たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ホオズキ、オミナエシ、オオケタデ、

2024年07月28日 10時16分48秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の天気予報は、「晴のち曇」、最高気温、35℃。
早朝から、28℃前後、ムシムシ、ムシムシ・・・、
「熱中症警戒アラート」も出されており、
今日もまた、猛烈に暑い1日になりそうだ。
5時台、ちょこっと近くを歩いてきたが、
帰り付く頃には、汗だくになり・・・、
スマホの歩数計で、約4,200歩。

 

 

 

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7月第4土曜日、今日は、どうしても・・・・・、

2024年07月27日 21時46分54秒 | スイミング

当地、今日の天気予報は、「晴のち雨」、最高気温、35℃、
・・・・・・・、だったが、
日中、一時的に雷雨が有ったにも拘らず、
どうやら、気温は、38℃前後まで上がったようで、
蒸し風呂?の如く、
身体は、重ーい、怠ーい・・・だが、
いかん、いかん、
こんな日こそ、泳いで来るべし・・、
やおら、重い腰を上げ、
19時~20時、スイミングクラブ成人クラスレッスンに出席、
先程、帰ってきたところだ。



今日は、7月第4土曜日、
若手H指導員によるバタフライ中心レッスンだったが、
盆踊り大会や花火大会、最盛期
M4グループ、欠席者多数
出席者、女性7人、男性2人、だけ・・・、
2レーン使用、1レーン 5人、4人、
イメージだけは、池江璃花子?、
バタフライ、たっぷり泳ぎ、疲れ果てて帰ってきたところだ。


今年の年初、目標のひとつとして、
若い頃からの持病の腰痛対策、
リハビリ的運動と決め込んで続けている、
週2回、月8回のスイミングスクール、
「出来る限り休まないことにしよう」等と、
ブログにも書き込んだものだったが、
何をするにしても、いい加減で、
なかなか重い腰が上がらない爺さん、
自分にハッパをかける方法、
なにか、無いか?
ふっと、子供の頃から、新聞のスポーツ欄等で見慣れている、
大相撲の星取り表を思い出し、
「これで行こう!」
と 決め込んでものだったが・・・。
今月は、なんだかんだで、休んでしまい(サボってしまい)、
「負け越し」だけは、許すまじ、
今日は、どうしても・・・・、
カレンダーでチェックしてみると、
7ケ月経過したところで、
通算、47勝9敗?、勝率=8割3分9厘?

出席した日=⚪️、欠席した日=⚫

1月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (8勝0敗)
2月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚫ (7勝1敗) 
3月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚫️ (7勝1敗)
4月 ⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️⚪️ (8勝0敗)
5月 ⚪️⚫⚪️⚫️⚪️⚪️⚪️⚪️ (6勝2敗)
6月 ⚪️⚪️⚪️⚫⚪️⚪️⚪️⚪️ (7勝1敗)
7月 ⚪️⚪️⚫⚫⚫⚪️⚫⚪️ (4勝4敗)

うーん、やっぱりな・・・・、
果たして、今年の年末、通算、何勝何敗になるかだ。
継続は力なり・・・・・・・・、
ファイト!ーーーー、イッパーツ!ーーーー、


 


懐かしい映画と映画音楽・その21

2024年07月27日 10時45分33秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その21
映画「ぼくの伯父さん」と主題曲(再)

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
今朝、数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「ぼくの伯父さん」」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。

子供の頃や若い頃観た映画は、後期高齢者になっても、細かい筋書きはともかく、なんとなく思い出せるから不思議だと思っている。誰でも知っている大作、名作はもちろんだが、さ程でもない作品が、妙に記憶に残っていることもある。そのほとんどは、主題曲や挿入曲が脳裏に焼き付いていることから、 映像が炙り出されるような気がしている。
いつごろ、どこで観たのかも覚えていない映画「ぼくの伯父さん」も、そんな映画のひとつだと思う。

