しづつ、休み休み・・・・、息が上がります。
怪力プロが見たら なんとも情け無いへっぴり腰ですが 仕方有りません。
予想した通り 埃がたんまりたまっていて 壁面には湿気からくるカビまでこびり付いていました。
掃除機、雑巾、脚立、洗剤、カビキラー・・・・、
窮屈、無理な体勢で ふらつきます。時々は 座り込んで休憩。
悪戦苦闘です。
なんとか それなりに きれいにし 元の位置に戻して 終了。
夕方になって 腰が 腕が イタタタタ・・・、
どっと 疲れも出てきて 堪らず すっきりしたベッドに横になったところ そのまま 眠ってしまい 3時間、
夕食で 起こされたところです。
宿題が 一つ片付き ひとまず 安堵ですが・・。



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藤沢周平の短編小説集 「たそがれ清兵衛」

2017年03月19日 14時32分34秒 | 読書記

図書館から借りていた 大活字本 藤沢周平著 「たそがれ清兵衛」を 読み終えました。
「たそがれ清兵衛」を表題作として 短編小説 全8作品が 収録されています。
老眼、視力低下の爺さんには 大活字本が 助かります。

  (大活字本)

各作品共 外見、容貌が冴えなかったり、あだ名で蔑まれたりしている下級武士が主人公。
実は その主人公 剣の腕前は 並外れていて 藩の危急を救ったりするという 歴史短編小説です。

たそがれ清兵衛」
うらなり与右衛門」
ごますり甚内」
ど忘れ万六」
だんまり弥助」
かが泣き半平」
日和見与次郎」
祝い人(ほいと)助八」

 

 

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かくして 今日も・・・

2017年03月18日 22時23分12秒 | スイミング

三連休の初日、今日は 終日 休養日と決め込んでいましたが なんとなく 手持ち無沙汰、
昼過ぎには 近くを少し徘徊したり やっぱり 19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンにも 出席してしまいました。
今日は ベテラン指導員M氏による 前半 バタフライ、後半 平泳ぎ でした。
レッスン終了後の約30分間、いつものように フリーコースで 600m泳いで 引き上げてきたところです。
遅い夕食、テーブルに 用意されていたのは おでん、冷蔵庫から取り出した350mmの発泡酒で 気分良くなっているところです。
なんとも ささやかな 爺さんの幸せのひととき、こんな暮らしをいつまで続けることが出来るんだろうか?
かくして 今日も 終わりぬ・・・です。