今更になってネット等で調べてみると
映画「ぼくの伯父さん(Mon Oncle)」は、1958年(昭和33年)に公開された、ジャック・タチ監督のフランス映画だった。
終始、これと言ったドラマ性も無く、ひたすら、へんてつも無い日常を描いているような感じの映画であり、しかも、ほとんど台詞が無くて、効果音と、切れ目なく流れる淡々とした主題曲に乗って、パントマイム的な動きが繰り広げられるという、ちょっと変わったコメディー映画だ。
「ぼくの伯父さん」(ユロ伯父さん)を、演じているのは、監督のジャック・タチ自身。チャップリンとは、一味異なる、絶妙な演技が見られる。
「ぼく」(ジェラール)は、父親が会社社長で、郊外の一等地の豪華な家屋敷に住む子供、すべてオートメーション化されたモダンな暮らしが好きではなく、下町のアパートに住む、独身で、無職の おとぼけで、粋で、愛嬌の有る、ユロ伯父さんと遊ぶことが好きな子供だ。
コメディー映画のジャンルに入るのだろうが、大爆笑、大騒ぎする映画では無く、どこか、フランス的なユーモア?、風刺?、エスプリ?が感じられ、クスっと笑ってしまう類の映画だと思う。
「タカタカタッタン、タカタカタ、タカタカタッタ タカタカタン・・・♪」
その主題曲、脳裏に焼き付いており、特に気持ちが軽やかな時、ふっと無意識に、口遊んでしまっていることに気がつくことが有る。
おりしも、パリ・オリンピック幕開けの日、
古き、良き、パリを想い描きながら・・・。

(ネットから拝借画像)
 

映画「ぼくの伯父さん(Mon Oncle)」 (YouTubeから共有)

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夜明けから猛暑を煽る蝉時雨

2024年07月27日 09時26分47秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の天気予報は、「晴のち雨」、最高気温、35℃。
早朝から、28℃前後、ムシムシ、ムシムシ・・・、
夜明け前から、ミンミンゼミ、アブラゼミの大合唱が始まり、
体感気温は、さらに上がってしまいそうだ。
「熱中症警戒アラート」も出されており、
日中の外出、控えた方が、よさそう・・・。
5時台、ちょこっと近くと歩いてきたが、
帰り付く頃には、汗だくになり・・・、
スマホの歩数計で、約6,800歩。

サルスベリ

 

     ハナトラノオ?             ホウセンカ?

 

相互フォロワー登録している方のブログ拝見で、
そろそろ、「キツネノカミソリ」が、見頃になっている頃であることに気付き、
群生地まで足を伸ばしてみた。
ほとんど、満開状態、
間に合った・・・。

 

 

クサギ


爺さんの備忘録的花図鑑・「クサギ」
👇️
こちら


 


懐かしい映画と映画音楽・その20

2024年07月26日 17時58分32秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その20
映画「みじかくも美しく燃え」と主題曲「みじかくも美しく燃え」(再)

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「みじかくも美しく燃え」」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。

今更になってネット等で調べてみると
映画「みじかくも美しく燃え(Elvira Madigan)」は、ボー・ヴィーデルベリ 監督、ピア・デゲルマルク、トミー・ベルグレン 主演で、1967年(昭和42年)に製作、公開されたスエーデン映画だった。映画の方は、これまで、映画館でもテレビの映画番組でも観た記憶が無く、実際どんな映画だったのかの感想も出来ないが、1889年に、スエーデンで実際に起きた事件を素材にした悲恋の物語なのだそうだ。
主題曲「みじかくも美しく燃え」の方は、当時、よくラジオ等から流れていて、脳裏に焼き付いているが、実は、モーツアルト作曲のピアノ協奏曲第21番ハ長調K467第2楽章(Piano Concerto No.2)だったことを、後年になって知ったものだった。映画では、その他にも、ビヴァルディ作曲のバイオリン・コンチェルト・愛等も、使われていたのだという。
「みじかくも美しき燃え」は、数多のアーチストにより、ピアノ演奏、オーケストラ演奏等されているようだが、一番耳に馴染んでいるのは、ポール・モーリア楽団(Paul Mauriat & His Orchestra)演奏のもののような気がする。

(ネットから拝借画像)

ポール・モーリア楽団演奏の「みじかくも美しく燃え」 (YouTubeから共有)

モーツアルト ピアノ協奏曲第21番ハ長調K467 (YouTubeから共有)


(参考・参照)
👇️
MOVIE WALKER PRESS・「みじかくも美しく燃え」


 


葉室麟著 「無双の花」

2024年07月26日 14時43分04秒 | 読書記

図書館から借りていた、葉室麟著 「無双の花」(文藝春秋)を、読み終えた。本書は、九州戦国史を代表する武将の一人、立花宗茂(たちばなむねしげ)の半生と、その妻誾千代(ぎんちよ)を題材にして描いた、長編時代小説だった。


読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳。
読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、
その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に、書き留め置くことにしている。


▢目次
(一)~(十七)

▢主な登場人物
立花左近将監宗茂(豊後大友宗麟の家臣筑前宝満城城主高橋紹運の嫡子、立花誾千代の婿養子となり立花城城主、柳川城城主、赤館城城主、再び柳川城城主、立斎
誾千代(豊後大友宗麟の重心立花(戸吹)道雪の娘、立花城女城主、立花宗茂の正室)、かの、由ゑ
八千子(立花宗茂の側室、矢島石見の姉)、菊子(公家葉室家の姫、後に、立花宗茂の妻となる
立花(戸吹)道雪(誾千代の父、筑前立花城城主
由布雪下(ゆふせっか)、矢島石見(やじまいわみ)、十時摂津(とときせっつ
黒田如水、加藤清正、田中忠政
豊臣秀吉、本田平八郎忠勝、
真田左衛門佐信繁(幸村)、利世、大八(後に、伊達忠宗の家臣片倉守信となる)、阿梅(後に、片倉小十郎の妻となる)、阿菖蒲、おかね、
長宗我部盛親、
徳川家康、徳川秀忠、徳川家光、本田正信、本田正純、
伊達政宗、片倉小十郎重綱、

▢あらすじ等

筑前宝満城城主高橋紹運の嫡男として生まれた宗茂だったが、15歳で大友宗麟の重臣、立花城城主戸次(立花)道雪の娘誾千代の婿養子となり、立花山城主となった。城主になってまもなく、九州の雄、島津勢の猛攻を受けるが、これに耐え切り、駆け付けた豊臣秀吉から、「西国無双の武将」と褒め称えられ、戦功により筑後柳川十三万石の大名に抜擢された。
その恩義が有り、関ヶ原の戦いでは、西軍に加担、敗軍の大名となり、徳川家康の時代になり、当然、改易、浪人となる。家臣を引き連れて、京、江戸へ。耐えに耐え、窮乏の日々を送ることになるが、人を裏切らず、生き抜き、「立花の義」を貫き、大名に返り咲く望みを捨てず、家康をも動かし、伊達政宗とも渡り合い、改易から20年後、家康の意を受け継いだ2代将軍秀忠により、ついに、旧領筑後柳川の大名に再封される。関ヶ原の戦いで西軍に加担し改易になり、浪人となった大名で、徳川家からも絶大な信頼を得て、旧領地を再封されたただ一人の武将立花宗茂の半生、生き様を描いた作品である。
  「待たせたな、誾千代。ようやく戻って参ったぞ」
  (中略)
  「関ヶ原の戦で負けた時、かような日が来るとは思いも寄らなんだぞ。二十年前、
  京に出ようと
意を固めた折、必ず無双の花を咲かせて戻って参ると誓うたが、
  いまにして思えば、わしにとって、
無双の花とは、そなたのことであった・・・・」


(参考・参照)
👇️
福岡県観光WEBクロスロードふくおか
「立花宗茂、誾千代 ー 戦乱の世に生きたヒーロー&ヒロイン」


歴史にも疎く、無知無学な爺さん、正直なところ、「立花宗茂」、「誾千代」の名も、その史実も、これまで、ほとんど知らず分からずの類だったが、本書を読み、初めて詳しく知り、「へー!、そうだったのか」、目から鱗・・・・、である。
本書の舞台は、九州豊後、筑前、筑後、肥後、朝鮮半島、京、大阪、江戸、奥州南郷、と広いが、中心にしているのは、柳川。
福岡県筑後地方南西部に位置している「柳川市」は、若い頃から一度は訪ねてみたいと思っていた地のひとつだったが、結局、念願叶わず、一度も訪れたことは無く、今となっては、映像や画像で、その風情等を楽しんでいる風だが、本書により、一層、興味、関心が高まってきたような気がしている。


夾竹桃の咲く頃 ♫

2024年07月26日 08時45分29秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の日の出時刻は、4時47分頃、
天気予報は、「晴時々曇」、最高気温、35℃、熱中症、「危険」「警戒アラート」
早朝の気温も、26℃前後だったが、
昨日、一時的に、激しい雷雨が有ったせいか、
若干、体感的には涼しくも有り、
やおら、重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
  君の名は?花に訊ねつ爺散歩
  朝露で靴濡らしても歩数伸び
途中、何度も立ち止まり、背伸ばし、屈伸、伸脚・・・しながら、
スマホの歩数計で、約5,700歩。

君の名は?
「キョウチクトウ」・・・・、だった。


爺さんの備忘録的花図鑑・「キョウチクトウ」
👇️
こちら


君の名は?
「えーっと?、えーっと?・・・」


古い写真から蘇る思い出の山旅・その54(3)

2024年07月25日 16時36分39秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その54
「老いらく二人山歩き・乗鞍岳」(再)
(3)


肩の小屋→お花畑→畳平バスターミナル


1時間程、「肩の小屋」で、休憩後、
時間的には、たっぷり余裕有りだったが、
畳平バスターミナルに戻り付くまで、心配。
I氏の体調を気にしながら、ゆっくり、のんびり、
下ることにした。
足元の高山植物を楽しみながら・・・・。

乗鞍岳山頂・剣ケ峰方面を、振り返り見る、

大雪渓で、スキー?、スノーボード?を楽しむ人達

不消ケ池

 

    イワギキョウ             アオノツガザクラ

 

        コケモモ              ハイマツ    

 

    ショウジョウバカマ          ヨツバシオガマ

 

ミヤマダイコンソウ

 

チングルマ

 

ミヤマキンポウゲ?

 

ミヤマクロスゲ?

コバイケイソウ

観光客で賑わう「お花畑」に到着、
I氏の、「大丈夫!」を聞き、
1周することにした。

 ハクサンイチゲの群落

 

クロユリ

 

13時頃には、畳平バスターミナルに戻り付いた気がするが、
7月下旬、高山植物見頃の土曜日とあって、ハイカー、観光客であふれており、
乗鞍高原観光センター行きバス乗り場にも、すでに長蛇の列が出来ていた。
こりゃ大変と思いきや、4~5台?が増発され、すんなり乗車出来、
14時過ぎには、「乗鞍高原観光センター前」に戻り着いたと思う。
前日泊した「乗鞍高原鈴蘭小屋」に立ち寄り、一浴させていただき、
下界の猛暑の中、途中、数カ所で休憩しながら、
中央自動車道大渋滞にも引っ掛かり、
帰宅したのは、20時過ぎだったような気する。
お互いに健康不安を抱えた老いらく二人の「乗鞍岳山歩き」、
終始、「大丈夫かな?」だったが、怪我も無く、体調も悪くならず
結果、オーライ、
今となっては、いい思い出の山歩きになっている。

(おわり)


懐かしい映画と映画音楽・その19

2024年07月25日 11時08分20秒 | 懐かしいあの曲

昭和30年代、40年代、地方の小都市にも、邦画、洋画の映画館が1館や2館、必ず有ったものだ。テレビで映画を観られる時代ではなく、ビデオも無し、映画は 映画館に足を運んで観るものだった。薄給だった若い頃、おいそれと映画館通いすることは無理だったが、後年「不朽の名作」と評されているような映画は、結構観ていたように思う。
映画が斜陽産業の代名詞にもなり、映画館が身近な街からどんどん姿を消してしまった頃から、映画館に足を運ぶことも ほとんど無くなっているが、最近は テレビで放送される映画番組等で 時々ではあるが、懐かしい名作映画を楽しんでいる類である。これまで、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めてきた曲の中で、特に懐かしく思うような映画と映画音楽を、ピック・アップ、コピペ、リメイク、改めて、書き留め置くことにした。


懐かしい映画と映画音楽・その19
映画「恋愛専科」と主題曲「アル・ディ・ラ」(再)

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
数年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「恋愛専科とアルディラ」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。

今更になってネット等で調べてみると
映画「恋愛専科(原題 Rome Adveture)」は、1962年(昭和37年)に、デルマー・デイヴィス 監督、トロイ・ドナヒュースザンヌ・プレシェット 主演で、製作、公開されたアメリカの恋愛映画だった。映画の方、いつごろ、どこで観たかの記憶は定かでなくなっているが、大画面で観た印象が有り、多分、実際に、地方の映画館に足を運んで観たのだと思う。
映画「恋愛専科」と言えば、「アルディラ(Al Di La)」が思い浮かんでくる。映画の中で、歌手役のエミリオ・ペリコーリが歌っている「アルディラ」だが、映画公開の前年1961年(昭和36年)のサン・レモ音楽祭優勝曲のカンツオーネだった。当時、世界的にカンツオーネブームが巻き起こっていた中、映画「恋愛専科」と共に、「アル・ディ・ラ」も大ヒットし、数多の歌手がカヴァー、当時、良くラジオ等から流れていたような気がする。

(ネットから拝借画像)

映画「恋愛専科」と「アルディラ」 (YouTubeから共有)


朝露で靴濡らしても歩数伸び

2024年07月25日 08時31分28秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の天気予報は、「晴時々曇」、最高気温、33℃。
昨日、一時的に激しい雷雨が有ったことも有り、
多少は、地熱が冷まされたのだろうか。
早朝、体感的には、涼しくも有り、
やおら、重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
  君の名は?花に訊ねつ爺散歩
  朝露で靴濡らしても歩数伸び
途中、何度も立ち止まり、背伸ばし、屈伸、伸脚・・・しながら、
スマホの歩数計で、約6,100歩。

君の名は?
「えーっと?、えーっと?・・・」
「トウワタ(唐綿)」・・・、だった。


爺さんの備忘録的花図鑑・「トウワタ」
👇️
こちら


ボタンクサギ

何の実?

ヤナギバルイラソウ?
・・・・かな?

ダイサギ